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三重大学のダウン症の原因となる染色体を除去できる研究について思うこと
自己紹介
僕は大阪大学で学生をしている。
普段はTwitter(@Mathmeganekun)で自由に発言させてもらっている。
普段は自分の内面についてのnoteしか書かないけどこのニュースについて自分なりに思ったことがあるので書きたいと思う。
ヘッダーは近所の公園で撮った空の写真。
僕の思っていることをそのまま書きます。
不快になられる方はご退出をお願いします。
ニュース
僕のツイート
将来、この技術がごく一派的になったとするなら何割ぐらいの人が利用するんだろう。
— めがねくん note / iOSアプリ / SwiftUI (@Mathmeganekun) February 20, 2025
ふと気になったのが、
障害を個性と見るのか、直せる病気と見るのかどっちなんだろ。
「障害を持っていてもこの子自身を愛したいから利用しない」と言う親が出てきた時に世間はどんな印象を抱くんだろうか。 https://t.co/TrZNJKYlLv
先天性の障害は運ゲーか
時々、「子供欲しくないなぁ」と思ってしまう。
「もし自分の子供が重度の障害を持っていたら育てられるのか?」と思うから。
子育てという責任を全うできる自信がない。
そんな時にふと思う。
すごく失礼な書き方をすると、「運ゲーなのかな」と。
出産をリスクの一つだと考えてしまう自分がいる。
幸福と幸運
不運と不幸は違うと思う。
不運ならば不幸は偽だと思うし、幸せならば幸運も偽だと思う。
全ては結果論とその人と感じ方だと思う。
幸せはその人の主観だと思う。
“運ゲー”という表現は相応しくなかったかもしれない。
障害を持って生まれた子が不運だと言っているわけではない。
僕について
僕にも先天性の病気がある。
毎年8月に検診に行っている。
何か制限がある生活を送っているわけではないが。
三重大学のニュースについて
すごく革新的な研究だと思う。
もし自分の子供が同じ状況になったとしたら利用すると思う。
そこで一つ思ったことがあるので書きたい。
持論
「障害を持っていてもこの子の個性だから愛している」と言う親をよく見る。
意地悪な僕はこう思う。
「言い訳なんじゃないか」と。
子供を持ったことのない僕がわからないだけかもしれないけど。
「障害を持っているから愛せない」と言う親がいたら大バッシングを喰らうだろう。
そんな時にこのニュースが目に入った。
もしこの技術が一般的に普及したとき、何割の人が利用するんだろうかと。
その場合、ダウン症は「個性」として見られるのか、それとも「治せる病気」だと見られるのだろうかと。
「個性だから」と言って利用しない親は世間からどのような目で見られるのだろうかと。
医療の進歩は素晴らしい。
歴史上の人物が倒れた病も現代では治ることもある。
「治せる病気」と「治せない病気」の境界が曖昧になっている。
近い将来、この技術が一般的になったとき、「治せる病気を個性だと言って放置する親はエゴ」だと思われるのではないか、と。
その個性を認めることは本当に愛故になのだろうかと。
その場合、「ダウン症は個性」という理屈は矛盾するんじゃないかと。
意地悪な僕が思っている「言い訳」が通用しなくなるんじゃないかと。
この研究は革新的でありダウン症に対する希望の光である一方、また新たな悲しみが生まれるのではないかと。
この議論に正解も不正解もない。
読んでくださりありがとうございました。
「障害」と言う話題は非常に触れにくい話題です。
僕自身もこのnoteを書くにあたり言葉の使い方に気をつけながら書きました。
このnoteを読んで不快になられる方には申し訳ないと思います。
このニュースを読んだ僕が思ったことをできるだけ改編せずにnoteに書きました。
下の記事もぜひ。