見出し画像

ほめるたいせつさ、タイミングのたいせつさ


自分の過去の経験や、考え方から書いているので、
以前の記事にも似たようなことがあるかもしれませんが、
最近の世の中の風潮から、
ちょっと気になったので、書いてみます。

自己肯定感

って言葉、よく聞きますよね。
日本の若者は自己肯定感が低いとよく言われます。

例として、言葉を選ばず、たたかれる覚悟で書くと、
「自分はかわいいのに、そのかわいさが自分で認められない」
「本当はできるのに、謙遜のし過ぎで、できてない自分しか表現できていない」

「自分はかわいい」って、自分を肯定する言葉ですよね。
でも、若い方は「もっとかわいい子がいるから」という理由で
「かわいくない」だから「もっとかわいくなりたい」と思うのです。
これはこれで、自分をより高くするためのきっかけになるからいい部分はあるのですが…
「かわいくない」から「自分はダメなんだ」といってしまう方も結構多いのです。
前者は前向き(ポジティブ)な方、後者は後ろ向き(ネガティブ)な方。

「自分はできている」と肯定的な気持ちを持っていても、
世の中にはびこっている、遠慮・謙遜が行き過ぎて、
「できている」ことを表に出せなくなることも多いと思います。

ここで言えるのは、自己肯定感が高くないのは、
他との比較から
なのです。

特に、幼少期の他との比較から影響が出ている部分は多いと思います。

幼少期の体験から…

自己肯定感が高くない理由で考えられるのは、
他と比較するから
だと思うのですが、その大半は自分がきっかけではないんです。

親や先生から、
「○○君頑張った!」「でも、ここをこうすればよかったよ。」
のように、後につけられた部分。
それを言われると、
「自分はまだまだなんだな」
と、自分を認められなくなるのです。

ここで前向きな子は、「次も褒められるように頑張ろう」
と後半部分をアドヴァイスとしてとらえることができます。
しかし、後ろ向きな子は…

あと、よくあるのは
「○○君てすごいね、それに比べて、△△は…」
という声掛け…
これでは、△△君は頑張れるでしょうか…

競争社会の大切なところと弊害

だからこそ、他と比較を幼いころから受けていると、
自己肯定感は高まりにくいのです。
でも、だから比較が悪いわけではないのです。
競争は大切だし、
勝った時、負けた時に感じること、考えることって大事
そこでしか味わえないものってありますからね。

実は「順位をつけるのはよくない」と言っている人が、
順位にこだわっているのです。
だから、ある時期の
みんなで一緒にゴールしましょう
とか、
差別・区別のないようにしましょう
とか、
率先していっていた人が、
「これは差別的だ!」
とか騒ぐのです。

みんな違って、みんないい

この精神、忘れている人が多いと思います。
だから、
他と比較するのではなく、
その人の良さを認める、
自分の良さを認める、
それでいいのではないですか。

だからほめる

ちょっとでもうまくいったら、ほめる
他人にもほめる
自分にもほめる
それでいいのです。

比較するのはそのあと。

ほめると同時にアドヴァイスとかは、
ほめの効果を半減しちゃいます。

たくさんほめられた子は伸びる

だから、幼いころから褒められてきた方は、
比較的自己肯定感は高めかと思います。
それほど高くなくても、
前向きな考え方に持っていきやすいかもしれません。
繰り返しますよ、

ちょっとでもうまくいったら、ほめる
他人にもほめる
自分にもほめる
それでいいのです。

大人でもほめられたらうれしいですよね。
ましてや、
自分よりできている(と思われている)人からほめられれば
「自分は認められている」と感じるはずです。

勉強嫌いな子でも
ちょっとうまくいったら ほめる
指摘するのは、そのあと。

ほめれば、もっとほめられたい欲求が出てくるかもしれません。

そうすれば、頑張る習慣がつくかもしれません。

批判、比較は人の自己肯定感を下げる要因です。
私はそう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?