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不登校になって正解です


私は以前、中学校で非常勤講師をしていました。この投稿は、以前、不登校になった、ある生徒に宛てて書いています。先生という立場から見ても、これはおかしいと感じた学校内での体験談を、お話しします。

こうした学校内での体験談を話すということは、所属していた身として、その学校に対して失礼であるとされることかもしれません。私は、そう思い、ずっと公表するのを躊躇していました。自分の胸にしまって黙っていた方が無難だし、何もなかったことになるからです。しかし、不登校になって悩まれている生徒さんのこと、ご家族のことを思うと、私のこんな話でも伝えなければ、事なかれ主義のずるい人間になってしまうと思い、思い切って投稿しました。

不登校の小中学生、高校生、また、そのご家族の方や、不登校ではないけれど、学校になじめないなと悩まれている生徒さんに、読んでいただけたらと思います。私の投稿を読んで、少しでも気持ちが楽になっていただけたら、うれしいです。

絶対的に強制させられるスポーツテスト

ある秋の日の職員室での出来事でした。
体育の先生が、運動が不得意な生徒がスポーツテストを休んでばかりいることに腹を立て、
「みんなの前で恥をかくから、やらないんだ!絶対に受けさせる!」
と憤って、保健の先生に、とても強い口調で話しているのが、授業の準備をしていた私にも聞こえてきました。保健の先生も、その体育の先生に同調されて、引きずりだしても、受けさせるというような会話でした。

少し知的発達の遅い体の小さい生徒で、私の美術の授業でも、絵がうまく描けないよ、と自信なく言う、もともとすでに学校を休みがちな子でした。
私は、そんな無理やりスポーツテストを受けさせたら、学校にもう来なくなっちゃうと咄嗟に思いましたが、非常勤講師の身で、反論できる立場ではありません。職員室にいた他の先生方も黙っていました。

その数日後、案の定、その生徒は、もう学校に来なくなりました。完全に不登校になりました。

スポーツテストって、何がなんでも強制ですか?

本人が皆と一緒に受けられずに休んでばかりいたのは、運動が苦手で、それだけ、スポーツテストがいやでたまらなかったからではないでしょうか?

スポーツテストを受けないことは、逃げることで甘えでしょうか?

恥をかくのがわかっていて、恥をかかせるのが教育方針なんでしょうか?

誰だって、苦手なことはあります。苦手な教科でも、だいたいの生徒は授業を受けています。国語や数学、英語、理科・・・授業中、先生にむりやり発表させられなければ、恥をかくことはありません。テストの結果が悪くても、隠してクラスメートに見せなければいいのです。

スポーツテストはちがいます。スポーツテストの種目、1500M走・50M走・ハンドボール投げ・立ち幅跳び・握力・長座体前屈・上体起こし・反復横跳びの8種目のうちの数種目は、先生が一人ずつ、または数人ずつ測定し、あとの子は見てるって感じではなかったでしょうか?体育が人並みにできる生徒はいいですが、ほんとうに苦手な生徒にとっては、苦痛ですよね?クラスメートの見ている前で、走るのがものすごく遅いのを晒す、ハンドボールが数メートルしか飛ばないのを晒すなど、その生徒にとって、ほんとうにつらい時間になるのではないでしょうか。

運動ができないから悪い?たまたま苦手なのが運動だっただけ。だれでも不得意なことはあります。(まれに、完璧な方もいるようですが・・・)

できなくても、へらへらしてやり過ごせばいい?そうしたメンタルの強さを持ち合わせている生徒ならいいですが、なかなかそうできない繊細な子だっています。

メンタルが弱いのが悪い?まだ、未発達のこどもです。

自分が苦手なこと、どうしてもいやなことを無理やりやらせることに、どんな意味があるのですか?

苦手なこと、いやなことにチャレンジすることで、強くなる?

私は、疑問を感じるんです。

Yahoo 知恵袋、学校行事の強制参加について

Yahoo 知恵袋に、学校行事の強制参加について質問されている方がいて、その回答に、「社会に出たら嫌なことがたくさんあるから、嫌なことに慣れるべき」とありました。他にも2,3名の解答者がいらっしゃいまして、皆、同じように我慢すべきとする回答でした。
正直、がっかりしました。

私もすでに社会に出ていますが、嫌なことがありましたら、そこから距離を置く選択をしています。社会に出たら、自分で、嫌なことをやり続けるか、嫌なことをやめて好きなことを選ぶか、選択することができます。だから、私は、美術は好きだけれど、学校社会は納得できなかったので非常勤講師はやめました。大人になれば、自分の好きなように人生を選択できるのです。

「嫌なことに慣れる」なんて、やめてください。自分の得意分野を生かせる居心地の良い仕事は必ずあります。嫌なことに慣れてしまって、ブラックな職場にも我慢して耐え続けて、鬱になっても転職しないで挙句病気になってる方、結構います。
学校の先生もそうです。各学校に一人は鬱になって休職してします。そのまま退職せずにいると、また鬱になった同じ学校に戻ってきて、職員室の席を斜め向かいや、2つ隣に移動するだけ。さすがに元のクラスの担任にはなりませんが、たまらなく嫌なことがあった原因は生徒じゃなく先生同士の関係なのに、席がちょっと変わっただけの同じメンバーで、よく辞めずに続けていられるなと感心します。

知恵袋のこの回答に反応されている方が私のほかにも、noteにいらっしゃいました。その方は、嫌なことを我慢することに慣れると、自分の本当に好きなことがわからなくなるのではないかと書かれています。
共感できる方がいて、ホッとしました。

私自身も長い学校生活で我慢して無駄な時間と勉強を浪費したおかげで、自分が何が好きで何が合っているのかわからなくなっていました。

時間は有限で、人生に与えられた時間は案外短いのです。あっという間に時間が過ぎ、大人になってしまいます。学校の全ての教科において完璧を目指す必要はなく、嫌なこと、苦手なことを、嫌なのに、いやいや頑張る必要はないし、無駄なのです。そんなことに気を取られている時間があったら、自分の好きなことは何か探したり、好きなことを追求する時間に費やした方がはるかに有意義です。

多くのことを強制しすぎな日本の教育

学校の側からしたら、みなと同じことを強制的にやらせるのが当たり前というのは、私が学校を卒業してから、もう何年も経ちますが、あの頃と全く変わっていません。ほとんどの公立中学校においては、同じ制服を着て、靴下も肌着の色も制限され、髪も長いと女子はしばり、男子は長いと怒られます。

そして、入学式、始業式、体育祭、遠足、職場体験、生徒会活動、部活動、合唱コンクール、終業式、修学旅行、地域活動などすべて強制的に行われます。部活動は、外部のクラブでも良いそうですが、何かしらの放課後活動に所属し、何も所属していない生徒はまずいないでしょう。どこにも所属していなくたっていいじゃないですか。部活をさぼると怒られ、毎学期、何かの係を必ずやらなければならず、教科係なんかは、御用聞きを忘れると、めちゃくちゃ怒られます。授業の間の10分間は、体育や音楽などあると移動時間がかかり、トイレに行く暇もないのに先生を探して御用聞きです。私が先生をしていた時、御用聞きに生徒が来なくても、ま、いいかと甘くしていたら、ほかの先生に厳しく𠮟ってくださいと、私が怒られてしまいました。

アメリカの中学校に通った方によると、入学式、卒業式、遠足のみで、部活動もないって話です。制服もないです。だからって、立派に育っている方は、大勢います。自分の意見をはっきり言える方が多いです。

日本の学校って、忙しすぎやしませんか?

「忙」って、心を亡くすって書きますよね。忙しすぎて、一番大事な自分の好きなことをしたり、考えたりする時間を作れません。全教科、部活動、各イベントや、生徒会活動など、すべてにおいて、まじめにやれと強制され、反論など許されないし、強制される理由も聞けば先生にめんどくさい奴と思われてしまう。

ある3月半ば、次年度の新入生の親から、教頭に、ヘルメットについての質問の電話がありました。その新入生は、普段自転車登校ではなく、部活動の試合で自転車を使うときだけヘルメットが必要となるので、皆と同じ白のヘルメットではないものを使用してよいかという質問でした。
ヘルメットは、特に学校指定のものはなく、校則にもヘルメットについての記載はありません。

教頭の回答は、皆と同じ白のヘルメットを学生協で買うようにということでした。
そして、電話を終えてからの教頭の言葉に幻滅しました。
「こんな電話してくる常識のない親のいる学年って、次の一年生は、はずれの学年だな。来年度が思いやられる。」

出世コースを真っ先に進む教頭の言葉です。

お子さんが中学校に進む親御さん、中学校の様子がわからなくても、学校に質問するのは間違っているかもしれませんよ。当然、電話をかけてきた相手が、どの生徒の親かチェックするし、新学期が始まって、教師からその生徒への見られ方が変わるということです。

学校は、生徒が皆と違うものを持ったり、身に付けたり、ちがう行動をするのをことごとく嫌います。空気を読んで、みなと同じように過ごし、運動も勉強も出来て、従順で、さらに利発な生徒、つまり先生にとって扱いが楽な生徒が好まれるのです。うっかり柄の入った肌着を着てきたり、「どうして体育祭ってやるんですか?」なんて質問したら、悪のレッテルを貼られてしまい、一度貼られたら、ことあるごとに、「ああ、やっぱり、あの生徒だから」などと、善良もしくは普通の生徒から、線引きされ、問題児リストに入れられてしまうのです。

文部科学省のホームページ、平成29・30・31年改訂学習指導要領について改訂に込められた思いに、「これからの社会が,どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。」とあります。学校では何でもかんでも皆と同じことを理由も説明せずに強制させるのに、「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,」って、おかしくないですか?

なぜ勉強するのか、なぜ皆と同じようにふるまわなければならないのか、考える余裕も機会すら与えらずに、ただ従わされているのに。

問題児リストと問題児

中学校には、問題のある生徒のリストが存在します。特別な疾患があったり、知能指数が低く勉強が遅れがちだったり、注意欠陥多動性障害や、小学校の時なにか問題を起こしたり、親の離婚や家庭環境などの情報が、詳しく記載されたリストです。

新学期が始まる前に、こうした生徒の情報を教師が把握しておくことは、授業や学校行事を円滑に進めるうえで非常に役立ちます。ただ、これにも私は疑問に思う点がいくつかあります。

特別な疾患、勉強の遅れ、多動性障害や、ある程度の家庭環境の情報は、もちろん必要です。しかし、教師が明らかに主観的に書いたであろう親の性質も記載されてしまうのには閉口します。母親がヒ○○リック、母親の〇〇が低く思〇力がなく話が〇じない、親が外国人で○○観が全く違う・・・など、マル秘・個人情報なのでここでは詳しく書けませんが、ざっくり表すとこんな内容のことが書かれ、きっと、以前に親と教師でトラブルがあったんだなと思わせるような内容でした。

自分が中学生の親になって、このようなことが書かれ、文書として残り、学年が変わっても新しい担任から先入観をもって対応されるとしたら、ちょっと、ぞっとしませんか?

ここで、私の住む地区で有名な問題児の話をさせてください。近所でも学校内でも悪名高い、男の子の話です。小学2年生だった彼は、私の家のガレージに置いてあった自転車を盗み、物音で気付いた弟がすぐに追いかけていきました。その子は、弟の大きな自転車を乗りこなせるわけがなく、すぐに道路に乗り捨てて逃げていきました。このことを彼の通う小学校に連絡すると、教頭と担任が、大泣きしているその子と、その両親を連れてうちに来ました。教頭と担任で「泥棒するなんて、なんて悪い奴だ!あやまりなさい!」と厳しく私の前で叱りました。その子は、嗚咽しながら、「ごめんなさい」と叫び、なのに親はすみませんというわけでもなく、しらっとした顔で遠いところから、突っ立って眺めているだけ。

ああ、この子は、家庭環境が悪いんだなと思い、
「自転車がなかったら、チャイム押して、貸してって言えばいいんだよ。」と彼に伝えました。

それから、3年も経って、その子は私の家のチャイムを鳴らしました。おじいちゃんの家まで行きたいので自転車を貸してほしいというのです。また盗むのではなく、勇気を出してチャイムを鳴らした彼のことを、噂に聞くほど根から悪い子ではないと判断した私は、車で彼の祖父の家まで送ってあげました。彼は、道中、おじいちゃんと釣りに行った話、好きな漫画の話をしてくれ、祖父宅に着くと、帰り道わかる?などと心配もしてくれたりしました。

それから、たびたび、私の仕事が早い時間に終わった時などに、うちにふらりと顔を出すようになりました。真冬に薄いペラペラの生地の服を着て、「寒くない?」
と聞くと、
「ぜんぜん、平気!」
と元気に答える手は、震えていました。中学に入ったら、バスケ部に入る話をし、ボロボロのバスケットボールを持っていました。うちにあるろくに使ってないバスケットボールをあげようかと言いましたが、
「いらない」
と断られました。

夕方遅くなったとき、
「もう、おうちの人待ってるんじゃないの?」
と聞くと、
「お父さんもお母さんも10時過ぎにならないと帰ってこない。ご飯は、好きなカップラーメンを選べるんだ。」
と笑って言うんです。そして、なかなか帰ろうとしない。一度帰らせても、何か理由をつけてまた私のうちのチャイムを鳴らす。
もちろん、あれから何か盗まれたなんてことはありません。

彼が中学に上がったころ、私も仕事で遅くなりがちになり、彼がうちに訪れることがなくなりました。私は中学校に勤務するようになり、その中学の先生が異動してくる前、その男の子の担任をしていたことを知ったんです。
私は、その先生に、その子がよくうちに遊びに来ていたことがあり、今どうしているのか聞くと、
「えー!危ない、危ない!」

この「危ない」は、そんな悪い生徒と関わってたんだという意味です。学校では、本当に問題児だったのでしょう。だけど、私は、その子と少しの間ですが関わって、話をして、周りが言うほど悪い子ではなく、むしろ純粋でいい子であると感じていたんです。「危ない」という言葉が、元担任をしていた先生の口から出てきたことは、非常にショックでした。

小学校のころから、問題児のレッテルを貼られていたのは間違いないでしょう。家庭でも満足な道徳教育などされていなければ、盗みが悪いって教わらなければわからないんです。問題児のレッテルを貼られた子は、ことあるごとに、「また、あいつがやったんだろう。」って都合よくやってないことまで自分のせいにされる、先生まで、「おまえだろう。」って決めつける。そういう仕組みができているのは、これを読んでいる皆さんもお気づきではないでしょうか。実は私も問題児だったので、さんざん先生にも、やってないことを私のせいにされたし、悪いことをしてしまった子もあいつのせいにしとけば先生も信じるってわかってるんです。悪い子を作り上げておけば、何かあったとき便利ですよね。問題児とされていた経験がある方なら、こうした納得いかない経験があるのでは?

悪い生徒を作り上げているのは、その生徒のことを理解しようとしない、悪い奴と決めつける、まわりの環境、家庭や学校、地域じゃないかって思うんです。

いくら彼が悪い行いをしたとしても、悪いのはその行いであって、彼自身の人格まで悪いと決めつけないでほしい、先生だったら、彼の全てを否定するような言い方はやめてほしいと思うんです。

美術の授業なんか、生徒に絵を描かしときゃいい

これは、教頭の言った言葉です。生徒には、全教科、全活動において、まじめに取り組むよう指導しておきながら、教える方は適当でいいから、面倒なことは言うな、授業研究などしなくていいという意味です。

私は、非常勤講師として中学校で美術を教えていました。非常勤講師は、時間給で、授業時間分の給与しかもらえません。授業の準備に3時間かかり、評価に2時間かかってもその給与は出ません。それは、講師として採用された時からわかっていたので、私は納得済みで勤務しました。

しかし、ある年度末、特別支援学級の授業は、新学期から受け持たなくてよい、授業自体には出なくてよいが、準備と評価だけするように暗黙の裡に決められていたのです。つまり、ボランティアを強制させられたのです。特別支援学級の授業は、集中力が極端にない生徒、手が汚れるのを嫌がる生徒、教材のにおいに敏感な生徒等いるので、通常の2倍以上授業準備にかかります。

飲食店でいうならば、営業時間内はいなくていい、仕入れと仕込み、開店準備、閉店後の売上金集計等を仕事としてやってもらうけど、その分の給料は出さないよ、これは暗黙の了解、空気を読んでやってね、ということです。

誰がやります?そんな仕事。

どうやら、空気を読んで、このボランティアの仕事を黙って受けるのが当然というのが学校の常識だったらしんです。民間企業で数年働いた経験のある身からすると、学校という職場は噂以上に、ありえないブラックさでした。

特別支援学級の美術の授業が始まる間際に、特支の先生から、いきなり、準備と評価お願いしまーす、と言われ、驚いた私は、教頭にどういうことなのか尋ねたあとの教頭の台詞が、
「美術の授業なんか、生徒に絵を描かしときゃいい。」

だったんです。管理職は、授業の質など求めていないって、気づかされました。(きつい言い方で尋ねたわけではないですよ、かなり穏便に遠慮がちに質問したのですが・・・)

中学生の皆さん、学校の偉い先生がこんな対応なら、授業を受ける方も、適当でいいんですよ。授業の内容だって、ここ何十年も大して変わってないんです。美術は、特に、半世紀くらいまったく変わってないのでは?
ICT活用?確かに、生徒に1台ずつ、頑張ってタブレットを用意しました。ですが、学校のコンピュータの活用方法って、ちょっとずれてる気がします。学校では、教育用に用意されたアプリを使うので、それしか生徒は操作できないんですよ。私の授業で、パワーポイントや、描画ソフトを使った授業を行いましたが、最初、生徒たちは、インターネット検索こそできるが、基本的なファイルの移動、保存、コピー、印刷ができない、まったくいちから週1時間しかない美術の授業で教え込むのは、大変でした。教育用アプリは、社会に出て、まず使うことはないでしょう。それより、中学1年の段階から、python等コードのシンプルなプログラミングを学習し、数学や理科のグラフを使う授業でMatplotlibやPlotlyで描画したり、中学3年には、APIやjsonを使って、Webサイトの情報を集計し、世界の地震分布図を作成したり、数学の統計で活用する方が、社会に出たときに、ずっと役に立つのではないでしょうか。

教師のモラルについて

私は、小学3年のとき、転校先の担任の先生からいじめを受けたことがあります。いじめは、私に対してだけでなく、ターゲットは複数いるようでした。静岡県東部の小学校で、当時50代くらいの女の先生が担任となり、名前は「い〇がき」と言いました。
転校した初日の朝の会で、私はクラスの皆にあいさつし、言われた席に着くとすぐ、ある儀式が始まりました。別のクラスであろう女子が、教室の横の廊下を泣きながら、他の先生に連れられて通り過ぎる。それをみた「い〇がき」が聞こえるようにその女子の悪口をいい、クラスの児童にもその女子をばかにしろ、笑えというのです。数人が「い〇がき」に従います。クラス全員、わんぱく盛りの男子まで従順で大人しく、転校してきて数分で、異様な空気を感じました。あとで知ったことですが、廊下を泣きながら通り過ぎた子は、もともと「い〇がき」のクラスの児童で、途中でクラスを替わったということでした。一人減ったクラスに、たまたま私が転校して入ってきたのです。
その儀式は、私がこの学校に通った数日間(一週間も行かなかった)、毎日続きました。朝の会の時、「い〇がき」の教室の横を、泣きながらその女子を通る。「い〇がき」がののしり、児童にもののしるように強要する。

転校してきて次の日、私は「い〇がき」に、授業中だったか、皆の前で怒られました。同じクラスの女子の悪口を言ったという内容でした。転校して間もないのに、悪口などいうわけがありません。意味の分からないことでくどくどと怒られ、謝るように強要してきました。他の子は皆黙っています。ぽかんとしてると、休み時間自分のところに来るように怖い顔で言われました。休み時間恐る恐る「い〇がき」のところに行くと、さっきと打って変わって猫なで声で、さっき怒鳴った内容とは関係のない、私の家の電話番号かなにかの事務確認で、さっきの怒鳴りは儀式だったんだと気づきました。
うちに帰って母親にこのことと、朝泣きながら教室を通り過ぎる女子の話をすると、母は学校に連絡したようです。次の日、私は学校を休みました。

その夜、「い〇がき」が、文鳥をいれた鳥かごを持って、うちを訪ねてきました。母は、先生がかわいがっている文鳥をくれるのだから、悪い先生ではないということで、ことを収めようとしましたが、次の日再び学校へ行くと、クラスを替わった女子への儀式から始まって、「い〇がき」が、ある男子に対して今おならしただろう、くさい、くさいと責め始めたので、私は気分が悪くなり、そのまま早退、二度とその小学校に通うことはしませんでした。

あとから、わかったのですが、「い〇がき」の兄は教育委員会の偉い人だったらしく、ほかの先生も、担任によるいじめを認識していても、なにも対処できなかったということです。

そういえば、私が大学生のとき、教員採用試験を受けるクラスメートが何人かいて、その一人が
「俺の親は、校長もやってるから、受かるんだ。」
と、自慢げに話していたのを思い出しました。こういう人は、出世も早いです。

旭川の女子中学生凍死事件では、教頭が「10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか」などと、被害者の母親に言ったそうですね。よくも生徒に偉そうに道徳を教えてきたなと、呆れます。

道徳的でない先生の存在は、旭川のこの教頭だけに限ったことではないですよ。

私が美術の非常勤講師として働き始めた最初の年の県絵画コンクールの募集は、提出期日の三日前に教務主任から知らされました。1か月以上前から募集要項が届いていたはずなのに。じっくり選考する余裕もなく慌てて準備しましたよ。この教務主任、とぼけるのと嘘が得意で、教えてくださいと頼んでも、とぼけて教えてくれないし、美術室にはWI-FIが届かないから、タブレットは使えないなんて大嘘つかれて、危うくだまされ続けるところでした。

地域の先生との勉強会に(非常勤講師は無償)予約したからでてほしいと、校長に言われて出席した私は、会場に入って愕然としました。
座席表には私の名前があるのに他の方が座っているので注意したら、主催の偉い先生がきて、
「非常勤だから、来ないと思った。」
遅れて行ったわけではないんですよ。
この偉い先生、不登校の子の席を排除したりしないか心配です。

こうした教師の質の悪さは、日本の学校組織自体に問題があり、これから何年たっても変わらないでしょう。

学校やめて正解です

ここまで、9000字以上も書いてしまいました。
まだ、読んでくださっている方は、きっと、学校のことでとても悩まれている方ではないでしょうか?

学校って、いいかげんでしょう?学校が、いつでもあなたを無条件で味方してくれるわけではないんです。ときには、あなたを意味もなく傷つけ、教育だからと言って強制し、一度でも問題を起こせば問題児レッテルを貼り、授業内容は適当にやってればいいレベル、教師のモラルはなっていないというのが現状です。

学校がいやで不登校になった方、学校に行かない決断をして、正解ですよ。学校は行くのが当たり前って先入観は、捨てたほうがいいんです。なにか好きなこと、興味があることはありますか?好きなことがあれば、それに没頭すればよいし、もしまだ好きなことが見つかっていないなら、これからいろんなことにチャレンジして見つければいいのです。そして、学校に行かない分、どうか、たっぷり有意義な時間を楽しんでください。

学校になじめず不登校になった生徒の親御さん、あなたのお子さんは、悩んだ末の判断をしたんです。どうして、うちの子は皆と同じように学校に行かないのだろうなんて、お子さんやご自分を責めたりしないでください。お子さんの味方になってあげてください。学校に行かなくなって、できた時間を有意義に過ごせる環境を作ってやってください。

不登校ではないけれど、学校になじめないなと思われている生徒さん、悩まなくてもいいんです。長いこの文章を読んで、学校なんて適当でいいって、わかったんじゃないかなと思います。勉強は、図書館でも、YouTubeでも独学可能ですし。学校がつらくてたまらないなら、我慢して通うことはないし、行けばまあ楽しい時間もあるなら、好きな時間だけ行けばいいんですよ。

学校の先生も、もちろん熱心な、よい先生もいるけど、だいたい、たいしたことないですから、私も含めて。今のあなたの時間を、自分のために有意義に過ごしてください。ぼーっとするのが有意義なら、のんびり、ぼーっとしてもいいんです。

学校が、嫌で、いるだけでつらく、あなたにとってマイナスなら、通う時間と労力は無駄でしかなくなってしまう。だったら、やめて正解なんです。




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