霊的な成長に遅すぎることはない
シルバーバーチという霊人の存在
シルバーバーチは、すでに霊界の住人となっているレッドインディアンで、霊界での霊媒を務める霊人の名前である。しかし、このシルバーバーチは霊媒=メッセンジャーであって、霊的摂理を送ってきているのは霊界でもかなり高い領域に属する霊団より送られてくる。もちろんシルバーバーチ自身も霊界の高い次元に属している。
霊的波長の法則の投稿でも少し触れたが、波長の法則=類は友を呼ぶと呼ばれている法則は、いかに高級霊でも、宇宙摂理を潜り抜けて魔法のように活動することはできないようである。
当然、高級霊域に向上していけば行くほど、摂理の種類や真理を理解できるようになるので我々が全く知らない摂理や法則を活用することはできるだろうと想像できる。
しかし、現世で生きる我々や死後、地上域から離れていない霊域にいる霊人は、人間性(煩悩や欲求、自我を大切にする思考)が強いので、そうした状態での霊人としての波長は周波数的に低いため、高級霊が理解できる摂理や真理を想像はできても実感したり、高次元の摂理に沿って行動する事ができないのだろうと想像する。
なぜならば物事には順序があり、段階を1つずつ登っていかなければならないからだ。春の次に秋が来ないように、太陽がいきなり昼の高さにはならないのと同じように、この宇宙には絶対的な摂理が寸分狂いなく動いている。
霊人には言語の壁はない。だが、しかし
ちなみに、霊界は想念の世界で言語的な隔たりはない。日本人やアメリカ人、部族でしか使わない言語でしか話が出来なかった民族人も、霊人に戻ると、想念で意思の疎通を図るため、言語の壁はなくなるそうだ。
ただ、死後の経過時間が短い時は、人間的な存在意識が強いため、言葉による会話もするそうで、死後の世界に住み慣れていく過程で、言葉が必要ないことに気がついていくという。
シルバーバーチは、それでも「言葉」による真理の普及に取り組みなさいという。そして、シルバーバーチの語る真理が理解できないことは単なる言語の限界と霊的成長度合いの違いであると淡々と語る。
知らないよりは知っている方が良い
ここの部分は、霊的真理が何なのかを理解する上でポイントとなる。シルバーバーチは、「知らないよりは知っている方がいい」という。
それは、人が霊的に成長し本来の人としての生き方ができるようになるには、いかに理解度は低くても、そこから学んでいき、成長するための努力をすること以外に道がないと言っているわけだ。「摂理を理解する以外にない」これは大きなヒントである。
ショートカットはないことがこれで判明している。献金すれば、利益を求めて何かすればいいと行っているのでは無い。「摂理」を理解し納得し、それを行うしかない。つまり「摂理の実践」をする事が必要だというのだ。
摂理とは何か
では、「摂理」とは何かとなってくるが、私のような低次元でも理解できる摂理の一つは「慈しむこと=愛の発揮」である。慈しむとは自他ともに「大切に扱う」行動をすることといえる。
ここの部分は、古来から言われているように「自分にして欲しいことを他者にする」行動を心がけるということになる。
自分にして欲しいことは、裏を返せば、自分がされたくないことと言い換えることができる。
例えばそれは、・陰口は言わない。・ディスらない。・揚げ足を取らない。・騙さない。・ネガティブ感情をぶつけない。・奪わない。・侵さない。といったところだろうか。
因果応報の摂理
これらを実践することで、「因果応報」の法則が働く。因果応報の法則は、原因には必ず結果が伴うという摂理が基になっている。
この因果応報の摂理も霊的成長度合いの各段階で知る真理は違うかもしれないが、子供でも理解できる範囲で説明するならば、「人に嫌なことをすると自分に帰って来る」になるだろう。
ここだけ日常生活に活かそうと心がけるだけで霊的成長は進みはじめるだろう。最初は、原始的な自分への愛から出る実践でも構わないだろう。
やがて、必ずそのままではしっくりこない時が来る。少しずつ相手への配慮からそう行動するように自然となっていく。それが霊的成長のプロセスなのだ。
知らないよりは知った方が良く、知ったらそれを実践する方が良い
シルバーバーチが「知らないよりは知っていたほうがいい」というのは、こうしたところからのスタートでも、スタートしないよりは良いという意味もあると思う。愛も無いよりは少しでもあったほうがいいということだ。
だからいい人になろうとかせずに、最初は自分の健康的な生き方のためでもいいから慈性を発揮すればいいと思う。
何度も書くが、やらないよりはやった方がマシなのだ。私ごときのブログ記事さえ、霊的真理の話題を出さないよりは出した方がいいと思って書いている。