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表現の競合:ポカリの新しいCMを残念だと感じたワケ
はじめに見た映像はメイキングだった。
イメージを実写化する試み、素直に凄いと思った。
↓ メイキング映像はこちら。
https://youtu.be/QaDx-59jKtA
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76095286/picture_pc_dc190136651970257feb5b061f290cff.jpg?width=1200)
女の子が空を跳ぶというプロットに触れて、ボクのアタマを過ぎったのはスタジオジブリの「猫の恩返し」で描かれたワンシーンだ。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76067178/picture_pc_6bbb6e027579278af53a52f58c05d12b.jpeg?width=1200)
そして沸き立つ雲に青い空のイメージは、そのまま新海誠監督の「君の名は」に繋がっていた。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76067230/picture_pc_7a30c02cf176238d616d1c39b5aff3ba.jpeg)
映像の記憶はとても強い。その映像が印象的であれば尚さらにその色彩は色濃く鮮やかに記憶される。
写真を齧っている人ならば、記憶色という言葉を聞いたことがあるかもしれない。その風景に触れた瞬間の。感情のフィルターを通して「見えた」色彩だ。
アニメーションの強さは、ある種の共通感覚としての記憶色を使って情景を描き出せるところだろう。
空間描写が優れたアニメ作品の幾つかのシーンが実写以上に記憶に強く刷り込まれるのは、物語のハイライトシーンだからということばかりではない。
ボクたちは、そうやって創り出された「エモい景色」に繰り返し触れてきている。
折に触れて心の中に浮かび上がるイメージは、そのまた記憶色に彩られた映像なのだ。
↓ 完成した75秒バージョンのCM映像を観た。
https://youtu.be/pd_4cPQS7N0
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76095314/picture_pc_918ef332925cba17693e7745519d7cdc.png?width=1200)
なんか。残念だな…
正直な感想だった。
もし、メイキングを見ていなかったら、そうは思わなかったかも知れない。いや、15秒のショートバージョンだけしか見ていなければ、素直に「いいじゃん」と思ったに違いない。
↓ 15秒バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=ouFPSh7jt2c
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76095363/picture_pc_87567cf28746a1ce729d43ecfe5200c9.png?width=1200)
シリーズ作品の難しさは、単体としての映像表現と連作のトーン&マナーを高い次元で融合させなければならないことだろう。注目を集めているシリーズであればなおさらだ。
視聴者はまことに身勝手である。
クリエイターや出演者自身が人気の要因であれば、こんなややこしい感じにはならないと思う。しかし、今回のように特定商品のイメージに焦点が当たる場合、作品自体に対する期待値と実際のギャップが評価を決してしまう。
メイキングでプロットの裏側を見せられたボクは、見事に「まこと身勝手な」妄想を働かせ、期待を膨らませてしまった。
その結果、完成版が残念な印象となってしまったわけだ。
この作品に対する制作側の思い入れの強さは想像に難くない。
メイキングにも試行錯誤の様子が描かれているし、その「努力」に対する共感は確かにある。
ただ、このプロットにはもっと相応しいというべきか、優位な表現手法があったはずなのだ。
映像情報が氾濫する時代、ひとつの映像作品に触れた人が、同時に連想するイメージが必ず存在する。
作品が高い評価を得るには、世の人々の心象に浮かび上がる「競合イメージ」より優位に立たなければならない。
「表現の競合」ということを、今まであまり意識したことがなかった。
よくよく考えてみれば、評価の対象は常に相対的なものだ。何かと比較して優れていると感じられるかどうか。
少し手厳しい表現かもしれないが、件のCMはボクの目には作り手の独りよがりに映ってしまった。
ではアニメーション作品にすればよかったのかといえば、おそらくそれは違う。二番煎じと言われるリスクが大きい。そもそもシリーズ作品のコンセプトにそぐわない。
実写でどこまで表現を追い込めるかに挑戦したのだと思うが、結局は追い越すことができなかった。ある意味、このプロットを採用した時点で敗けが決まっていたといえるのかもしれない。
しかし、少なくとも完成版だけ見せられていたら、ここまでのマイナス印象はなかったように思う。
メイキングから「こんなに頑張って作りました」的なメッセージがバチバチ打ち出されているからこその厳しい評価という側面が否めない。
期待値爆上げしておいて、なんだコレかよ、みたいなオチ。
制作側は素晴らしい作品ができたと思っていたに違いない。
それでも今一度、その評価が世間一般にどう受け止められるかを冷静に見つめ直すプロセスを持つべきだったと思う。
15秒バージョン、75秒バージョン、メイキング、すべての映像を世に送り出すべきか否か。
表現の競合(=視聴者の心象イメージのコンフリクト)を想定するというプロセスは、まだ実装されていない概念だと思う。
ましてやコストをかけて制作した作品をお蔵入りにする判断を、メーカー自身が持つことは困難きわまりない。
それでも、映像コミュニケーションを介してブランドイメージを高めポジティブなUGCの生成を促しLTVの向上を図ろうとするならば、受け手の評価がどのようなものになるかを探究し、至適解に至るプロセスを考え抜くべきだろう。
ボク自身も制作側に携わる者としてメイキングには憧れるし、作ったものならば世に送り出したいと思ってしまう。
作る側が陥りがちな盲目を、どこまで意識できるか。
難しい課題ではあるけれど、他山の石とできるよう精進していきたいと思う。