“OPEN” 解説
この曲は、
「何のこっちゃ」と思う人が多いと思います。
それもそのはず。
僕の周りの環境を描いているのですから!
だから、
大体が届いてくれれば、いいのです。
大体が。
“雪の降る 寒い朝
鳴き喚く ブタの声
太陽はまだ 山に隠れ
昨日の空が 広がっている”
僕の曲は、
出だしに情景を描くことが多いなぁと
自分でも思います。
そうです。
僕はブタを飼っていました。
ミニブタとかではなく、
みなさんが食べているような、大ブタです。
冬は、太陽よりも早く起床して
ブタにご飯をあげに行きます。
そんな風景を思い浮かべて頂けたらなぁと思います。
“命を大事にすることは
その命を感じること”
どうした、どうした!
いきなり命の話をし始めたぞ!(笑)
でも、寒い朝に、ブタの声で目が覚めて、
バクバク、ムシャムシャ、ブヒブヒとご飯を食べる
ブタさんを見ていると、
なんだか五感で命を感じるのです。
“命を感じることは
当たり前に気づくこと”
“感じる”って、不思議な感覚です。
“いつだってそこにある”のに、
何も”感じない”こともあるのだから。
逆に、突然、不意に、”感じる”事もあります。
“あたりまえ” を感じるのは、
なかなか簡単な事じゃありません。
だからこそ、”あたりまえ”なのです。
“命を感じる”って、
”あたりまえ”を見つける事だと思ったのです。
“命を大事にすることは
みかんでりんごを作るような”
みかん!りんご! どこから出てきたんだ!
うんうん。そう思って当然です。
この曲を描いてる時に
僕の目の前にあったのが
“りんご”と”みかん”だったのですから。(笑)
でも、”みかん” も “りんごも”
お互いにはなれないんだなぁ と、
ふと思ったのです。
僕は、
みかんはみかんで好きだし、
りんごはりんごで好きです。
どちらかがあるから、
どちらかがいらないとは、ならない。
“命を大事にする”とは、
「他の誰かでもいい」のではなく、
「あなたがあなたである意味」を
認めてあげることに近いと、僕は思います。
“愛を言葉にするような
そんなことじゃないと思うんだ”
さらにこの曲では、
“愛を言葉にする”ことをじゃないと言います。
これは最初の方の話にも通じますが、
“いつだってそこにある”ことと
“あたりまえを感じる”のが違うように、
“愛”に当てはまる言葉を探すよりも
大事なとこがあるのではないか?
と言うことが言いたいのです。
“命を大事にすることは
その命を感じること
命を感じること は
当たり前に気づくこと”
もう一度繰り返して歌います。
ブタさんの話ともう一つ、
この冬の朝に思い出があります。
僕は牛も飼っていました。
一般的な農場の牛は、
1年で出荷されていくのですが、
僕が飼っていたのは商用ではないので、
メス牛は基本的に乳牛として育て、
雄牛は2歳の歳に肉にしていました。
ある年の冬、子牛が生まれることになりました。
これまでも何度もお産に立ち会ってきたのですが、子牛が生まれるのは、何度でも嬉しいものです。
僕は出産の半年前から何という名前を付けようか考えて、待ち望んでいました。
1月のある日、子牛が生まれました。
生まれてきた子牛は、奇形でした。
獣医さんに診てもらうと、「アカバネ病」という、妊娠中の母牛に蚊を媒体とするウイルスが感染してしまうことで発症する、治療法のない病気でした。
「長くは生きることができない」と言われたのですが、
毎日ミルクが欲しいと鳴くので、
僕は藁を敷き、ミルクを飲ませてやりました。
基本的に子牛はすぐに立ち上がるのですが、
その子は立ち上がることができず、
日に日に弱っていき、
2日目にはミルクを飲みこむことができなくなりました。
それでも、おなかを空かせ、鳴いて、必死に生きようとしている子牛を、僕は藁で擦り、温めていました。
そして4日目の早朝、僕の腕の中で静かに息を引き取りました。
僕はこの経験を通して、命の尊さと、
元気に生きるという事は当たり前ではない事を、
頭ではわかっていたものの、
改めて感じさせられたのでした。
“命を愛することは
ありがとうを言えること”
僕の中の結論です。
“当たり前を感じる”のは難しい。
だから、”ありがとう”は
“有り難い”ことへの感謝の言葉なのです。
“命を大事にする事は
その命を感じること
僕が今、生きていること
当たり前に気づくこと”
命を大事にする。
僕が今、生きていること。
当たり前は、有り難いこと。
僕と出会った、全ての命にありがとう。
まだ出会っていない、命にもありがとう。
会うことの出来ない命に、ありがとう。
この曲は、当たり前を忘れてしまう僕への、
立ち返りの意味も込めた曲です。
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