“ねぇ神さま” 解説
この曲は、
ナイト de ライトさんとのライブで
初披露した、思い出の曲です。
音源として公開するまでに、3年かかりました。
「愛」をテーマにした曲なのですが、
時々、すごく責められてるようにも感じます。
“ねぇ神様、
一度でいいから
この口を清めてください
あぁ僕は、なんで生きてるのだろう
勝ち取ったわけじゃないのに”
高校時代に読んだ本の中で、
子供がお父さんに、
「僕は産み落とされたんだ。
選択したわけじゃ無いのに。」
と言っていたのですが、
その言葉がなぜかすごく記憶に残っています。
僕が今生きているのは、
何か偉い事をしたわけでも、
何かすごい事をしたわけでも無いのです。
僕が今、当たり前にご飯を食べれるのも、
暖かい家の中で、
ゴロゴロと「暇だなぁ」なんて言えるのも、
「宿題めんどくさいな」なんて言えるのも、
僕が勝ち取ったわけじゃないのに。
それなのに、僕は、
足りないものばかり目についてしまいます。
“ねぇ神様、
一度でいいから
この僕を叱ってください
あぁ僕は、なんでくやしいのだろう
足踏みしていただけなのに”
勝ち取ったわけじゃないのに、
生まれてきた僕。
どこか責任感で生きているようにも感じる僕は、
頑張ってもないのに、
「悔しい」なんてよく言います。
「後悔」って、
頑張った人が言えるセリフです。
努力ができるのに、努力せずに、
「後悔」だなんて、
なんて幸せな悩みなんでしょう…。
「責められてるように感じる」と
最初に書きましたが、
それはきっと、
その自覚があるからだと思います。
そんな事を思い出させる為の、
自分への戒めの曲でもあります。
“この世界に平和はない
争いがないことが平和じゃない
僕らの愛が、実を結ばなくとも
誰もが夢をみれるように”
よく、「最悪だ」なんて言うけれど、
僕がどれだけ幸せ者なのかは、
僕が1番わかっています。
生まれながらに、夢を見ることもできず、
選択肢すら選べない人が、
この世界にたくさんいる事を、
僕は知っているはずなのに。
「平和ってなんだろう?」と考えた時、
僕が現状、答えるとするのなら、
「誰もが夢を見れる世の中」です。
“ねぇ神様、
一度でいいから
誰かを愛してみたい
あぁ僕は、なんて幸せなんだろう
失うことに気づくのだから”
「失ってから気づく」って
よくラブソングで歌われていますね。
当たり前の事ですが、
「失う」と言う事は、
「持っていた」という事です。
現代では、
携帯電話が当たり前に使えますが、
山の奥へ行った時や、災害時、
電波が入らなくなった時に、
「不自由だ」なんて思うけれど、
携帯電話がない時代には
そんな事思いませんでした。
それはきっと、
「持っているから」なんだと思うのです。
“OPEN”と言う曲でも歌っていますが、
「当たり前を感じる」のが、
僕にとっての”愛するという事”です。
“ねぇ神様、
一度でいいから
僕を抱きしめてください
あぁ僕は、きっとさみしいんだろう
満たされているはずなのに”
今まで言ってきたことは、
「お前は幸せ者なのに、欲張りだ!」
みたいな事ですが、
そんな僕でも、やっぱり、
「満たされてるはず」なのに、
「寂しい」と思ってしまうのも事実です。
そんな気持ちを、
恥じる必要はないと思います。
それも、自分なのだから。
望まずに産まれてきたのだから、
自分に優しくあってもいいじゃないか、と。
“この世界に平和はない
人の命だけが尊いわけじゃない
僕らの愛が、実を結ばなくても
誰もが夢をみれるように”
「命の尊さ」は、
どこから来るのだろう?と
僕はよく考えます。
現代の日本で人が殺されるとニュースになります。
でも、戦国時代はそんな事なかったでしょう。
戦時中も、そんなこと無かったでしょう。
ならば、「命の尊さ」は普遍的ではない…?
動物が殺されても、
植物が殺されても、
地球が悲鳴を上げても、
あまりニュースにはならない。
「尊さ」ってなんだろう?
「命の尊さ」は、
どんな世の中でも普遍的であって欲しい。
僕はそう思うのです。
それは、
僕の願いでもあり、戒めでもあります。
“ねぇ神様、
一度でいいから
この僕に力をください
そして僕は、生きるのだろう
この命を感じながら
小さな光をともして”
選択出来ずに産まれてきたのに、
僕1人がいなくなったところで、
世界は何も変わらず回り続ける。
悲しむ人がいても、
時間が経てば薄れてく。
それは悲しいことだけど、
だからこそ、僕は、
この命を、感じながら、
生きていきたいと思うのです。
この音楽グループの名前である
“Matchstick”の意味でもありますが、
こんな小さな光でも、
僕はその光を信じて、
今日も生きていきます。
そんな思いを込めた曲です。
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