息子の算数にはじめて向き合った
子どものころ、算数はきちんと式を書いて解くよう言われていた。
当時の私は、なぜ脳内処理でできることを式に書く必要があるのかがとても不思議だった。しかし、これは中学受験の中級レベルまでの話し。(平凡な私にとっては)難関レベルになると全く歯が立たなくなる。
平凡な私には、問題を解くために丁寧に式を書く習慣が必要であり、これを怠ったことは大人になった今でも大きな尾を引いている。
息子の算数と向き合う
息子が塾に通うまでは、彼の勉強には余り関心がなかった。
時折、小学校の作文に目を通しては、表現が面白いや創意工夫がないなどを茶化すだけ。
算数については全く確認をしてこなかった。公文に通い、Z会もしているのだから、それなりにやっているものだと思っていた。
しかし、その見通しは甘いものだった。
浜学園の実力公開テスト(11月)の計算用紙を目にしたときに、その適当さに呆れ、開いた口がふさがらなかった。
「小学生のときの私と全く同じ解き方をしている。」
自分の遺伝の強さを、これ以上恨んだことはない。
問題用紙と計算用紙には、思考を表す記載は一切されていない。
暗号のような汚い数字が書かれているのみだ。計算間違いを起こすし、考えがまとまらずに途中で思考が停止している状態になっている。
このような解き方で、偏差値50がよく取れたものだと思うが、訓練されていない小学3年生の算数なんてこんなものかもしれない。
(だから偏差値50なんだとも思いつつ。)
さらに驚いたことは、妻と息子に今までの勉強の仕方を確認したときだ。
私「Z会の算数を勉強したときのノートを見せて欲しい」
妻「ノートはない。白紙の紙で計算している」
私「(絶句)」
妻と息子が悪いわけでは決して無い。
算数が苦手と言っている妻の話をろくに聞かず、息子の勉強に関心を持ってこなかった私が悪いのである。
さあ、どうしたものか。
息子と妻との約束事
テストの結果と勉強方法を踏まえて、週末に3人で作戦会議を立てた。
息子には、
「毎日頑張っているのは知っている。素晴らしい。でも、同じ時間使うのであれば、もう少しいい方法がある。やり方だけ変更して欲しい」と伝え、
妻には、
「毎日嫌なことを言いながら勉強を見てくれてありがとう。これからサポートしてくので、チェックするポイントを見直して欲しい」と伝えた。
そして、息子と妻と3つの約束をした。
息子との約束。
算数用のノートを作ること。そのノートに、式と計算式の全てを書く。
式と数字は丁寧に書くこと。
間違えたときに、その原因をきちんと考えること。
妻との約束。
算数用ノートと問題は全てファイリングしておくこと。
間違えた問題は日を改めて複数回解かせること。
ノートを確認して、極端に字が汚いときは厳しく注意すること。
ちなみに、私は妻と息子に約束をしていないが、2つだけ心がけていることがある。
1つ目。
息子が受けた算数のテストは当日中に解くようにする。
そして、そのプロセスは全て紙に残し、必要に応じて妻に説明するようにする。小学3年生の算数なので難しい問題はないが、これから先の難問に戦々恐々としていることは家族に秘密だ。
2つ目。
私から息子に極力勉強を教えない。
これは自身の体験を踏まえてだが、父親から勉強を教わる以上のストレスはない。遊び仲間、そして時おり怖い父であるくらいが、彼のストレスマネージメントにおいては丁度良いと思っている。(このことは妻に説明した上で合意を得ている。)
難しい問題は全て私から妻に解説し、日中に妻から息子に解説するようにしている。どうしても解説が難しい問題のみ、日曜日に息子に教えるとしているが、まだその状況になったことはない。
まとめ
作戦会議は、11月中旬に行った。
そこから1ヶ月が経ち、12月中旬に二回目の公開学力テストを受けた。
結果は算数の点数が4点上がり、偏差値は1〜2ほど上昇した。
計算用紙を確認すると、計算問題の写し間違い(2355で計算するはずが2533で計算している)や解答の書き間違いなどで12点失っていたが、それは今後修正していけばいい。今は注意したことが少しでも改善できていることが大事であり、それを褒めることが重要だと思っている。
結果や失敗以上に、解けた問題を見直した形跡があることと、思考プロセスを書き記していたことに成長が見られた。
僅かな成長かもしれないが、成功体験を重ねることが自信に繋がるので、盛大に褒めたのは言うまでもない。
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