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小説 喫茶店 第5話

第5話

Sは、探し続けていた。毎日、朝から晩まで、あの女性を、探し続けていた。

どうやら一目惚れしてしまったらしいと、Sは思った。この前、喫茶店に行く道すがら、最後の十字路で出会った、あの素敵な女性に。

独り身の寂しい生活を送っていたSは、すっかり彼女の虜になってしまっている自分を感じていた。
あんなに疲れ果てた状態で倒れこんていた自分を無視して通り過ぎることなく、彼女はわざわざ近寄って、優しく引き起こしてくれたのだ。

ほんの一瞬の触れ合いではあったが、疲れ果てて心も折れかけていた自分に優しくしてくれた彼女の存在が、Sの心の中で大きな部分を占めるようになっていた。

前回の喫茶店であんなに大きな時計が出てきてしまったということは、自分の時間が大きく削られたに違いない。
ということは、疲れを取って元気になりたいという望みのほかに、彼女と一緒に暮らしたい、ということが望みとして捉えられてしまっているはずだ。

だとすれば、自分にとって、あまりにも大それた望みだろう。自分に残された時間はもう余りないだろう。

大きな、大きな時計が出てきたときは、とても動揺したSだったが、彼女と暮らしたい、と思ったことについては、不思議と後悔はなかった。それほどまでに、彼女に一目惚れしてしまっているのだろう。

残り少なくなってしまった自分の人生の中で、最後の恋と言えるチャンスが巡ってきているのだと、Sはそう思った。人生の残り時間が、あとどれくらいあるか分からなくなった今、自分が一番望むことをやるべきだと、Sは強く思った。

このまま人生が終わっては後悔してもしきれない。生きてきた甲斐がない。せめて、あの彼女に、自分を助けてくれたお礼をもう一度言うまでは、そして自分の思いを伝えるまでは、死んでも死に切れないと、Sは思った。

あれほど、時計は大きかったのだ。自分の時間は大きく削られてしまっただろうが、その代わり、必ずあの時の願いは叶られるはずだ。そうであれば、きっと彼女と出会えるはずだ。うまくすれば、一緒に暮らせるかもしれない。

契約社員の仕事は、病気を装って休むことにした。 やっと手に入れた契約社員の 職ではあったが、しばらくの間過ごせるだけの蓄えは手元にあったから、思い切って休んだ。

残りの時間が自分には余りないのだ。やりたいことをやるべきだ、やっておかなければ、と強く思った。全力を尽くして、彼女を探そう。そう決めた。

そして、Sは、思い当たるところを探して回った。毎日毎日、1日中、彼女を探した。

あの日、彼女と出会った時、彼女は、大きめのレジ袋を腕に下げていた。きっと買い物をした後だったのだろう。確か、あのレジ袋のデザインは地下鉄駅前にあるスーパーのものだったような気がする。

そしてあの後、彼女が歩いていった方向は、地下鉄の駅と離れる方向だった。ということは、つまり、きっとこの街のどこかに住んでいる可能性が高いのではないかと、Sは推測した。

しかし、あれから1週間、この街を中心にくまなく歩き回り、探し続けたが、彼女に再び出会う事は未だ出来なかった。彼女と出会った十字路付近を、朝から夜中遅くまで行ったり来たりした日もあった。しかし、彼女は一向に現れなかった。

Sは、分からなくなってきてしまった。この前、喫茶店で出てきた、あの大きな時計、人生の時間をほとんど奪うかのような、あの大きな、大きな時計は、ただ、自分の元気を取り戻すためだけのものだったのだろうか。あんなに大きな時計だったのに。

確かにあの日以来、元気が続くようになっていた。1日の終わりには、さすがに疲れを感じはするものの、一晩寝た翌朝には、元気が戻るようになっていた。

それまで感じていた、見えない鉛ように重たい塊が常に体の奥にあるような、辛い体の疲れはほとんど感じなくなっていた。そのこと自体はとても嬉しかった。

しかし、そのためだけに、人生の大半の時間が費やされて、もうすぐ人生の終わりを迎えるとしたら、全く本末転倒だと、Sは思った。人生を有意義に過ごすために元気を求めたのであって、元気になるために人生を使い果たしたいわけではない。

とにかく、彼女に会いたい。一目だけでもいいから会いたいと、Sは思った。

ふと気が付くと、Sは、彼女と初めて出会った十字路に、また、戻ってきていた。そして、途方に暮れて、その場に立ち尽くした。

「ああ、彼女に一目会いたい。」と、天を見上げて、Sは思った。

To Be Continued

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