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母の日 2024

 妹と私で母の日に帰省。三人揃うのは久しぶりで、母は喜んでくれた。

 母は、もちろん毎日ではないが、デイサービスに通い、週末は宿泊利用もしている。齢なりに、脳内の海馬も衰えはじめ、医師とケアマネさんと相談して、デイケアも併用することにした。妹とともに帰省したのは、それに向けて医師と相談するためだった。 

  介護については、明確な分類(LEVEL)が存在する。つまり、日常生活を送るにあたって、どの程度の介護(介助)を必要とするかを表す指標があるということだ。それは「要介護度」と呼ばれる。一般的には介護保険制度の要介護認定の段階を指し、「自立」「要支援1~2」「要介護1~5」の計8段階がある。ひらたく言えば「介護も介助もいらない人」「支援が必要な人」そして「介護が必要な人」の分類だ。

 要介護度は、さらに細かく分けることができ、「要支援1~2」「要介護1~5」「自立(非該当)」の合計8段階に分類される。要支援や要介護の認定を受けると介護保険が適用され、要支援1~2であれば介護予防サービス、要介護1~5であれば介護サービスが利用できる。(下記参照)

①自立 :  日常生活に支援や見守りが必要ない。
②要支援1 :  基本的な日常生活動作は自分で行えるが、一部動作に見守り   
       や支援が必要。
要支援2:  筋力が衰え、歩行・立ち上がりが不安定。介護が必要になる可
      能性が高い。
要介護1:  日常生活や立ち上がり、歩行に一部介助が必要。認知機能低下  
      が少しみられる。
要介護2 :  要介護1よりも日常生活動作にケアが必要で、認知機能の低下
      がみられる。
要介護3 :   日常生活動作に全体な介助が必要で、立ち上がりや歩行には 
      杖・歩行器・車いすを使用している状態。認知機能が低下し、
      見守りも必要になる。
要介護4 :   要介護3以上に生活上のあらゆる場面で介助が必要。思考力や
      理解力も著しい低下がみられる。
要介護5:    日常生活全体で介助を必要とし、コミュニケーションを取るの  
      も難しい状態。

 要支援とで受けられるサービスは「介護予防サービス」と呼ばれ、地域包括支援センターで申請する。要介護で受けられるサービス は 「介護サービス(居宅・施設)」と言われ、居宅介護支援事業者で申請することになる。

 要支援から、要介護認定に至るまで、それなりの日数を要した。医師の診断も何度もとり、ケアマネさんには再申請を繰り返してもらった。行政の判断に委ねるしかないのだが、その担当者次第という事実も歴然と存在するそうだ。母のように、四肢が健康で、日常生活がこなせる場合は、特にハードルが高い。認知症も、加齢による忘れっぽさとは明確に違うという医師の診立てがあって初めて審査の俎上にのる。介護予算の不足が慢性化する行政からしてみれば、安易に認定できないという事情もあるのだろう。独居状態の老人も「独居可能な健康な高齢者」と記載されてしまえば、介護認定は得られない。それゆえに不幸な生活を強いられる老人とその家族がいることは容易に想像できる。地方差も大きいと聞く。施設の数や利用状況にもよるところが大なのであろう。概して都会は「狭き門」となるのかもしれない。

 ともあれ、母は認知症を患い、その診断に基づき介護が必要と認定され、いくつかの介護サービスが受けられることになった。

 精神科の医師は、MRIの画像をモニターに映して、私に説明してくれた。脳内の海馬とよばれる、左右に一対あるタツノオトシゴのような器官。これは記憶を仕分けするコンダクター役のような機能を持ち、これが縮小してくると、いわゆる記憶の「溜め置き」ができなくなり、新しい記憶をすぐに失ってしまう。仕分けされ、大脳に格納された記憶は、「古く」なってもあまり損なわれず、ただただ「今」の記憶がファイルされなくなる。これが母の認知症の原因らしい。昔のことは思い出せても、今のインプットがない、ひと言でいえばこういうことらしい。

 関門海峡に面する埠頭の広場には小さな遊園地がある。 母と妹と、夕食のあとこの遊園地に立ち寄る。三人揃っての遊園地は、おそらく1970年の大阪万博以来だと思う。
 母の手をとり、観覧車に乗る。母は喜んでいる。「きれいやね」海を挟んで門司港の夜景が広がる。ライトアップされた関門橋も見える。あたりまえだが、高所から見下ろす夜景はとてもきれいだ。灯台や誘導灯の発する光も眼下に見える。

 母と並んで座る妹。顔が母に似てきた。声も似ている。折り合いが悪い時期もあったのかもしれないが、妹は母を、ある意味、ロールモデルにしてきた。母はまったくそうは思ってないだろうが、きっとそうなんだと思う。

 私たち以上に童心にかえった母の笑顔を見ながら、過ぎた年月と今の笑顔に至る母の人生を勝手に想像して、私も小さく笑った。

【2024年5月】
 三人で食事して、ドライブして、観覧車にも乗れて、とても楽しい一日でした。母さんと観覧車にのったことあるかな?少なくとも三人でのったのは初めてですよね。はしゃぐ母さんと、それを見て笑うチエミの顔がとてもよく似ていてびっくりしました。

 あんなに嫌いで、そこを出るために努力して、上京してからは顧みることをしなかった私が、今、とてもこの故郷のことをかけがえのないものだと思い始めています。もう遅いよ、と空の上の父さんから笑われるかもしれませんね。

 この街が大好きです。

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