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ごんぎつねを読む②
早速、「ごんぎつね」の内容について書いていきます。
この話は、孤独でいたずら好きの狐ごんが人間の兵十との関わりの中だ心情が変化し懸命に償いをするも理解されぬまま兵十に撃たれてしまう4年生国語の定番の作品です。
みなさんは、この作品のどこに魅力を感じるでしょうか。
私はやはり叙述から内容と関連付けて読み解くことでその魅力の奥深さを感じられると思います。
まずは、兵十とごんの関係性。読んでいくと、独特な感覚になるのがこの作品の魅力でしょう。
ごんは、いたずらをしたり、兵十の様子を観察したり、償いをしたり…。一方兵十は、ごんの存在を認識しつつも人間としての日常の中で生活を営んでいる。
ごんからすると、兵十のことが気になって気になって仕方なく、一方的な思いを寄せていくので、勝手に兵十との距離を縮めていきます。その様子も見事に表現されています。
ごんにとってはかけがえのない存在へと変化していく兵十ですが、兵十からするとごんはあくまで自分の生活のほんの一部として存在する厄介な害獣です。
とはいえ、ごんのせいで痛い目にも遭い、母親を亡くし、不思議な出来事にも遭遇しているので、ごんからもたらされる影響が大いにあります。絶妙さもあり、あくまで一方的なすれちがいの関係をベースとしているのです。
そうして、読み手はごんの心情だけでなく、自然と同じ人間であり、個性的でなくまともで平凡なキャラクターの兵十に同情してしまうように作られています。この独特な感覚を味わえる作品はなかなかありません。
では、この両者の関係性から生まれる独特な感覚の正体は何でしょう。ただすれ違いなだけでしょうか。そうではないと思います。
まず、ごんに注目してみます。ごんのテーマは「罪」です。寂しいからといって、貧しい兵十の気持ちも考えずにいたずらをして楽しんでいる姿は罪深く、加害者としての姿をありありと示しています。
一方兵十は被害者であり、健気に真面目に働き生活を営む善人です。しかも、ごんとちがって分別のある大人の男であります。実際、殴られても反論もしないし、母親が死んでも気丈に振る舞い、不思議なことをすぐに「神様だ。」と盲信するでもない冷静で賢い男です。
だから、ここにギャップが生まれます。つまり、
ごん→思いを寄せる。
兵十→厄介だがあまり相手にしていない。
というすれちがいだけでなく、精神的な面においてもかけ離れた両者なのです。読み手は、このことから、ごんにとって兵十が友達になれるような相手ではないように映るのです。この縮め難い距離感があることで、すれちがいだけでなく、両者の決定的なギャップを感じ取れるのです。だから、ごんの視点で読んでも、兵十の視点で読んでもこのギャップがついてまわり、この作品特有の感覚になります。
読めば読むほど兵十の人間性に魅力を感じ、ごんと同じように兵十に思いを寄せていく仕掛けになっているように思われるのです。