水草とワタシ10                  〜コケの生命力〜

 気がつくと内側のガラス面だけでなく外掛けフィルター吸水口付近も薄らと緑色に覆われ始めている。水換えをしないと緑色の薄いベールが水槽の各所を覆っていくのは、まるで掃除しないと部屋に積もっていく灰色の綿ボコリに似ている。ただ、ホコリと違って積もって行くそれはコケ。生物であって条件がそろえば、自らの意志?で自然と増殖する。ホコリはホコリを産まない。プラスチックであろうと、金属であろうと、石やら鉱物であろうと、同じ植物の水草にでも表面を覆い勢力を伸ばし続けるコケの生命力はなかなかのもの。
 地衣類という言葉があるが、地表を緑の衣で覆うという意味で、なかなか適切なネーミング。コケも含めて地衣類というのかと思っていたら、どうも違うらしい。森や林などの少し湿った暗めの環境を好み、光を求めながらも上へ上へと垂直に伸びる一般的な植物と違って、地を這って横へ横へと水平に広がる植物を総称して地衣類とされているのかとボンヤリ思っていた。実際の地衣類という分類は、菌類の菌糸に光合成が可能な藻類が共生した形の生命体のことを地衣類と呼ぶらしく、世界に2万種、日本にも1800種いるという。菌類と藻類の共生生物として、ひとつの生き物と捉えてもよいが、菌類と藻類それぞれ単体生物が一緒に住んでいるコロニーとも言える、不思議な生命体でもある。
 木や花や草などの一般的な植物、コケ、地衣類いずれの生命にとって光合成のもととなる光、その源は結局は太陽。太陽の光は、生命を維持し、繁茂するために大きな要素。アクアリウムをやり始めて、こんな小さな水槽でも(だから?)光の照射量によって、コケが大発生したり、落ち着いたりと大きく影響することに気づかされる。LEDの光も、もとは太陽光由来の電気とも言える。電気も太陽光発電はいわずもがな、化石燃料由来、あるいは風力、水力にしても、すべての源はなんらかの形で、お陽様のエネルギーに由来している。燦々たる太陽の光の偉大さ、、、、お天道様の御陰。      
 ブライアン・オールディスの『地球の長い午後』という古いSFがあって小説の舞台は遠い未来の地球。未来の地球は太陽に一方向を向けたまま、自転が止まってしまっている。太陽を向いている半球は灼熱の気候。猛烈な熱帯化が進み、植物が異常に進化をとげ、逆に人間はどんどん退化し文明も衰退し非力になってしまう。巨大化し動物のように動く植物は人間を襲い、僅かばかりに生き延びた人間が植物に生命を脅かされながら生き続けていている。小説には、陸生の植物だけではなく、海の水草、海藻も同じようにグロテスクな怪物となって、陸にいる植物と獲物となる人間を奪い合う壮絶なシーンがあったり。変異をとげた植物が、奇怪な、動物のように足をもって動いたり、鳥の様に羽をもつまでに進化し、地球上で最強の生物として生存競争を繰り広げていくというお話。巨大な蜘蛛の様に進化した動く植物ツナワタリは、月に向かって蔓?糸を伸ばして地球と月とを行き来する。そしてなんといっても、知性をもった寄生菌類アミガサダケは、自身の種が繁栄し地球が自分の子孫で覆い尽くされる事を夢見て、人間の少年に取り憑いて自分の思うがままに操りそれを実現させようとする。少年は取り憑かれたアミガサダケに操られながら、その知性を巧みに利用し過酷な世界を生き延びようとする。寄生菌類と人間のある種の共生関係をつづけながら旅をして物語は進んでいく。荒唐無稽ではあるがなかなか娯楽作品としても楽しめ、独特の世界観が面白い小説ではあった。
 その小説の冒頭は刺草苔(イラクサコケ)というコケが眠りからさめ、子供を襲うシーンから始る。そんな小説を思い出しながら、この緑色に覆われたコケ達にあまりLEDの光を与えすぎてそこら中に繁茂し、進化して、おとなしく水槽のなかだけでおさまらず、変に眠りからさめてもらうのもこまったもので、光の量は程々にしないといけないなどと思ったり。思わなかったり。


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