見出し画像

【美術展2024#71】西川勝人 静寂の響き@DIC川村記念美術館

会期:2024年9月14日(土)〜2025年1月26日(日)

ドイツを拠点に活動する西川勝人(1949–)は、光と闇、その間の漠とした陰影に心を配り、多様な技法を用いた作品を、40年以上にわたり手がけてきました。抽象的なフォルムをもつ彼の白い彫刻は、木や石膏を用いた簡素な構造ながら、表面に淡い陰影を宿し、周囲の光や音さえもそっと吸い込んでしまうように、ただ静かにあります。存在を声高に主張することも、個性を高らかに示すこともしません。写真や絵画など、彫刻以外の制作においても、これは変わることのない最大の魅力です。

本展は、1980年代より現在まで、一定して静けさという特質を保持し続ける西川作品の美学に触れる日本初の回顧展です。彫刻、写真、絵画、ドローイング、インスタレーション、建築的構造物の約70点が、作家自身の構成によって展示されます。静寂が拡がり、静謐さに包まれた空間で、私たちはどのような情景と出会うのでしょう。日常から隔たった美術館という場において、観想に耽る一人ひとりのための展覧会です。

DIC川村記念美術館


千葉市美術館「Nerhol展」からの千葉巡り2館目はDIC川村記念美術館。

運営元のDIC株式会社は印刷インキや有機顔料等では世界トップシェアの化学メーカーとのことだが、私にとってはあまり関わりがない会社で、そもそも名前の語感から化粧品会社か何かかと思っていた時期もあったほど、運営会社については気にかけていなかった。
だがある時、実は馴染み深いこれ↓なんかも作っている会社だと知り、目から鱗が落ちたものだ。


さて、2025年春から休館を発表しているDIC川村記念美術館。

現在開催されている西川勝人展が2025年1月下旬に会期終了した後は、フィナーレとしてコレクション展を開催するために休館開始を3月下旬まで延長するとのこと。
ただ、企業の私設美術館の宿命か、やはり株主の意向や本体の経営状況に抗ってまでメセナを続けるのは限界があるのだろう。

今までもセゾン、東武、伊勢丹、三越、小田急等の企業系美術館が根こそぎ閉館していった時代を目の当たりにしてきたし、それ以外にも老朽化や借地契約終了等により惜しまれつつ館の歴史を閉じた美術館も多数記憶に残っている。

DICはコレクションを多数持っているため維持・管理・運用には並々ならぬ予算と体力を使ってきたことだろう。
移転するのか運営自体を中止するのかはまだ定まっていないようだが、いずれにせよ貴重なコレクションがいいとこ取りされてバラバラのスカスカになってしまったり、主要作品だけが国外へ流出してしまうような事態は避けてほしいと切に願う。
実質的には閉館が既定路線なのだとは思うが、その後の作品の行方については日本の各美術館でがっつりスクラムを組み、受け入れに向けてなんとか頑張っていただきたい。



美術館脇にはフランク・ステラの彫刻が。
一見ただの鉄屑の塊。というか本当にただの鉄屑の塊。
ステラの名前がなかったらこの巨大な塊そのものに価値を見出すのは難しい。
美術館側の依頼により、ステラが周辺環境を考慮した上で制作したそうだが、確かにこの場所の緑の中でこそ(逆説的に)映える作品だと思うので都心の美術館への売却や移設はなかなか難しそうだ。
次なる場としては都心から離れた箱根彫刻の森美術館のような、綺麗に整備された人工的な広い庭にドーンと設置するのがこの作品の正しい見せ方のような気がするがいかがだろう。

《リュネヴィル》1994 フランク・ステラ 


1990年開館の建物はやはり今となっては数世代前の雰囲気は否めない。

設計:海老原一郎  施工:竹中工務店
館内写真・ビデオ撮影禁止のオールドスタイル


マーク・ロスコやフランク・ステラのコレクションが特に有名だが、イギリスのテート・モダン、アメリカのフィリップス・コレクション、メニル・コレクション、そして日本のDIC川村記念美術館に分散し収蔵されているマーク・ロスコ作品《シーグラム壁画》はこれ以上分散させずになんとか日本国内で死守してそのままどこかに引き継いでいただたきたい。
それはロスコ本人が望んでいたことでもあったはずだ。



さて、本題の今回の企画展「西川勝人 静寂の響き」だが、私は今回初めて知った作家だ。
ドイツ在住で現地で活動しているとのことだが、調べてみたら過去に何回か日本でも紹介されていた。
2015年の森美術館での「シンプルなかたち」展にも出品されていたようだが、う〜ん、ほとんど記憶にない。

展覧会チラシ


2階に上がって企画展最初の部屋には《フィザリス》と題されたガラス作品が床に置かれる。

窓からの光を受けてキラキラと輝いている。
覗き込むと外の風景をなんとなく感じることができる。

「休館」というパワーワードが脳裏にちらつくため、どうしてもそれと関連付けて作品を見てしまう。
この場所の光を閉じ込めて未来へ残すタイムカプセルのようにも見えた。


壁面に掛けられた作品《静物》は色のついた何枚かの半透明なパネルを重ねて混色された色が最前面に見えるが、真横から層を見ると一枚一枚結構違う色をしている。
規則的に並ぶパネルに対して、色は不規則に配置される。
色そのものにはそれほど意味は無いのかもしれない。
こちらは光を吸収し写し出す印画紙のようにも思えた。


奥の部屋では大きな室内に天井から自然光が注ぐ。
腰ほどの高さの壁によって整然と9つのブロックに区分けされ、その中を迷路のように進む。
この壁そのものも《ラビリンス断片》という名の作品だそうな。

壁の上には陶作品が置かれる。

塔のような、ビルのような、
建築物のミニチュアのような。

歯車のような、ゼンマイのような、
何かの装置の一部分のような。

そんな記憶の断片のような作品たち。

かつてその場所で生きていた人々がいた。
だが今はそこに人が住む気配はない。
廃墟のような、だが決して荒廃しているわけではない風景。
標本としてガラスケースに入れられ、長いこと保存されたいたものを静かに取り出して置いた、そんな静寂の風景が浮かぶ。

特徴的な形状のこの美術館が閉館後に解体されずに残され、忘れ去られたまま数百年経ったらこの作品のような時が止まったままの静謐な雰囲気を纏うのかもしれない。
そんなことを考えた。


会場を出て敷地から出る道の脇には休館を反対する看板が立ち並んでいた。

気持ちはわかる。
個人的にも美術館が休館することは残念だ。

だが、今回の展示を見て、それが様々な意見の落とし所であるならば、我々はありのままを受け入れ、今までお疲れ様でしたと静かに一言だけ添えるのが正しい選択のような気もした。




【美術展2024】まとめマガジン ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?