【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第6話 なぜベトナム人は地図が読めないのか
この町に赴任してすぐの頃、私は市場に買い物に行こうとした。
しかしまだ市場の場所を知らなかったため、宿の管理人のおばさんに市場までの地図を描いてもらった。
快く描いてくれたのは良かったのだが、宝探しにでも出かけるような全くわけがわからない地図が完成してしまった。
困った。
だがさして広くもないこの町に何十年も住んでいる人が描いた地図だ。
大きく間違うことは無いだろうと思い、その幼稚園児が描いたような地図を一応は参考にしつつ出かけた。しかしやはり大きく間違っていた…。
なぜこの道を右に曲がらなければならないのだ?そもそもこの交差点はどこにあるのだ?
もしかして私が途中で進むべき道を間違ってしまったのかもしれないと思い、その辺りを歩いていた人たちに同様に地図を描いてもらったが、そこでも人によって描く絵がばらばらだった。
この道を右に行け。いや左だ。いやその角を曲がれ。なぜだ…。
地図を描いてくれた人たちの私に対する接し方を見ても、事情の知らない外国人を困らせて路頭に迷わせようとしているようには思えないのだが、結局その場にいた人の誰一人正しい地図を描くことも読むこともできなかった。
その後、道行く人々の話を統合して、私は自分の頭の中で地図を想像し、なんとか無事に市場に辿り着くことができたのだった。
翌日、町の地図を入手するために書店に走ったのは言うまでもないが。
後日、学生たちにその町の地図を見せてみる。
地図を珍しそうに見る学生たち。しかしどうも様子がおかしい。
全く新しい言語に触れたときのようなぎこちない戸惑いをみせている。
私が、ここに今私たちがいる学校があるでしょ?と指さすと、学生たちはそこに描かれた図や記号が何を意味しているのか全く理解できていない様子で、まるで新種の生物を発見でもしたかのような驚き様だった。
そもそも彼らは今まで学校で地図を読み書きする教育をされてこなかったと言う。
これには少なからず衝撃を受けた。
後に知ったことだが、私が最初に地図を描いてもらった宿の管理人のおばさんは、医師の資格を持ち、学校の校医と掛け持ちで学校敷地内にあるこの宿の管理人をしているとのこと。
つまり医師の資格を持てるほどの高度な教育を受けてきているはずなのだ。
だが彼女も地図を描くことができなかった。
またある時、別の町でタクシーに乗った。
私は不慣れなベトナム語で行き先を告げるより直接地図を見せて場所を示した方がわかりやすいだろうと思い、ここへ行ってくれと言いながらその町の地図を見せた。
しかしタクシーの運転手は地図を見ても戸惑うばかりだった。
なんとここでも移動のプロであるはずのタクシー運転手でさえも地図を読むことができなかった。
では、ベトナム人は地図を描いたり読んだりすることもできないほど教育水準が低いのか、というと全くそんなことはない。
勤勉でまじめな人が多いし、周辺諸国に比べたら高い教育水準にある。
現に、地図の代わりに住所や道の名前を告げると驚くほど正確にその場所を探し当てる。
日本人で、自分の住む町であっても路地裏の細い道の名前まで把握している人はまずいないはずだ。そもそも日本ではそんな細い道にまでいちいち名前をつけることはない。
私たち日本人の多くは地図という「絵」を頭の中で描くことができる。
私たちはそういう教育を受けてきた。
その結果、今まで行ったことの無い場所であっても、道の名は全く知らなくともある程度その方角や距離感を相対的に想像することができる。
しかしベトナム人は道の名前という「言葉」を頭の中に記憶する。
Aという名の道とBという名の道が、実際は交差しているとしてもその交差している地点まで行かない限りは、いつまでたってもその二本の道は彼らの中で平行線をたどる。
そう考えてみると日々の生活の中での日本との様々な相違点の中に、一つの答えがぼんやりと見えてくる。
なぜベトナムの本や教科書は文字ばかりで、写真やイラストがほとんど載っていないのか。
なぜベトナムでは交通標識や信号が圧倒的に少ないのか。
なぜベトナムでは説明的な絵と共に文字が多く書いてある、といったような看板が圧倒的に多いのか。
ベトナムではつい最近まで地図が読める人間はスパイだと言われていた時代があったという。
その上、現在のベトナムの美術教育は見本を横に並べていかに同じように美しく描き写すかということが重視され、想像力は重視されていない。
さらに他教科でも暗記中心の教育を受けているため、彼らは「絵」という「記号」を見て何か別のものや別のことを直感的に想像するということが苦手だ。
彼らは想像力を伸ばす教育をされてきていない。
だが、私は美術教育の中で想像力を伸ばすことは絶対に外せない部分だと思っている。
果たしてこのギャップは限られた期間で少しでも埋めることができるのだろうか。
続く ↓