見出し画像

【美術展2024#64】髙田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー

会期:2024年7月6日(土)〜9月16日(月・祝)

髙田賢三(1939-2020)は、日本人のファッションデザイナーとしていち早くパリに進出し、斬新なアイデアで常識を打ち破るスタイルを次々と生み出しました。単身で渡仏後、1970年にパリで自らのブランドを立ち上げた髙田は、木綿の新しい可能性を打ち出したことで「木綿の詩人」と称され、早くから注目を集めます。その後も、身体を衣服から解放させることを意識し、直線裁ちの着物袖やダーツをなくしたゆとりある服を生み出したり、独特の色使いや柄の組み合わせを用い「色彩の魔術師」と称されるなど、日本人としての感性を駆使した作品を数多く発表しました。それらは、国境や文化、性別を自由に超え、これまでの西欧中心の伝統文化にとらわれない新しい衣服を示唆することとなり、今もなお世界中で愛されています。

2020年に惜しまれつつ逝去した髙田賢三の没後初の大規模個展となる本展では、髙田のファッションの変遷を衣装展示でたどるとともに、幼少期から描いていた絵画やアイデアの源泉となった資料、衣装のデザイン画などを紹介し、多角的な視点で人物像を浮かび上がらせ、日本人デザイナーのパイオニアとして世界で活躍した髙田賢三の生涯にわたる創作活動を回顧します。

展覧会公式サイト


数年ぶりのオペラシティアートギャラリー。
そういえば前回来た時も服飾系展覧会だった。↓


1990年代、アメカジ・ヴィンテージ古着全盛期の洗礼を浴びて美大の油画専攻に進学した私にとっては絵の具で汚れたアメリカ製のデニムのツナギがユニフォームみたいなもので、周りにモード系ファッションの人間など存在しなかった。
当時の美大はデザイン科界隈へ遠征してもモード系なんてほとんどいなかったのではなかろうか。
1990年代後半は裏原系なども全盛だったが「MADE IN U.S.A.」の文脈やストーリーに惹かれていた私には新興のドメスティックブランドはそれほど響かなかった。

海外一人旅をするようになってからはアウトドア製品の実用性や耐久性に惹かれ、patagoniaやARC'TERYXのウエアを纏い、GREGORYのバックパックを背負って旅をした。
今でこそ中高生ですら着たり背負ったりしているメーカーだが、1990年代当時物は本国アメリカ製(ARC'はカナダ製)で、売っている場所も少なくなかなかイケていたのだ。

インターネット黎明期、今のようにネットで買い物はおろか調べ物すらままならない時代、毎月のように代々木公園のフリマに出店してはアメカジやアウトドア製品を売ったり買ったり情報交換をしたりした。(いい時代だったなあ)
そんな偏重した嗜好だったので、モード系ファッションは服飾系専門学校の専売特許だと思っていた。

あの頃の私たちにとって「MICHIKO LONDON」や「HIROMICHI NAKANO」なんて身につけていようものなら噴飯ものだったが、「KENZO」もその括りの一つだった。
特に「KENZO」はロゴが強すぎて、むしろネタかと思うくらいダサいと思っていたが、後にして思えばそれらは濫発される安価なライセンス品のひとつだったのだろう。

やがてファッション業界の内情を知るにつれ、本国のメインコレクションに対してセカンドラインやライセンス品は全くの別物であることや、権利ビジネスというものが理解できるようになりはしたが、いずれにせよ私は今に至るまでモード系やラグジュアリー系とは程遠い服を好んできた。

とはいえ、美術史や文化人類学的観点からハイファッションの歴史や流行については関心があり遠巻きながらも気にはしてきた。
昨年の国立新美術館でのイヴ・サンローラン展や、東京都現代美術館でのクリスチャン・ディオール展ももちろん行った。


そんな中での髙田賢三である。

前置きが長くなったがいざ入場。


入ってすぐのドレス。
パリで20年かけて収集したリボンで作ったそうだ。
私には中国貴州の長角ミャオ族やベトナムの花モン族の民族衣装のようにも見えた。


壁面には年表が。
今回の展示はこの年表を軸のひとつとして展開される。
時代背景とリンクさせて見ていくととても面白い。


22歳。なかなかいい油絵を描くな。


1964年に海外渡航が自由化されてすぐに海外に行くなんてその行動力がすごい。
その頃の海外なんてそれこそ宇宙旅行みたいなものだったろうに。
しかもアジア、アフリカをがっつり通過していく船旅。
そして戻ってこないで現地にとどまるという開拓者精神はすごいなあ。


70年代の雰囲気漂うイラストや色使い。
メロウな世界、メロウな色
コピーもたまらん!


軍物に花柄を合わせるという遊び心。
今では当たり前のミックス手法だが1970年代に行なっていたのはすごい。

1978-79 A/W


これはちょっとわからない。
インスピレーションを受けたというよりも具体的な形が先行してただの着ぐるみに見えるが…

《コンビネゾン》1979-80 AW


賞状くしゃくしゃ。


今回の展覧会のマネキンは形がバラバラで、それぞれの服の形状や雰囲気に合うようなマネキンをひとつづつ合わせたとのこと。
調達時期にズレがあるため同じ服でも図録と展示品のマネキンが違っていたりするそうだ。

顔がすごい


左の花柄は倉俣史朗の《ミス・ブランチ》を彷彿とさせる。
右の雲柄はアイスクライマーのボーナスステージみたいだ。
オシャレなのかはわからん。
カノジョとかが着ていたらコーヒー吹くかもしれん。

《ドレス》1988 S/S   《カーディガン・スカート》1988-89 A/W


冬にも木綿を。
黒のベロアで縁取りした着物風キルティングコート。
もはやホームセンターで売ってるドテラにしか見えないが当時はナウかったのか。

1983-84 A/W 


各地の民族衣装にインスピレーションを受けたという色鮮やかなシリーズ。

デザイン画


ファッションデザイナーは年に数回のコレクションに向けその都度テーマを設けるが、いつも思うがそんなに毎回都合よくインスピレーションを受けるのだろうか。
もちろん時にはビビビと来ることもあるのだろうが。

特に民族衣装をデザインソースとする場合、表面的な色や形のみをそのまま持ってきてもその色や形を用いる必然性が無かったら薄っぺらいコスプレみたいになってしまう。
そもそも民族衣装はその土地ごとの文化そのものだ。
各地の様々な環境下において必然性があって生まれてきたものであるため、色にも形にも模様にも素材にも意味や物語があり、その土地の風土や生活や社会の情報が多かれ少なかれ凝縮されている。
それらを取り入れて自らの表現として発表するには、その民族への深い敬意と理解と造詣が必要不可欠だし、それをデザイナー自らの文脈の中に位置付ける必然性も重要なはず。
デザイナーの皆が皆そこまで意識しているとは思えないが、賢三氏は世界各国を旅していたようなのできっといろいろ深掘りしていたのだろう、と思いたい。

民族衣装に限らず、○○コレクションなどを見ていると、毎回コロコロとテーマを変えて、その都度あちらこちらから表面的なイメージだけを持ってきてちょっとそれっぽくいじっているだけのような、いわばイメージの盗用どころかイメージの改悪のような醜悪なデザインが散見しているようにも感じる。

いずれにせよどんないい服でもデザイナーのコンセプトどおりに着こなせるかどうか、そしてそれがおしゃれかどうかは最終的には着る人のセンスや体型に収束する。
私も好きな服をきれいに着られるように体型管理に気をつけたい…が、やっぱりビールうめぇ🍺グビグビ


アメカジやサブカルチャーに造詣の深いNIGO氏がやっている今のKENZOはちょっと面白そうだが、…やっぱり高くて買えない。

結局モード系やラグジュアリー系とは縁遠い嗜好の私は、まあ古着のラルフローレンとかでいいかな。



【美術展2024】まとめマガジン ↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?