手強し、反抗期
あーあ、ひさびさに吠えた。このところ、長らくガマンが続いていた。
朝、起きた瞬間から機嫌が悪かったり、ちょっとした言い回しに膨れっ面になったりする兄を目前にして、「朝からなんだよ」「言葉の揚げ足とんなよ」なんてセリフが喉元まで出掛かっているのを、大人パワーでなんとか抑えつけていた。が、反抗期爆弾の連射の前に、我崩れ落ちたる。無念。
敵弾の威力に驚いている。なんだろう、あの腹立たしさ。親の腹が立つ態度や言葉を絶妙に選んでくる。先輩方のお話から、「子どもの反抗は受け流すぐらいで対応すべし。間に受けるな」と、心得て対応しているつもりなのだけど、子が親を怒らせるセンスには敵わないようだ。
かくいう、自らの反抗期は酷いものだった。
ケンカの種は、門限に絡む話が多かった。中学生になり、親から離れて友だちとつるんで遊びに行くようになると、「どこで誰と何をしていたか」を事細かくチェックされるようになった。
帰宅予定時刻にちょっとでも遅れると怒られる。友だちまでも批判されるのが苦痛でならず、それを機に「親うざい」モードがオンになった。
次第にうざい親の目を盗み、こっそり出入りするようになる。大学生にもなると、終電でこっそり出かけて、始発でこっそり帰ってくるを繰り返し、バレると雷を落とされるのループを、社会人になるまで繰り返していた。
足掛け10年の長い反抗期。怒られても、怒られても、「自分の行動範囲は自分で決める」と、頑なに譲らなかった。「どこで誰と何をする」に、アイデンティティーを確立しようとしていたから、それに対する批判はどうしても許せなかったのである。
顔を合わせればムスッとする日々だったし、朝起きて、台所で顔を合わせるや否や「はぁ」と、心の中でため息をついていた。
あれ?
これって、今の兄と同じ反応か。もしや兄も、小学生なりに同じ心境なのかな。今の自分、因果応報なのかも知らん。
振り返っても、あのころの親のパワーは凄まじかった。
10年も娘の反抗期爆弾を浴び続けて、倒れるどころか、防御力を増強し続けていたような。私に引き続き、妹も反抗期に入ると、母はアルバイト先の居酒屋に乗り込み、「ウチの娘を早く帰してください!」と叫ぶという先制攻撃まで仕掛けていた。
あれはどう考えてもかわいそうだったけど、親目線で見ると、すごい行動力だなと感服する。もし、子どもが危険な道に踏み外したら、あの日の母のような勢いで連れ戻さなければならないとも思う。
我が親は専制的なところがあるが、一方で「有事の際は、絶対に守ってくれる」というパワーを感じながら育ったのは間違いない。
親として、私は兄の目にどう映っているのだろうか。
「自分が親にされて嫌だったことは、子どもにはしたくない」と思いながら子育てをしてきたつもりで、これからもそうしたいと思っている。
でも、無意識に、「育てられたように育てている」ときがあり、気づくたびに自分の中に刷り込まれた固定観念をぶち壊しながら、あれやこれや考えて子どもと向き合い、手探りで答えを探し求めてきた。その積み重ねが、私と兄との親子関係になっている。
反抗期は、子どもとがっちり向き合い、親子関係を形づくる大一番なのかもしれない。もう子どもだましは通用しない。人間性も見透かされ始めているから、「性格的に合わない」なんて諦め話も出てくるだろう。
それでも、自分が圧倒的な親の庇護を感じたのと同じように、兄の心の拠り所になれるような、何かを残したいと思わずにはいられない。長い年月の中で、家族にはさまざまな出来事が起きるけど、何かひとつ、確かにあたたかなものが流れていれば、いつまでもつながっていられるように思う。
とにかく今は、しょうもない大人の烙印を押されぬよう、時には毅然とした態度で、時には釈明も辞さない腰の低さで、人間対人間のケンカを逃げずに買っていこう。何年もかかる大戦になるのか、小さないくさで終わるのかはわからないけど、毎日の積み重ねの先に、私と兄の未来がある。
将来、お互いが、笑い話にできるような反抗期になりますように。