Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第6話 「恋慕」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK
https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A
『主な登場人物』
原澤 徹:グリフグループ会長。
北条 舞:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。
ハンク・バルクホルン:ジャズバー”Zosch(ゾッシュ)”の店長。原澤会長の傭兵時代の部下、当時の階級は軍曹。
エーリッヒ・ラルフマン:サッカーワールドカップ優勝ドイツチームコーチ。
アリカ・ラルフマン:エーリッヒ・ラルフマンの一人娘。YouTuber。元ドイツ陸上界の至宝。
ラドワード・グリフ:グリフグループ前会長。故人。
ニック・マクダウェル:アリカの幼馴染。ナイジェリア難民。
デラス・モイード:ロンドン・ユナイテッド FC 監督。
☆ジャケット:ジャズバー”Zosch(ゾッシュ)にて、北条 舞。
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第6話「恋慕」
「冷えて・・きましたね。」
原澤会長と舞はラルフマン邸を後にしていた。樹々を抜けて時折吹く寒風に彼女はマフラーに首をすぼめて歩いた。先程、帰る間際にアリカが無事、ニッキーとコンタクトを取ってくれたため彼と会う約束が出来たのだが、話の通り彼は『療養中の父親を心配し出て来れない』とのことだった。エーリッヒ監督、アリカは最後まで二人の安否を心配していたが、原澤会長の決意は揺るぎないものであった。スラブの森"シュプレーヴァルト"が軽く雪化粧をまとった轍を二人は仕事の事について話しながら抜けていき、やがて駅に着いたと同時にタイミング良く電車が来たため、乗り込むことでベルリン中央駅に早々に到着することが出来た。この時、時計の針は20時過ぎを指していた。そんな中、原澤会長が徐に腕時計を見て舞に話し掛けてきた。
「北条チーフ。」
「はい。」
「明日、ロンドンだったな?」
「はい、私も今晩はこの近辺にあるホテルに泊まります。」
「そうか・・ではこの後、時間はあるのかな?」
「えっ、時間ですか?はい!大丈夫です。」
「そう!うん・・良かった。」
舞は一瞬、原澤会長の問い掛けを理解出来ずに聞き返してしまった。でも、間違えではない。彼は自分をディナーに誘ってくれたのだ。彼の顔をまじまじと見つめた彼女は、彼が照れ臭そうにしているのを見て意識が遠ざかるような、昂揚した気がした。そう、予感がしたのだ。しかし、それはあまりに失礼であろうか、何故なら彼は自分の会社、世界有数の製薬会社であるグループのボスなのだから。
「この近くに知っている店があってね、あまり美しい店ではないがどうかな?」
「はい、お供致します。」
「ありがとう。」
(えっ・・ありがとうなんて、そんな。)
舞は心の奥底から、甘美な騒めきを感じていた。それはまるでパンドラの箱のように"開けてくれ!"と自分に訴えているような気がしてならない。やがて原澤会長は舞を伴い、駅から10分程歩いた路地に入ったのだが、そこは彼女が知っているベルリンとはかなり違う雰囲気で微妙に汚れた建物も古く、中から漏れるライトが冷たい雨の降った後の道を照らしている。覗くとローカルピーポーが楽しそうに飲んでるような店が沢山あるのが見て取れたのだが、その中で彼は一軒"Zosch(ゾッシュ)"という店の前に舞を連れてきた。
「ここだ、ラッキーなことに変わっていないな。さ、どうぞ。」
「はい、失礼します。」
舞は原澤会長に促され、彼が開けた木製の扉を通り店内に入った。彼女は入るなり店舗内部に視線を走らせてみた、階高のあるフロアーは直天井でエアコンをぶら下げており、壁は打ちっ放しのコンクリート、床は木材で統一している。数々の装飾品は、見たこともない年代物らしいものが並び、金属は鈍い輝きを放っている。
「こっちだ。」
原澤会長は、舞の背後から彼女の肩に手を掛けて前に出ると部屋の隅、暗い方へと歩を進め入り口から一番遠く窓もない場所に赴くと、手前側の席を勧めた。その席の椅子はクッションが無いタイプで、レディーファーストを考えるなら他を選択するべき物であった。
「ここなんだが、いいかね?」
「はい・・大丈夫です、すみません。」
笑みは上手く見せれたと思うが、声は自然とか細くなっていた。彼女は原澤会長の引いたその椅子に会釈して腰掛けると、彼は斜向かいに腰掛けた。だがその座り方は、テーブルに対して身体を斜めに向けて入り口方面に対して座り、テーブル側の片方の腿上にナプキンを掛けた。舞は彼の姿勢に思わず息を飲んだ、それは一流企業の会長と思えない行為であったからで、その違和感も感じていたからだ。一体、何故?舞の戸惑いを他所にウェイターが注文を聞きに来た。
「Guten Abend(こんばんわ)。注文は決まってますか?」
「Guten Abend、そうだな・・”ヴァイス”をもらおうか、キミはどうする?ビールは苦手かな?」
「いえ、私も同じ物を。」
「そうか、では”ヴァイス”を二つ頼むよ。」
「承知しました。」
ウェイターは、原澤会長から注文を聞くと店内へと戻って行った。
「北条チーフ。」
「はい。エーリッヒ監督をよく見つけたね、お手柄だ。」
「いえ、優秀な部下達を頂けた結果ですから。」
「ほう!そんな部下達が君の元に居るのかね?」
「はい、今回エーリッヒ監督を見つけてくれたのは彼等ですし、お嬢さんのアリカの入社を勧めて来たのもそうです。」
「そうかね。私はてっきり監督を引き入れるためにお嬢さんをあたり序でに引き入れた、いわゆる"濡れ手で粟"かと思ったが、違ったのかな?」
舞は言葉に詰まってしまった。よく仕事をしてくれる部下達を持ち上げるのが舞のやり方ではあるが、原澤会長は舞の手法を二つも見切っている。彼女のビジネスシーンにおいて、ここまで看破されたことは無かった気がする。彼女が黙ってしまったところに今度は先程と異なる年配の店員がビールを持ってきた。無精髭を蓄えたその男は舞が見る限り武骨さを感じさせ近寄り難い雰囲気を醸し出しているのだが、目の奥は男性特有の優しさを感じられた。
「お待たせしました・・少尉。」
その男は、舞の前にグラスとビール瓶を二本、そして原澤会長の前にグラスを置いて、彼に呼び掛けた。
(少尉・・えっ?)
「ようハンク、久しぶりだな。」
「御無沙汰であります、お元気そうで何よりです。」
ハンクと呼ばれた店員は原澤会長の前で敬礼したのに対し、然も懐かしいかのように笑みを浮かべている。
「貴様もな。」
「ハハ、原澤少尉の御活躍は私の耳にも入ってますよ。」
「・・」
「あ、いや、これは・・久し振りにお会いできた嬉しさで遂、失礼をば致しました。」
原澤会長は、ビール瓶を掴むと舞のグラスに注ぎ始めたため、彼女は会釈をして慌ててグラスを持ち上げ杯を受けた。
「ハンク、紹介しよう。ロンドン・ユナイテッドFCのエージェント課チーフで、北条 舞だ。」
原澤会長は注ぎ終えると直ぐにハンクと呼ばれた男に舞を紹介した。彼女は突然の紹介にグラスを持ったまま立ち上がり丁寧に会釈した。
「北条 舞です、宜しくお願いします。」
「美しい謝辞ですね、ハンク・バルクホルンと申します。原澤少尉にはロシア・ジョージア紛争で何度も助けて頂きました。此方こそ、宜しくお願いしますよ。」
舞は笑顔で聴いていたのだが、内心は心臓の音が彼に伝わってしまわないかと"ビクビク"していた。原澤会長の過去、しかも軍隊に居た経験があることを知ってしまった。でも、ここに来て知らされたことを考えると、恐らくニッキーに会うことについて彼は自分に伝えたいのだろう、と彼女は解釈した。
「原澤少尉、今晩は好きにやって下さい、お代は結構ですから。」
舞は"あっ!?"と目線をテーブルに戻した時には、彼は手酌でビールを注いでいた。
「いや、気にするな。どうせ金を使うならば、ハンク、貴様にと思うのは当然だろう。そうだ!北条チーフ、キミは嫌いな食べ物はあるのかね?」
「嫌いな・ですか、強いて言えば辛いのが苦手ですが、少しなら大丈夫です。」
「そうか、ハンク値段など気にするな、料理は貴様に任せるから美味い物を頼む。」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えまして。」
ハンクが原澤会長に話した直後、原澤会長の視線が入り口に走った。舞はあまりの素早さに一瞬たじろいでしまったのだが、遅れて振り返ったが新しい客が入店したみたいだ。
「少尉、自分も注意しておきますよ。まあ"此方の席"それに"その座り方"ですから、私なら諦めて帰りますかね。でも、気を張り過ぎでは?"何時もの"は感じてたりするのですか?」
原澤会長は"ニヤリ"と笑った。
「ああ、そうだな。少し、神経質になっているかもしれん。」
「何となく分かりますよ、舞さん?」
と、ハンクは舞の方に顔を近付けて来たため、舞は腰掛けてから上目遣いで彼を見た。
「はい?」
「貴女の美しさは罪だ。」
「・・」
「原澤少尉を神経質にした、そう!彼が貴女を100%の力でボディーガードする、貴女は再びそれを観させてくる奇跡の女性だ。」
「ボディーガードですか?」
「ハンク、彼女に座り心地の良い"綺麗な"クッションを頼む。」
「おっと!失礼しました、では、お二人共、ごゆっくりしていって下さい。」
ハンクはそう言うと慌てて席から離れて行き、舞は振り返りながら目で追って行ったが、やがて席の方に視線を戻すと原澤会長がビールに入ったグラスを掲げていた。
「喉が渇いた、乾杯しよう。」
「あ、はい!すみません。」
2人はグラスを"カチン!"と鳴らせて乾杯をした。舞が口元のグラスを見ながらビールを二口程呑んだところにハンクがクッションを持って帰ってきた。
「乾杯されたんですか?」
「あ、はい。」
「ちゃんと、少尉の目を見て乾杯しましたか?」
「えっ?」
「おい!」
「失礼しました。」
ハンクは"ニヤ"と笑みを見せ、再び消えて行った。
「あのう、彼の言っていたことは何か意味があるのでしょうか?」
クッションを椅子に引いてもらった舞が、軽く身を乗り出し原澤会長に質問をしてみた。
「そう言えば、君はラルフマン邸での乾杯も目を合わせなかったね。」
「えっ?あ、それは恥ずかしいからですけど・・でも、どんな意味が?」
「ドイツでは相手の目を見て乾杯しないと"7年間良いセックスができない"ってジンクスがあるんだよ。」
「えっ!?」
「残念だったな、7年間我慢したまえ(笑)♬」
そう言うと原澤会長が笑い出した。
「あ、ひどい!騙しましたね、もう!」
舞が唇を尖らせ、頰を軽く膨らませたのを原澤会長は、楽しそうに見つめている。
「本当のことですよ。」
そこに、ハンクがベルリンの伝統料理『カリーヴルスト』、ウィーン風カツレツ『ウィンナーシュニッツェル』を持って来た。
「ドイツでは子供でも知っていることです。男女にとって、一番大切なことだ、ねぇ、少尉?」
原澤会長は満面の笑みを見せグラスのビールを呑み干した。それを見た舞が勢いよく立ち上がり、ビール瓶を持ち言い放った。
「会長、もう一回、乾杯して下さい!」
「認めないとビールを注いで貰えない、そういうことかね?」
舞は真剣な表情でゆっくり頷くと、彼のグラスにビールを注いだ。
「乾杯!!」
舞は、そう言うと自分から彼のグラスにグラスを"カチン!"と合わせて目を見ながらビールを飲み干した。原澤会長が堪らず吹き出して笑うと空になった舞のグラスにビールを注いだ。
「やはり、良いセックスがしたいよな?」
舞は耳朶を朱に染め恥ずかしそうに"コクリ"と頷いた。原澤会長は、そんな彼女のちょっとした動作をも楽しそうに見ている。
「君の出身は?」
「群馬県です。」
「"かかあ天下と空っ風"だな。なるほど、君の真面目さはそういうことか。」
「そんな・・でも、ギャンブルばかりする遊び人の男性はイヤですけど。」
「義理人情に熱い群馬女性か。そういえば、君は語学に堪能だったな、話せるのは?」
「英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、それと日本語です。」
「凄いな・・何故、そんなに?」
原澤会長の質問に、舞は料理を取り分けながら答える。
「生まれて数年で父の仕事で、パリ、ベルリン、マドリードと引越してから中学で2年程、群馬に戻りました。それからフィレンツェに移り、東京の大学を経て今に至ります。」
「全て現地で覚えたと?」
「はい。でも、英語は独学で学びました。」
「大したもんだな。」
原澤会長は思わずため息をついた。
「結構、語学は得意なんです、おかげで理数系はダメダメですけど。」
舞は取り分けた料理を原澤会長の前に置いた。
「ありがとう。では何故、ロンドン・ユナイテッドFCに?」
舞は自分の前に取り分けた料理を置き、空いた皿を返却し易い場所に置きながら話した。
「学生時代に・・その・・お付き合いしていた方がサッカー部だったんです。」
「そうか・・」
「彼から教わる内に面白さを知ってしまって、知る内に私、運営に興味を持ち始めたんです。それからですかね、色々な講義にも出席して沢山、傍聴致しました。」
「講義を?」
「はい。得意な語学も活かせるのではないかと思ってJFA(日本サッカー協会)に就職したのですが、主な仕事が総務、特に受付だったんです。」
「それはショックだったろう?」
原澤会長がビールを呑みながら相槌を打つと、舞は視線を窓の方に移した。
「はい・・受付に座りながら愛想を振りまいてる自分に『何をやってるんだろう・・』て、問い掛ける毎日でした。でも、そんな時、日本代表のレセプション会場で岡田前監督にお逢いしたんです。優しく私の愚痴を聴いて下さった後に言われました『愚痴を言う時間をペンに替えて、入りたいチームにアプローチしてみなさい。貴女の熱意はきっと、伝わるはずだよ。』と。」
「ほう!あの岡田前監督に?で、ロンドン・ユナイテッドFCをターゲットにアプローチした理由が君のことだ、ありそうだな。将来性のあるビッグ企業がバックボーン、それと開発途上、そんなところかね?」
原澤会長が『ウィンナーシュニッツェル』を口に頬張りながら舞の話に推測を挟んだのだが、舞は口を半開きのまま硬直してしまった。
「何故、それを・・」
「他には?選手層も推論に含むがね。」
信じられなかった。誰もが知る名門アーセナルFCと本拠地を同一にする三部リーグ所属のチーム。日本では話題にさえ登らないチームを彼女が選んだ理由こそが彼の論破したものなのだ。舞の持っているグラスに彼はビールを注ぎ、手酌で自分のも注ぐと再び質問をしてきた。
「で、その・・サッカーを教えてくれた彼とは、どうなんだ?」
「彼・・ですか?いえ、もう別れました。色々あって・・」
「結構経つんだろ、その彼と離れて?」
「5年になります。」
「そうか・・いや、悪いことを聴いてしまったね、申し訳ない。」
「いえ・・そんな。」
原澤会長がテーブルの前で深々と頭を下げるのを見て、舞は身を乗り出した。何故、彼は私にそんなことを?どういうこと?もしかして
・・、そう考えてしまった直後、彼は頭を上げ口を開いた。
「私が前会長のSPを務めていたことは、君も知っているね?」
「はい。」
舞は、原澤会長の目付きが変わったのを目にして、思わず姿勢を正した。
「君をここに連れて来て、ハンクに逢わせたことは私を知ってもらうためだ。」
(知ってもらうため?)
「傭兵をしていた時期があった。ハンクとはその時に出逢ったのだが、私も色々あって傭兵を辞めたんだよ。」
「傭兵・・ですか?」
「いわゆる"雇われ軍人"だ、流れのね。組織の中で扱われ方に納得が出来なくて辞めたんだよ。」
「扱われ方ですか?」
「政府の都合で虫けらのように扱われる傭兵の無念さ、だな。あとは、自分を取り戻すためだ。」
「自分を?」
「戦場で自らを見つけてしまった者は、ベッドでは死ねはしない、そのために戦場を渡り歩いて死に場所を探しているようなものだよ。」
舞は絶句した。死に場所を探しているなんて・・まるで自殺志願者のような物言いに彼女は生唾を飲み込み彼を見たのだが、無表情というのはこういう表情を指すのか、と思う程に感情が読みとれない。
「恐怖というものを感じなくなってしまった。だから君を守ることに何も躊躇もしないし恐怖も感じていない、何もな。」
原澤会長は、目前の料理『カリーヴルスト』をフォークで刺して口に放り込んだ。彼の噂は会社でも話題になっていた。バツイチで離れて暮らす息子さんが居ること、SP上がりの未経験者が会長になった奇跡のストーリーに周りは侮蔑を露わにして傍観していたと言える。そんな渦中にある彼は如何様にして現在のモチベーション、目的を持ち働いているのか、彼女は気になった。
「原澤会長。」
「何だ?」
「会長を突き動かしているのは、一体何なのでしょうか?」
「私を動かす?」
「はい・・。」
彼は、テーブルの上に視線を移し、やがて舞を見て口を開いた。
「前会長、ラドワード、そしてお嬢さんとの誓いを果たすためだ。それ以上、それ以下でもない。」
原澤会長はそう言うとグラスのビールを一気に飲み干した。舞はそれ以上聞こうとしなかった、いや聞けなかった。彼、原澤会長の想いを聞けていない、聞こえてこない。彼自身は一体何処に居るのか、彼女は聞きたくても入り込めないで居る今の自分の立場が無性に腹立たしくて仕方がなかった。悔しい!それしか想い浮かぶ言葉が出て来ない。それでも顔を上げた時だった。
「そろそろ行くか。」
原澤会長が席を立ったため、舞は慌ててコートを持って立ち上がり、レジに向かう原澤会長の元へと急いだ。そこにハンクが出て来る。
「お帰りですか?」
「ああ、美味かったよ、御馳走さま。」
「いつでも来て下さい、お待ちしてますから。」
「ありがとう。」
「舞さん。」
「はい。」
「お待ちしてますよ。」
「ありがとうございます、とても美味しかったです。」
ハンクが舞にウインクして話掛けてくれたことで、彼女の表情にも笑顔が戻った。彼は先頭に立ち、舞は原澤会長の後ろに従う形で続く。やがてハンクが入り口の扉を少し開けて外の状況を確認すると横に移動し、原澤会長がそのまま扉を開け外を見た。
「すみません。」
扉越しに振り返り舞を誘ったので、彼女は促されるままに外へ出た。通りは漆黒の闇へと変わっていて、時折吹く木枯しに彼女はコートの襟を直した。
「お気を付けて。」
ハンクからの言葉を受け、路地を原澤会長の左隣に舞が寄り添って歩いた。
(今日の私・・どうしたんだろう?)
直ぐ傍に彼の腕を感じ、その腕に抱えられる想像をしている自分に気付き、彼女は顔を伏せて想いを消そうとしたその時だった。
「キャッ!」
薄く積もった雪に足を滑らせてしまったため軽い悲鳴を上げた瞬間、彼女は原澤会長の腕の中にいた。
「大丈夫か?」
「す、すみません!」
顔を上げた時、二人の視線が交差し腕の中に居る彼女は、彼の匂いを深く吸ってしまったことで胸の動悸が治まらない。
「・・」
「北条チーフ」
「・・はい。」
「君は、段差が無くても転ぶのかね。」
「えっ?あ、ヤダ!」
舞は、顔を下げて足下を確認し彼の腕の中から離れてしまった。
「ははは!可愛いな、君は。」
舞は原澤会長のまさかの一言を聴き心臓が"ドクン!"と跳ねるのを感じた。この瞬間、自分の心の声が自然と脳裏に溢れた。
(私・・そうなんだ。ああ!そうなんだ・・。)
深い恋慕の情に気付いた彼女は、恥ずかしくなって俯いてしまっていたのだが、その直後、原澤会長に肩を抱かれていた。
「えっ?」
「君に1つ確認したい事がある。いいかね?」
舞の顔の直ぐ傍に彼の顔がある、吐息までも混ざり合い彼女の頭がクラクラしてきていた。
「あ、はい。何でしょう?」
「社に信頼出来る者が居るかね?」
「えっ?会社に・・ですか?」
「そうだ。」
舞の脳は突然聞いた原澤会長の言葉に、一瞬で霧が晴れるようにしっかりとした。
「どういうことでしょうか?」
彼の目線は、漆黒の闇がある前を捉えたままだ。
「組織の『膿』を出し切る、そのためだ。」
舞は眼を見開いて彼の表情を見た。一体『膿』とは何を指しているのだろうか、そう思った時だ、ある事が脳裏に浮かんで来た。
「モイード前監督関連のことでしょうか?」
「それもあるが、他にもある。」
「えっ、他にもですか?」
立ち止まってしまった舞を尻目に、原澤会長は歩みを進める。慌てて彼の横に並び顔を覗き込んでみたものの、それ以上の言葉を言えず俯いてしまった。
「話す気になったら言ってくれ、頼むよ。」
「承知しました。」
舞は彼の隣で歩みを重ね、話を聞いたことで教えを請いたくなっていた。一体何をしようとしているのか?何のために?だが、分からなくても1つだけ言えることがある。それは敵を作ろうとも改善のためには既成事実を壊すことを厭わない、そんな覚悟を見せようとしているのだと気付いた。しかし、彼女が思うより深く時代のうねりはいよいよ、その渦中に彼女を巻き込んでいくことになる。
第7話に続く。
"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"