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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第4話 「憧憬」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK

https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A

『主な登場人物』

原澤 徹:グリフグループ会長。

北条 舞:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。

エーリッヒ・ラルフマン:サッカーワールドカップ優勝ドイツチームコーチ。

アリカ・ラルフマン:エーリッヒ・ラルフマンの一人娘。YouTuber兼モデル。陸上界期待の逸材。

ラドワード・グリフ:グリフグループ前会長。故人。

ニック・マクダウェル:アリカの幼馴染。ナイジェリア難民。

☆ジャケット:アリカ・ラルフマン

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第4話「憧憬」

「Hallo!」
 ベルリン・オルタナティブ地区クロイツベルクにあるフレンチレストラン"カフェジャック"を14時30分に舞は訪れた。エーリッヒ・ラルフマンの娘アリカと会うために。彼女が窓際の席に腰掛けドリンクメニューである"Getränkekarte"を開くと、店員の女性が声を掛けてきた。
「そうね・・カプチーノを1つ下さい。」
 ウェイトレスが恭しく去って行くと彼女は料理メニュー"Speisekarte"を開いてメニューに視線を走らせた。ドイツのケーキはパサパサなイメージが拭えないがどうだろうか?気に掛けていると先程のウェイトレスが注文したカプチーノを持ってきた。
「どうぞ。」
「Danke。では、チョコレートタルトをお願い。」
「お待ち下さい。」
 やがてウェイトレスがチョコレートタルトを持ってきて「ごゆっくりどうぞ。」と言うと去っていった。
 彼女は、スマホを取り出してこれから会うアリカのSNSをチェックした。彼女のインスタグラムの写真を初めて見た時、とにかく驚いた。美女・・舞が思う女神とは、まさに彼女をイメージしていたと言ってもいい、それ程の女性だ。情報からすると18歳のようだが、これ程の美しさなら色々な意味で引き手数多な気がした。"カラン、カラン!"入り口の扉が開きアリカが現れた。肘の辺りまで伸ばした見事な黄金色のブロンドをなびかせ辺りを観ている。思った通り、周囲の男性達が彼女をチラチラ見ている。やがて舞と目が合い彼女の顔に笑顔が溢れた。ブーツのヒールを鳴らせて彼女は舞の元へ来た。
「舞よね?合ってる?」
 舞は、立ち上がってアリカに握手を求めた。
「ええ、合ってるわ。初めまして、アリカさん。」
「驚いたわ。貴女は私が知っている日本人とイメージが違うもの。」
「そう?どんなイメージ?」
「ほら、もっと中国人ぽいイメージがあったから。でも、貴女は全くアジア人と違うような気がする。」
 舞は思わず苦笑いをしてしまった。典型的なドイツ人であるような気がする。捉え方がドライで感情より理論を優先とする彼女は、もしかするとホルヘのような人物の方が話が合うのかも、とさえ思った。思ったことを伝えることは失礼にならない国柄、そんな気がした。舞の反対側に腰掛けたアリカにウェイトレスが近寄ってきた。
「ご注文はお決まり?」
「う〜ん・・そうね、貴女は?カプチーノ?」
「ええ。」
「それじゃ、全く同じ物をお願い。」
「畏まりました。」
 店員が下がっていくのを目で追っていたアリカが舞に向き直った。
「ねぇ舞、パパをチームの監督に迎えたいって、本当なの?」
 アリカは、鞄を脇に置き口元に笑みを浮かべて聞いてきた。
「本気よ。それで貴女に色々伺いたくてお時間を頂いたの。今、お父様は何処か他のサッカーチームの監督、コーチに勧められていることはない?」
「パパが?」
「そう。」
 アリカは、顎の辺りに左手を添えると考える仕草をしたのだが、ほんのちょっとの仕草が異様に可愛く見える。
「無いわ。以前はあったけど今はもう。」
「何故かしら?」
「さあ?でも、ドイツ代表コーチを辞めてから5年は経ってるから、其処のところもあるんじゃない。」
「復帰する気はあると思う?」
「多分。だって、本人の中で凄い葛藤があるのは分かるから。今でもまだサッカー中継を欠かさず観てるもの。」
 アリカはカプチーノに口を付け、タルトにホークを入れながら話している。
「そうだ、舞、貴女の居るロンドン・ユナイテッドFCなんだけど、あたしも調べさせてもらったわ。」
「そう。」
 舞もカプチーノを飲みながら返事をする。
「まだ、2部リーグにも上がっていないようなチームなのね。」
「ええ。これから夢を実現するためには貴女のお父様の力が必要なのよ。分かって貰えたかしら?」
「うん・・でも、ちょっとガッカリ、かな。」
「どうして?」
「ブンデスリーグ(ドイツ1部リーグ)、プレミアリーグ(イングランド1部リーグ)なら良かったのに。」
(あらあら、ハッキリ言う娘ね。)
 やはり、愛想とは無縁の人生を送れているらしい。彼女の自由奔放さが気になる一方で、正直なところは好感が持てる気がした。
「ごめんなさい!悪気は無いの、つい思ったことを・・」
 アリカは胸の前で両手を合わせてきた。悪気は無いけど正直に思ったから、そんなところか。舞は話しを変えてみた。
「いいわ。ねぇ、アリカさん。貴女は今、どうしているの?」
「あたし?」
「SNSでは、充実した私生活を送っているように思ったけど。」
 アリカは先程とは違い急に畏まるとモジモジし始めた。何かを恥じている?ような・・。
「それなりに、かな。」
「YouTuberとして自作の音楽を公開したりしてるじゃない?私、貴女のテクノやバラード曲で好きなのあったわ。」
「え、ホントに!?嬉しい!聴いてくれたんだ。」
「ええ、特にジムで鍛えている時なんかに聴きたくなる"Gewitter(雷の嵐)"は、激しくてカッコイイわ。」
「うわぁ!分かってくれる?嬉しい・・そうなの!あの曲は当にそんな感じで気持ちを高めたい時の為に作ったのよ。」
 アリカは、自作の曲を舞に褒められ満更でもない様子で身を乗り出して喜んでいる。
「音楽センスは、お母様譲りかしら?」
「母はベルリン芸術大学でピアノを専攻してたの。ママが弾くピアノは凄く優しいメロディで何時も癒されてたわ。パパもママの弾くピアノが好きでね『ママが弾いている時に呑むビールは格別だ!』ってよく言ってたもの。」
「ご両親は仲が良かったのね。」
「ええ、何時も一緒に居たわ。娘のあたしが嫉妬しちゃうぐらいにね。」
「お父様、お母様が亡くなられて辛かったでしょう、勿論、貴女も。」
アリカは寂しそうに微笑んでテーブルに視線を移した。
「ごめんなさいね、思い出させてしまって。」
「ううん、大丈夫よ。」
 舞はアリカの表情、言葉からラルフマン氏が如何に家族を大切にしていたかを理解した。彼の記録を見ると早くに左膝の半月板損傷を負い選手生命を絶たれたとあった。その絶望時期を支えたのが彼の亡き妻マリシュアだ。酒に溺れて乱れ切った彼が必ず立ち直ると信じ家庭を守り、そして働き掛けを行なっていたとある。時には約束を守らず相手先に謝罪をしたとも。彼がそのような奥様の優しさを娘アリカから聴いて知ったらしい。その時の申し訳なさは如何程であったろうか。舞は会うことの叶わぬマリシュアの忘れ形見を見やった。この娘は多くの遺産を引き継いでいるのだ、と。
「そう言えば、陸上の短距離もやってたでしょ?」
「ええ、子供の頃から走るのが好きだったから"男の子に負けるのが嫌な子"って貴女の周りに居なかった?あれ、完璧にあたしだったの(笑)」
 アリカは気持ち良さそうに笑ってくれた、途中までは。
「Gymnasium(ギムナジウム:大学進学を希望する子どもたちが通う8年制(州により9年制)の学校で、日本でいうと中学・高校に相当)で走ってきたのよ、いつかはオリンピックにってね。でも、ママの事があって諦めたわ。」
 アリカは沈んだ瞳で唇を噛み締めると窓に視線を移したが、その瞳には涙が滲み赤くなっていた。
「また、走りたい?」
「えっ?どういうこと?」
 彼女は突然の舞の問い掛けに目を瞬たせた。
「ロンドン・ユナイテッドFCの親会社は調べたかしら?」
「い、いいえ。何故・・?」
「うちの親会社は、グリフ製薬会社よ。」
「・・それって?」
「グリフ製薬会社に陸上部があるのよ。走ってみたら?」
 アリカは舞の溢れるような微笑みを見て今更ながらに"ドキッ!"とした。彼女は父を引き入れるために自分に接して来たことは当然分かっていたのに、どういうことなのか?
「そ、それは無理じゃない?だって・・だってあたし、大学には行かなかったのよ。そんな世界有数の大企業に就職して実績の無い自分が闘える分けがないじゃない。」
「そうね、もし、私が紹介しても社員になれたとしたらきっと実績無し、学歴無し、親のコネと言われるでしょうね。」
 まさかの舞の侮辱ともとれる発言に彼女は顔を蒼ざめ聞いていたのだが、ふつふつと怒りも湧いて来て一瞬でも喜びを感じた自分を恥じていた。
「アリカさん、聞かせて。貴女のプライドは何?」
「プライド?」
「人に卑下されて傷付いて感傷に浸りながら老いていくつもり?それとも、正当に得た奇跡的チャンスをモノにして今まで自分を馬鹿にして来た人達を見返すつもりが貴女にはないの?」
「・・・」
「例えば、グリフ製薬会社ではなく私と同じロンドン・ユナイテッドFCに就職してグリフ製薬会社の陸上部にレッテル有りきの選手と競うことになるわね。貴女はその脅威と侮辱に怯えて身を守るのかしら?いえ、きっと言い訳してそうするわね。」
「あ、貴女、さっきから言わせておけば!」
 顔を赤らめ身を乗り出したアリカを店内の客、店員も見ているが舞は、背もたれに身を委ね脚を組み顔に笑みを見せて言い放った。
「まだ三部所属のチームが、プレミアリーグ制覇、CL(UEFA チャンピオンリーグ)制覇と貴女に伝えたら、貴女笑うんでしょ?」
 アリカは舞に看破されぐうの音も出なくなり、口をパクパクとさせた。
「私達を馬鹿にする人達には、どうぞ勝手に笑わせるわ!でもね、いつか絶対に後悔させてやる。何故なら、私達は必ず夢を実現させてみせるからね。」
 舞は"ニヤリ"と不敵にアリカへと笑って見せた。最早、勝負はついた。覚悟のある者とそうでない者との差は歴然であったのだから。アリカは舞の覚悟を知った。
「あのう・・私も舞さん、貴女みたいになれると思う?」
「今の貴女を見て、お母様はどう思うのかしら?」
「・・・」
 舞はテーブルの上に置かれたアリカの手を握って言った。
「少なくとも私と同じロンドン・ユナイテッドFCのスタッフに縁故入社したとしても、アリカさん、決して貶されても負けないで。貴女は貴女なんだから自分の位置をしっかり確保して見せつけてやりなさい!皆に、そして・・私にもね。」
 アリカの視界はもう涙でぐちゃぐちゃになっていた。両親以外でここまで自分を叱咤激励してくれる人がかつて居ただろうか?彼女にとって舞は最早、かけがえのない姉となっていた。
「し、信じていいの?私、貴女を・・」
「ふふ、期待してるわ、アリカ。」
「舞さん・・」
 舞は、涙を拭くアリカを優しく見つめるとウェイトレスを呼んで会計を済ませた。幾分かのチップを上乗せして。
「あのう、すみません。」
「お騒がせしたもの、とっておいて。タルト、抜群に美味しかったわ。」
店から出た舞の側にアリカが寄ってきた。
「舞さん・・すみません、御馳走さまでした。ねぇ、この後はどうするの?」
「そうねぇ、貴女はこの後用事は?」
「無いわ、大丈夫。」
「そう。なら、もう一軒付き合う?」
「はい、是非!」
 アリカは、出会った頃とは違い華やかな笑みを見せ飛び跳ねて喜んだ。舞はその間スマホを取り出してチェックをしてみるとリサからのメールを見つけた。
「ごめんなさい、ちょっと待ってね。」
 舞はその場を離れてスマホからエージェント課のナンバーを見つけるとタップした。数秒してリサの声が聞こえた。
「はーい、エージェント課です。」
「リサ、ごめん遅くなって。」
「あ、チーフお疲れ様です。如何です?御嬢ちゃんは?」
「ええ、分かってくれたわ。」
「へー!ま、チーフに掛かったらイチコロでしょうから。」
「ちょっと、人を殺虫剤みたいに言わないでくれる!」
 電話からはリサの楽しそうな笑い声が聞こえてくると共に、ジェイクの『リサ、駄目だよ!』という声も聞こえた。ホント、真面目だなぁ〜と思う。
「あ、そうそう!チーフ、男性の方から『連絡を頂きたい』と番号を預かってますが、どうします?」
「わたしに?そう・・どんな方?」
「えーと"masyu"さんという方ですがスマホナンバーが○○・・○○です。英国人ではない発音でしたが、ご存知ですか?」
「さあ?聞いたことないわね。分かった、ありがとう。」
 舞は通話を閉じて一瞬考えたが、リサから言伝されたナンバーをタップした。数秒して受話器から男性の声がした。
「はい。」
「(日本語??)・・あのう、ご連絡頂きました北条と言いますが、どちら様でしょうか?」
 舞は恐る恐るといった感じで聞いてみた。
「北条さん?良かった、待ってましたよ!」
 電話先の相手のテンションに幾分驚いたが、彼女は再度聞いてみた。
「失礼致しますが、どちら様でしょうか?」
「原澤ですよ、北条チーフ。」
「原澤?・・ハラサワ・・は、原澤!!?」
 舞は自分の記憶を辿り行き着いた先に愕然とした。"ハラサワ"の苗字で彼女が知る人物は、原澤会長しか居ない。そう、今彼女が話している人物こそボスである原澤会長なのであった。
「ええ、その原澤です(笑)」
「あ、いえ、そんな・・嫌だ!?すみません、は、原澤会長。」
 彼女の取り乱した声と態度に、電話口から彼の笑い声が聞こえる。
「参ったな、久しぶりに大笑いさせてもらいました、突然で申し訳なかったね。」
「い、いいえ、大変失礼致しました。本当に恥ずかしいです。」
 舞は気付かないうちにスマホを持ったまま何度も"ペコペコ"と頭を下げていた。アリカがその光景に目を丸くしている。
「トミー部長から聞いたんだが、ベルリンに居るそうだね。」
「はい。」
「まだ、ラルフマン氏には会ってはいない?」
「そうですね、実は先程お嬢さんのアリカさんと逢いまして、これから二軒目に行くところなんです。」
「ほう!もう、意気投合したと?」
「はい、仲良くなれました。」
「それは良かった。」
 舞は頭の中で激しく思考を整理していた。原澤会長による電話の目的とは、一体何なのか?
「会長、御心配をお掛け致してすみません。」
「いやいや、そんなことはないよ。それより君に聞きたい事があってね。」
「私にですか?」
 彼女はスマホを更に耳に押し当てた。
「ラルフマン氏に会うのはいつになるのかな?」
「早ければ明日の午後にと思っていましたが、まだ彼女に話してないため何とも言えないんです。」
「そうか・・では、会う日時が決まったら私も一緒に伺うので教えてくれるかな?」
「えっ!?会長もですか?」
 彼女はまさかの展開に絶句した。会長自ら赴いての交渉をすると言うことは、下座に座るとも取られ兼ねない行為だ。
「しかし、会長ご自身による交渉などと・・」
「変かね?」
「変だなんてそんな・・でも、たまたま時間があったからと言い訳は成り立たないかと。」
「言い訳?」
「えっ?あのう・・」
「北条チーフ、君は会長の私が直接交渉を行うことに反対なのかね?」
「反対だなんて、そんな・・ですが、もしラルフマン氏による高圧的な態度があった場合、会長に失礼になるかと・・」
「それはグループの長たる会長が言われることへの懸念と捉えて良いのかな?」
「あ・・はい。」
 彼女はスマホを強く握り締め頷いた。彼に失礼なことを言ってしまったかと不安になってしまった。
「なるほど・・北条チーフ、ありがとう。確かに君の懸念は正しいだろう。だが、彼、ラルフマン氏は君達エージェント課一押しの人物だったな?」
「それは・・はい。」
「ならば、彼がそのような対応をするかね?私は彼を三顧の礼を持って遇したい、と思っているよ。」
「"三顧の礼"ですか?」
 彼は、あの三国志の英雄であり蜀の劉公爵が軍師となる諸葛孔明を迎えた態度で遇したいと言うのだ。恐らくサッカー会では会長がエージェントと共に頭を下げるなどとは異例中の異例であろう。だが、だからこそ行う意義がそこにあるということを彼女も理解出来る。しかし、それは彼の立場を軽視してしまわないか、と不安視した。
「北条チーフ、君の考え方は強ち間違いではないだろう。劉公爵の義弟、関羽と張飛もそうであった。だが、偉人を迎える際の凡人の姿勢とは如何なるものかも重要なことなんだよ。」
「そんな、会長を凡人なんて・・」
「いや、凡人だ。現にケイトくんやエリック、君のような優秀なブレーンが居なければ、私など実績の伴わない傀儡でしかないだろう。」
 彼女は何も言えなかった。何故なら、彼が会長になった経緯を知っているから。ラドワード・グリフ前会長死去、前会長の推薦で会長になった人、何の経験も実績もない日本人が世界トップクラスの製薬会社とイングランドサッカーチームのオーナーになったのだから、批判の対象になっても致しかたないと思っていた。彼も自分の居場所でもがいていたのだ・・舞はそれを認識して原澤会長を慰めるべく考えを思い描いたのだが、全てが陳腐に思えてしまい黙ることしか出来なかった。だが、原澤会長もまた彼女の本心を知り得たことになり、正直者で裏表がないことを理解したことでスマホを握り締めて微笑んでいた。
「北条チーフ、ではエーリッヒ氏との会見が決まったら連絡をしてくれるかな?」
「はい、承知いたしました。一緒にお逢いする形で宜しいでしょうか?」
 舞はスマホを耳に当て直して聴いてみた。
「うむ、それでいいよ、宜しく頼む。」
 彼はそう言うとスマホの通話を切った。舞は"プー♪プー♪"という切断音を確認しスマホを閉じ、深く息を吐いた。
「どうしたの?会社から?日本語・・なの?」
 いつの間にかアリカが側に来て、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫よ、ごめんなさいね。」
「実家からの電話とか?」
「違うわ。えーと、会長からよ。」
「えっ!か、会長さんから?直接?」
「・・ええ、そう。」
 彼女は口に手を当て眼を白黒させビックリしている。舞は少しだけ優越感に浸っている自分を感じて戸惑った。
「さあ、次のお店に行きましょうか。あ、でも、未成年よね?お酒は抜きか。」
「あ、少しぐらいなら大丈夫。」
「それ!その一言が気になってたの。」
「えっ?」
「いい?アリカ、これから貴女が社会人になって、また陸上選手となったらプロとしての責任を負うことになるのよ。」
「・・・」
「少しの油断が社会人としての制裁を受ける事になるわ、決して忘れないでね。」
「はい!」
 アリカは頷くと強く返事をした。彼女の舞を観る眼は明らかに変わってしまった。初めは父、エーリッヒと三部リーグのチーム監督として契約を交わすことなど、彼女としてはどうでも良かった。病気の母親が亡くなり、父親と借金を返済する毎日に嫌気が指していた。そんな中での話は、格好の暇つぶしでしかなかったのだ。それがまさか、ギムナジウムを卒業しただけの自分に正社員、しかも大好きな陸上を続けることを薦めてくれるなんて、半信半疑ではあるものの今の自分は失う物がないのだからこそ信じたい、彼女は信じさせてくれる、そう思いたかった。
 次に2人が訪れたのは、Uバーンシェーンラインシュトラーセ駅から徒歩7分の場所にある"ヴォルト(VOLT)"を訪れた。発電所跡を改装してオープンした内装にはその名残があり、見た目はかなり洗練されており落ち着いた雰囲気だが、インテリアはスタイリッシュだ。
「ここよ。」
 舞は、アリカを連れて入り口の扉を開けた。
「Hallo!」
 すると目の前に黒で統一したファッションの男性スタッフが現れた。
「Hallo、予約していた"北条"ですが、大丈夫でしょうか?」
「はい、勿論ですよ、こちらへどうぞ。」
 店員は2人を窓際の席へと導いた。舞は漆黒のピンヒールを鳴らし店員が引いてくれた椅子に腰掛けたのだが店員は、目の前を通った舞の美しく張った胸元と白い首元に目を奪われた。
「Danke。」
 アリカも同様に腰掛けるが、こちら側の店員はマジマジと彼女を下から上に観て軽く首をすくめた。
「では、決まりましたらお呼び下さい。」
「分かったわ、ありがとう。」
 男性店員は、優しく微笑むと会釈をして下がって行った。
「スイカのマリネなんて、面白い!」
 アリカは、メニューを見ながら嬉しそうに呟いた。
「スターターに"パプリカスープと季節のスイカのマリネ"にしてみる?」
「じゃあ、それで!後、ソーセージはねぇ・・」
(やはりドイツ人ね、ソーセージは必須なんだ(笑))
 舞はソーセージのページと黒板に記入された"本日のお勧め"を眉間に皺を寄せて真剣に見比べるアリカを見て"クスッ"と微笑んで見た。
「えー、どうしよう・・あたし、結構な優柔不断だから。」
「私もそう、かな。」
「メニュー見ると"あれも食べたい!これも食べたーい!"てなりますよね、ホントそれ。あ!『ヴァイスヴルスト(バイエルン南部の名物)』がある、テンション上がるなぁ〜!」
「好きなの?」
「はい。これ、仔牛と豚肉に玉ねぎと風味づけのためのパセリやレモン、カルダモンを詰めた白いソーセージで、茹でて食べると美味しくて!もう、ジューシーなのにさっぱりとしていて、優しい味わいなの。でも、傷みやすくて冷蔵保存ができないから、ママからも注意するようによく言われたわ。でね、出来立てを朝食時に甘いマスタードをつけて、ブレーツェルパンと一緒に食べるのが殆どだったからディナーでは初めてかも。」
 舞はアリカの予想外とも言えるソーセージ談議に、目を見開いて聞いていた。
(若さかしら?)
 その後二人は、好きな音楽や映画等の趣味、グルメ、母親の好きな花等の話を交わした。舞はアリカのマシンガントークに辟易していたが、そこから感じたのは彼女が感じ得た疎外感であった。きっと、同世代の友人達とガールズトークをしたいのだろう、と。やがてメニューはデザートとなり2人のテーブルに『アプフェルシュトルーデル』が置かれた。本家本元はオーストリアだが、ドイツ料理レストランでは欠かせないデザート。薄いパイ生地は15世紀に中東から伝わったとされ、その生地に溶かしバターを塗り刻んだリンゴにシナモン、砂糖、レモン汁などを加えて煮込んだフィリングをくるくると巻いて焼く。カスタードソースやバニラアイス、生クリームなどを添えていただくのが定番の一品だ。
「これ、凄く美味しいわね!」
「でしょ!もう、ドイツスイーツ界の王道よ。甘いのにさっぱりとした味わいで、幾らでも食べれるわ。」
 舞が薄いパイ生地にフォークを差し込むと"サクッ!"と心地よい音がする。彼女は中のリンゴと共に添えられたカスタードを付けて口に運んだ。
「ねぇ、アリカ。」
「はい。」
「1つ聞きたい事があるんだけど、いい?」
「勿論!何ですか?」
「ブリクストンに住んでいた時、ナイジェリア系移民の家族と知り合ったでしょ?其処でとんでもなく上手いサッカー少年が居た、とSNSに書いているのを見たけど、覚えてる?」
 舞は、アリカを見つめて問い質すと彼女は、弾ける笑顔を見せて話し始めた。
「うわぁー!舞さん、それも覚えてくれてたの?滅茶苦茶嬉しい!」
 アリカは、子供の様にはしゃいで喜んだ。思わず、舞の方が身構えてしまうほどに。
「"ニック・マクダウェル"といって、みんなからは"ニッキー"と呼ばれてたわ。」
 それを聞いた舞の眼つきが変わった。
「アリカ、ウチのチームに彼を入れる事を貴女はどう思う?」
「え?舞さん、本気で言ってるの?」
「会ってみないと分からないけど、登用するだけの価値があることを私は期待してるわ。彼のこと、教えてくれる?」
 舞の問い掛けにアリカは視線を落として考えているが、舞はその暗くなった表情に違和感を感じた。
「アタシ・・ニッキーとは今も連絡を取ってるの。でも・・」
「でも?」
 アリカは、フォークを置き視線をコップに移し浮き上がる炭酸泡を見つめながら語り始めた。
「出会った時、ニッキーはナイジェリアから来たばかりだった。外が真っ暗になった路上で穴の空いたスニーカーとシャツで彼はよくボロボロのサッカーボールを蹴り続けてた、冬でもそんなシャツを着てたのよね、その脇には何時も小脇に人形を抱えた妹のシャーリーが居たわ。共働きの両親を2人は待ち続けてたのね。ある晩、アタシのママが2人を家に招待したの。そこで焼き立てのブレッドを出したわ、そしたらね彼とシャーリーもブレッドを食べようとしないのよ。ママが『安心していいのよ。』って優しく言ったら、彼『頂いていいよ。』って妹に言ったわ。一口かじった彼女が『お兄ちゃん!凄く美味しいよ!』って、そしたら彼『そうか、良かったな。あのう、ありがとうございます。』て妹の頭を撫でながら深々と頭を下げたの。『貴方も食べなさい。』ってママが言ってもニッキーはブレッドに手を伸ばさなかったわ。そしたらね"ぐぅ〜"って、彼のお腹が鳴ったの。アタシが『もう、お腹空いてるじゃない!食べなよ。』って言ったら彼、何て言ったと思う?『持って帰っても良いですか?』って、家では、お父さんが自分達に食事を分けてくれてたことを彼はずっと気に掛けてたのね。そしたらママがね『これを持って行きなさい。』って、沢山のブレッドを彼の前に持って来たわ。その時のニッキーの涙をアタシは忘れることが出来ないの。」
 舞はまだ見ぬニッキーに思いを馳せた。難民として辛く苦しい時を彼は過ごしてきたことが容易に想像できた。少しの事柄でも彼の兄として、息子としての思いが垣間見えた。
「それとね、ニッキーには弟が居たの。でも、イギリスへ辿り着く前に病気になって死んだって・・埋葬も出来ず集団火葬で荼毘に付した後、少しの遺灰を持ってロンドンに辿り着いたって。悔しそうに語ったわ。彼『俺は弟のため、妹のため、父さんの名誉のためにサッカーをしているんだ。』と言っていたの。それなのに辛い思いに耐え忍んで頑張ってきた彼等を不幸がまた襲ったわ。15歳の時にお母様が交通事故で他界されて、お父様が昨年大腸ガンで闘病生活に・・生きるために直ぐにでもお金が必要だからサッカーの夢を諦めてバイトしてるって。」
 舞は言葉が出なかった。難民として、彼は過酷な人生を送っていることが想像に難くない。難民からプロのサッカー選手になった者も居る。コソボ代表として招集メンバーの中に弱冠16歳の選手がいた。その選手が、MFラビノット・カバシだ。カバシは2000年2月28日生まれの16歳。現在はバルセロナのカンテラに在籍し、そのプレースタイルと試合に対する野心から“NEWイニエスタ”と呼ばれている。そんなカバシが生まれた2000年当時、母国であるコソボは紛争の直後であった。セルビア軍が撤退した後も殺害や拉致といった迫害が続き、カバシの家族はコソボを逃れることを選択。戦で荒廃した祖国を離れ、難民としてスペインへと渡った。カバシが2歳の時だ。するとカバシはスペインでサッカー選手としての才能を開花させ、2013年にバルセロナのカンテラに加入。そしてこの度、コソボ代表に招集されたというわけだ。しかし、ニッキーの場合、更に辛い状況にあるといえる。闘病中の父と幼い妹を養うことはそうでない家庭であっても夢を諦めるには十分の理由と言えよう。
「舞さん・・ニッキーは、本当に凄い選手よ。是非、チームのために獲得して欲しい。勿論、贔屓目で見てしまっているかもしれない、けど、実際に観たら分かるはずよ。父も彼の将来性を楽しみにしてたから。」
「お父様も?」
「ええ。よく、父は時間のある時、彼を指導していたもの。あたし・・彼に夢を諦めて欲しくないの。」
「ふふ、貴女達は似た者同士なのね。」
 アリカは、舞が微笑み呟いたことに"はっ!"とした表情をすると耳朶を朱に染め、視線をテーブルに落とした。
(私は遂に見つけたかもしれない・・チームのバンディエッラを。)
舞の視線は窓から見える夜景を捉えていたが、果たしてそうなのかさえ定かではなかった。

第5話へ続く。

"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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