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すぎるがすぎてこうじた話

わたしは色んなものが「すぎる」のかも知れない。
いつも何かしらにハマって、やりすぎて、飽きて捨てて、また探す。
その繰り返しのような気がする。
母には昔、何でもいいから続けられるものを見つけなさいと叱られたものだ。

しかしそんなわたしが今書いている本は、「わたしは夫が好きすぎる」というタイトルの本だ。
夫が好きすぎて自分も夫も嫌いになりかけたので、思考を変えて頑張っていくというエッセイ。
ジョーク混じりのネーミングのつもりだったのに、兼業をする上で会社の上層部に本の内容まで伝えなくてはならず、上司に話したがポカンとされた。
今世紀最大の屈辱だった。穴があったら秒で入っただろう。

それ以外にも、ハマりすぎるのは幼少期からあったと思う。
先日まではせっせとハンドメイドを頑張っていた。
10年やり込んだ。
やきものリングを作って売っていて、わたしの売れ行きを見た作家さんたちがこぞってリングを作り始めたくらいに、まあまあの影響力と共に、持ち前の目立ちたがりと接客力で、きちんとやればもっと売れたと思う。
作品を愛してくれるひとはたくさん居たし、休んでも再販待ってますとか、いいねとかメッセージは来ていた。

しかし、あっさりと窯を捨ててしまった。
その判断が正しかったのかどうかは今でもわからない。
惰性で陶芸用品の一切を処分した。
何でだろう、わたしは10年の実績から手を離してしまったのだ。しかも、半ば衝動的に。

没頭する先のなくなったわたしは、ふと、文章を書くことが好きだったことを思い出す。
Twitterでは140文字ジャストを目指して文章を練ったり、自分の書く文字が好きで何度も読み返す癖があった。
幼いころの愚痴の受け入れ先といえば、紙と鉛筆。
とにかく文句や不満を紙に書き散らし、大事なお願いなども紙に書いて親に見せた。
文章でならうまく気持ちも表現できた。
代わりに口は全く立たなかった。
小学校低学年のときには、先生との連絡ノートで物語を書いていたこともあったし、家族の中でひとりだけ活字を好んで、バイト先で文章が面白すぎて神とあだ名がついていたことだってあった。
おまけに、夫シンシンには文庫本一冊分の熱い詩をしたためていた。元気のないときには自分を励ます言葉で傷を癒していたこともある。

文字はわたしをいつも支えてくれていた。
悩み抜いて見上げた空に力をもらったように、わたしには文章もある、と感じた。
すぐに机に向かった。
まずはリハビリから。文字は生き物だから。
楽しく、悩み抜こうと思う。

これからどんどん洗練されて、良いものを書いていく予定です。
読んでくれてありがとう。

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