#母の日 に読みたい #コトバのチカラ
アスリートの言葉を紹介するサイト「コトバのチカラ」に、母の日に因んだ言葉が公開されています。母に送る言葉、母が語る言葉。そのいくつかを紹介します。
"ごめんな、いつか恩返しするから"
興南高校(沖縄)で2度甲子園に出場し、2019年ドラフトでオリックス1位指名でプロ入りした宮城大弥投手。
家計が苦しく、試合用のユニフォームにつぎはぎをあてながら練習を続け、生活費から遠征費をやりくりしていました。その度に家族に口にしたのが「ごめんな、いつか恩返しするから」という言葉だったといいます。
ドラフトで名前を呼ばれた瞬間、横で涙を流す母の手を握りしめたエピソードは、こちらの記事に(琉球新報)。
"人生最大の試合。母に強い自分を見せたかった"
2010年11月、WBCフェザー級王座決定戦で勝利し、2階級制覇を果たした長谷川穂積選手は、リング上で母・裕美子さんの遺影を掲げました。
その年の4月に11度目の防衛に失敗してバンタム級王座を陥落。がんの病床にいた裕美子さんは「勝ってよ」と声をかけ、亡くなりました。その日記には「もし命とかえられるなら、あの子に光を与えてください。私なんかどうでもいいから」と記してありました。記事はこちら(神戸新聞)。
"けがをしたときは最大の親不孝だと思った。大会で活躍すると両親が喜んでくれるので、今はそれが一番の恩返しになっているかな"
沖縄県うるま市出身で、中高ではバスケットボールで活躍していた喜納翼選手は大学1年のときに、ウェートトレーニング中の事故で下半身の障害が残りました。
車いす陸上に出会ったのは大学卒業後。同居する両親のサポートのもと、恵まれた体格で頭角を現し、マラソンをはじめて3年余りで日本を代表する選手となり、活躍しています。記事はこちら(琉球新報)。
「コトバのチカラ」には、母への言葉だけでなく、母の言葉もあります。
"子どもを2人産んで、まさか東京五輪まで続けるとは思っていませんでした。選手生活をしながら育児日記をつけました"
小野清子さんが語る「東京五輪」とは2020年のことではなくて、1964年のオリンピック。今よりもさらに女性の社会進出が難しかった時代です。
東京五輪では体操女子団体で銅メダルを獲得しています。記事はこちら(秋田魁新報)
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