「左利き」とか「右利き」とかに対してのちっちゃい気づき
生まれたときは左利きだったのだけど、祖母のしつけのおかげでほぼ右利きになっていきました。
そのことで、小さいころは左利きというだけで、
「こら!おかしいよ。ちゃんと右で持ちなさい!」と無条件で叱られていた(ように感じていた)ので欠陥品のような気持ちで過ごしていました。
そのせいで、祖母は「悪だ」という認識にもなっていて(ごめんね!)
つい半年くらいまえまで、意識的に「左」を使うようにしていました。「自分に戻るんだ!!!」って豪語してた。笑
それで、結論が
最近はもうどっちでも良くなって、
むしろ祖母がわたしが不自由にならないように「右きき」にしてくれたんだと思うと祖母の愛情すら感じるようになって
(!!!!!!!!!)
右利きでも左利きでもどっちのじぶんも、べつになんだっていいし、どっちのじぶんも自分であることすらあいまいになってきて、利き手にこだわらなくなりました。
そういうふうに思っている自分にふと昨日気づいて、おばあちゃんありがとね!って気持ちまで出てきて
小さくびっくりしています。
小さい頃の幻想って意外に持っているものですね。
「月の欠損」を感じるようになって、ますますそういうことへの気づきも加速しているのかなー。気づき始めるとどんどんくるね!いいぞ!
やっとなんかひとつ、こだわりを捨てることができた!って感じだ。
そんな気づきでした。
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