みじか小説「白昼、人妻、レインボーロード。」
僕の部屋に人妻が来ている。
ギンギンに冷房が効いたアパートの一室で、僕と人妻が同じ空間に存在している。
同じアパートの同じ階に住む、佐和子さんだ。
佐和子さんは30歳と言っているが、本当は28らしい。多めに見積もられても、それはそれは美しいですよという感じだ。
僕はクソ味噌F欄大学生の王道を走るような無学無軌道の塊だけど、年上の人妻が僕の部屋に来ている。
同級生は就活やらインターンだかやってるけど、年上の人妻が僕の部屋に来ている。
昨日駐禁を切られた自転車が最果てまで誘拐されたけど、年上の人妻が来ている。
この部屋にノースリーブの女性が来訪するという歴史的出来事に、心拍数は32ビート…だったのは昔の話で、佐和子さんが僕の部屋で「密会」することはもう割と珍しくないイベントと化していた。
「はい、1位〜!」
佐和子さんの声とともに、僕の部屋の小さいテレビに映ったクッパが、喜びの舞を車の上で踊り始めた。
「早すぎる…。佐和子さん、早すぎるよ…。」
佐和子さんは人妻だが、僕の部屋にマリオカートをしにくる。
ただ、マリオカートをしにくる。
最新ゲームを持っていることをかぎつけて、うちにゲームをしにくることが多くなった。
ゲームは好きだけど、買うほどではないみたいで。
僕が窓を開けて音大きめでゲームをやってしまいブチギレられたのがきっかけだ。
僕の使うヘイホーがげんなり。
画面がコース選択画面に戻った。
「ちょっとアンタさ、佐和子さんって呼ぶのやめてって言ったよね?なんかアンタと私が白昼堂々、昼ドラよろしくジュクジュクの関係みたいじゃん。山口さんって呼ぶこと。」
「.…すみません、口に出したくなるんですよ佐和子さんって名前、なんかこう口の中が美しいといいますか…」
「はいキモ。激キモ。この夏一番のキモ。」
僕と佐和子さんの間にはセックスのセどころか何も書かれていない。
僕が普通にキモいというのもあるかもしれないが、そのような関係では一切ない。
「次!次はレインボーロードでアンタしばき倒すわ」
俺の知ってる人妻は「しばき倒す」って言わないんだけど。なんかこうもっと、お淑やかなイメージなんだけど。あらあらうふふなんだけど。
「勘弁してくださいよ、俺男友達とすらこんなマリオカートやらないですよ。」
もう2時間くらい経過していた。今はミヤネ屋で最初のニュースがやるくらいの頃だろうか。
「は?もうできないの?まだできるでしょ!」
少しエロいことを言わないでくれよ。
「少しエロいことを言わないでくれよ、とか思っただろ?ド童貞。」
と佐和子さんが睨んできた。
ついに俺の童貞にドついちゃったよ。口が悪すぎないかこの人妻は。旦那の上司も水道業者もスケベ大家も全員萎えて帰ってくよ。
「...…本気出しますか。」
すると僕は伝家の宝刀、「あえてのマリオ」を抜刀し、佐和子さんに挑むことにした。
「誰が来ても同じ!」
ステージはレインボーロード。場外に落ちやすく、さらにとんでもなくチカチカするので目にも恐らく悪い危険なステージだ。
テーレッテレー
ピッ、ピッ、ピッ…
ピー!
レースが始まり、キャラクターたちが一斉に走り出す。
無言となる。
今度こそ負けない。
奇跡的に上位を走れているぞ!
今までのレースはいつも佐和子さんが1位を易々ともぎとってゆく。
人妻なのにゲームが上手い。そこそこゲームやってるゲーミングチェア系男子の僕より上手い。
人妻なのに。ん?これって炎上しますか?
そんなことを考えていると、
「あッ」
佐和子さんの操るクッパのケツに跳ね飛ばされて、僕のマリオが星空へと吸い込まれ、1度人生を終えていた。このゲームはクッパのような重たいキャラクターは軽いキャラクターを跳ね飛ばすことができる。
「アッハッハッハッハッ!!!」
隣を見ると佐和子さんが爆笑していた。
こんな笑えるかね?今日びマリオカートで。
「やべっ」
よそみが過ぎたのか、佐和子さんのクッパがコンピューターの使うキャラクターに抜かれそうになっていた。こいつマリオのどれに出てたんだよって感じの変な亀のやつだ。
佐和子さんをふと見つめてみると、
佐和子さんの瞳に、ゲーム画面が、レインボーロードのキラキラが反射してて、
なんだか、
綺麗だなと思った。
我に返り、奮闘虚しく5位という微妙な順位になった。ゴール直前にバナナを巻いてきたコンピューターのルイージとは兄弟の縁を切ろうと思った。
佐和子さんは2位だった。
よそ見運転はよくないということだろう。
「アンタの交通事故のせいで抜かされちゃったじゃん」
肩を小突かれた。いい匂いがした。
僕のせいじゃないですよと弁明しながら、次のレースをしたりして、時間が過ぎていった。
「そろそろ帰ろうかなー。旦那帰ってくるから。」
伸びをしたのち、立ち上がった佐和子さんを見上げる形となりながら、
「改めて聞きますけど、旦那さん、怒ってないですか…その、なんつーか、うん」
恥ずかしくなって俯く僕にあっけらかんと答える佐和子さんは、
「まー、あんま私のすることに興味ないからね〜」
表情は見えなかったけど、なんでもない感じだった。
「あ、全然夫婦の関係冷えきってるとかじゃないから。全然愛し合ってるから。私も旦那の趣味とかには干渉しないから。」
「そういうもんかあ」
そういうもんかあ、と思った。
僕なら近所の大学生の家でゲームしてるの嫌だけどなあと、思った。
「ちょっとは..…怒るのかな?」
これに返答できるボキャブラリーと経験が僕にはなくて。
「あのー」
「何?」
僕はすくっと立ち上がった。
「僕らの関係ってこれなんなんですか、ね…?」
一瞬かっこつけるも自信が下降していった…。
「んーー」
佐和子は人差し指で自分の口元を抑えながら、
「友達、かな?」
すると佐和子さんは靴をトントンとつま先を合わせて帰って行った。
またねー、という言葉がドアが閉まる音で掻き消されながら。
とっ
友達かぁ.…!
ゲーム以上の関係に、なろうと思えばなれるのかな?その1歩を踏み出す度胸なんて、僕には無いんだけど。
今どき不倫なんて、裁判沙汰も裁判沙汰だし。
まあ僕は…このまどろみにいたい。
それでいいよ、人生なんて。
佐和子さんは元々同棲中からこのアパートをかりてたらしく、近いうちに結婚を機に引っ越すらしい。
テレビを消して、コントローラーを片付ける。
佐和子さんの使っていたコントローラーが、
手汗で湿っていて、暖かった。
「なんか…エロいな〜〜!!」
こんなもんだ.…。
こんなもんなのか!?
いや、こんなもんか。
おわり