本当の自分 3
私たちは、ある出来事を問題ととらえ、その唯一の答えを探すように教育されてきました。幼稚園、小学校、中学、高校、大学と。
それは今までの三次元世界では常識でしたが、これからの時代では、常識自体があやふやなものになって行くので、旧時代の名残のようなものになります。
ちょっと前にこういうことがありました。ある出来事があり、それを知人に何の気なしに話したところ、「それは大問題じゃないか!」と。僕はそのどこが大問題なのか、正直言ってよくわかりませんでしたが、知人はああじゃないこうじゃないと、ずっと「問題を解決する方法」を語り続けました。
僕が感じていたのは、針小棒大、です。なのでのらくら答えていると、突然知人は怒りだしました。ちゃんと真面目に考えているのか、と。
出来事を解決すべき問題にしてしまうのは、その人自身です。そしてそういう教育を受け続けてきたのですから、そうなってしまうのも当たり前です。というか、それ以外の受け取り方ができなくなってしまっているのです。
問題が問題として存在するのは、「解決すべき」とセットになっているからです。
大きな自分(=魂)は、問題という感覚がありません。なので、解決すべきもありません。
そして、唯一の答えというものもありません。あるのは、その人の答えです。そして、それが正しいとか誤っているとかはありません。その人の答えがその人にとっては唯一の正解です。
これが肚落ちしていれば、大きな自分(本当の自分)に近づいていますし、そうは思えないか、もしくは知識だけでまったく肚落ちしていないのならば、小さい人間の自分でいるということです。
いつものように、どちらが良いとか悪いとかの話ではないのでご注意ください。
小さな人間の自分の状態は、探究し続け問題や疑問がわいては問題解決を繰り返す、というものです。
意味付け・ストーリーを楽しんでいる状態とも言えます。
大きな自分には、探究も問題も疑問も解決も意味付けもストーリーもありません。
もし、大きな自分(魂)として顕れるなら、探究そればするほどそこから離れて行くということを肚落ちさせましょう。
思考から脱して、軽く明るくいきましょう(^^/
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