自己正当化の罠
次へ進めないのは、受け入れずに自己正当化している時、と前に書きました。
自分が正しいという自己正当化というのは僕も含めて誰でもやっていることなのですが、そうすると何が起こるかということについてです。
自分が正しいという想いは、人間なら誰しも持っているものでしょう。自分が間違っているなら、やってられない感が沸き起こってしまうからです。
これは実は「思考が自分だ」と信じているから出てくるものです。
思考が間違っている = 自分が間違っている
では、思考は自分ではない、としたらどうでしょう。自分ではないし自分が生み出したものですらないとしたら。
自己正当化するということも無いのではないでしょうか。
ディベートでは、自分がどう信じているかにかかわらず、賛成の立場からの視点、反対の立場からの視点などを練習します。ほかにも第三者からの視点とか、いろいろありますが、こういう異なる視点を経験するというのはとても良いと思います。
思考はどうにでもなる、ということがわかると、思考=自分という幻想が崩れます。
どの立ち位置から言っていることかというのをポジショントークと言いますが、「思考=自分」という立ち位置に固定されていると、自由度は極小になり、固定観念化され苦しみが生まれます。多観点化が大事と言われるのは、自由度を増すのに必要だからです。
メタ認知というのも同じような意味で効果的です。
多観点化するというのは、自由への道すがらなのです。
自己正当化とは、「自分が正しい」という一点に固定化されるので、エゴは一時的には満足するかもしれませんが、結局は自由を失い、「自分が正しい」という固定観念に縛られ苦しみだけが残ります。
思考から脱して、軽く明るくいきましょう(^^/
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