化石としての風/復興としての土
半地下の新作群を見終わり、一階とエントランスに展示されていた過去作品を改めて見てみました。
加茂くんはこれまで「風」と「土」をテーマとして作品を制作していて、その代表作と呼べるものたちが展示されていました。
「風土」に繋がるこの「風」と「土」について、ギャラリー配布のハンドアウトではこのような説明がなされていました。
祈りとしての風土
そして「風土」について、加茂くん自身はこのように語っています。
表現の変化に見られる作家の変容の軌跡
福島へ足を運び、その風景を描き、その地に住む人々と交流する中で自分が絵を描く理由のようなものに、現時点での答えをを見つけていった加茂くん。
入り口からは影になっていて見えづらい場所に展示してあった、展示作品の中で一番古い2014年の作品を見て、私は彼の意識の変容を強く感じました。
この「逆聖地#2」という作品を一目見たときに私が感じたのは、恐ろしさや不安といった感覚でした。
防護服にマスク姿の人々の背後に見える発電所。
その風景は不自然にパースが強調されている。
空は雲で覆われており、光と影の陰影もまた強調されている。
これらは、何か人の不安や緊張をあおるようなそんな視覚的効果があるように感じます。
これまでに私が見てきた加茂くんの作品とは全く違う印象の作品です。
当時はまだ立ち入りが禁止されていた為、報道写真をもとに描いたという話を聞き、私は「自分の視点」と「他者の視点」の大きな違いを感じました。
作家が自分の目で福島の風景を見て、体で感じることで、絵の中に表現されるものが変わっていったのは、絵を見ると明らかだからです。
そんな、加茂くんという一人の人間のこれまでの変容の軌跡が、今回の個展で一番印象に残るものでした。
そして、メディア等で表現されるこういった画像には何かしらの「意図」が強く含まれているということも同時に感じ、そこから何を受け取るか?ということに私たちはもっと慎重にならなければいけないとも思いました。
未来へつなぐ
最後に、この「堆肥態」という作品について書きたいと思います。
原発以外にも、私たちが生きるこの社会は多くの矛盾を孕んでいます。
そんな世界の中で、有機物が微生物の力を借りて分解・発酵し、有機肥料に変容する「堆肥化」という概念を用いることで、自分自身の固まった価値観を分解して定義し直し、生き延びる方法を模索したいという考え方の元、描かれている作品です。
そのような前提で、加茂くんは「子どもは堆肥態」と言っていました。
子ども達は、この矛盾だらけで複雑な社会の、陰陽様々な要素を自分の中に取り込んで成熟し、大人になっていく。
その様子は確かに「堆肥態」と呼べると思います。
中間貯蔵施設の描かれた子どものシルエットは、小さな猫じゃらしを手に持ちながら、鑑賞者に対して真っ直ぐ向き合って立っています。
大きな課題を提示しながらも、この絵には、どこか希望のようなものも感じられるような気がしました。
その希望とは何なのか?
私たちの意識が少しずつ変化していくと、そのフィールドも変わっていく。
自分ひとりができることはほんのわずかだけど、それが波紋のように広がって、大きな渦になったらどうなると思いますか?
子どもたちが成長した時に、安心して暮らし続けることができるような社会を渡せるように、今大人である私たちがどのような意識で生きるのか?
加茂くんの言葉にもあるように、まず「自分に問う」ことを、私もし続けていきたいと思います。