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私的アート思考episode.5 美大受験


美術予備校で学んだこと

いよいよ美大受験の話について書いていくぞ~!と書き始めてはみたものの、いざやってみると、何をどのようにまとめたらいいのか迷子になってしまいました…

私は高校二年生の夏期講習から、東京にある立川美術学院(立美)に通っていました。
高校生~予備校生~仮面浪人生の足掛け4年。
たくさんのエピソードを振り返ってみると、予備校で学んだ多くのことは絵を描く技術的なことであり、このマガジンの主軸となる「アート思考」的な観点で書けることは、それほど多くないのかもしれないということに気が付きました。

正確に言うと技術を身に着けるために、何度も何度もデッサンや油絵を描き続けた結果として、大学入学以降ずっと考え続けることになる「アート思考」を根付かせるための土台となるような意識を耕すことに繋がっていったとは思うのですが、当時の自分にそのような意識は全くありませんでした。

それは頭で考え続けて得たものではなく、体を動かし続けて得たもの。

とても感覚的な要素であるので、なかなか言葉にすることは難しいと感じたのですが、当時のことを俯瞰して振り返る中で、象徴的な出来事を見つけました。

三度受けた東京藝大一次試験

私は一浪して多摩美術大学油画専攻に進学した後、一年で中退し東京藝術大学油画専攻に入学しています。
当時の東京藝大の一次試験である鉛筆デッサンの課題を、現役・一浪・二浪の合計三回受験したことになります。

現役と一浪のときはその一次試験であっさり不合格となりましたが、三度目にあたる二浪のとき、初めて一次試験に合格。
そのまま運よく二次試験にも合格することができました。

この三度受けた一次試験の鉛筆デッサンについて考えてみると、三度目の試験当時の自分の感覚は、それ以前に受けた二度に比べて、「自分の表現したいこと」に対するはっきりした確かな感覚を持ちながら絵を描いていたように思うのです。

こんな絵が描きたい。
そんなシンプルな、自己表現という名のささやかな欲求。
その欲求というふわふわしたイメージを、真っ白な画面の上に目に見えるようにしっかりと形づける力。
自分のイメージを自分でつくる、創造力。

言葉にすると簡単。
でもやってみると意外と難しい。
それはなぜ?
自分の答えとして描いたものに絶対的な正解はなく、目の前に自分が描き生み出したものに対して、責任を持てるのも自分しかいないから。
そんなこと、それまでの私は一度も引き受けたことはなかったし、そんな状況もなかった。
学校でも教えてもらうことはなかった。

正解がない創造の自由の裏側にある、正解のない不安。
その全てを引き受ける覚悟。
それがアーティストと呼ばれる人の生き方。

私が美大受験を通して得たものは、そんな創造に対して作者が持つべき態度であり、その作法でもあったように思います。

大切なのはサクセスじゃなく、プロセス

多様性の進む今の社会。
その中でも美術という特に自由な表現が尊重される分野について、「受験」という枠組みで話を展開するのは非常にナンセンスなことだと思います。
誰かや何かに評価される。
それはとても分かりやすく共感してもらえる王道のサクセスストーリーであるとは思いますが、それがゴールのように捉えられてしまっては、私が大切にしたい価値観とは大きくズレてしまいそうです。

私がここで共有したいと思ったのは「合格という外からの評価という結果」についてではなく、「自分らしい表現ができた結果としての合格」という内面の成長ストーリー
そして、そこに至る過程の中で少しずつ気づいていった自分自身に対する意識の変化についてです。

そんな一人の人間が真剣に何かに向き合い、主体性を伴いながら目的へ向かうプロセスこそが、今最も語るべき価値があるものだと個人的に感じています。

「自分の表現」以前の、幸せな時間。

この十代最後の数年を費やした美大受験の経験は、私個人の人生にとってはとても大切なものであります。

晴れて美大生になってからずっと考え続けることになる「私にとってのアートって何?」という、生涯の重い問いを背負うための基礎体力作りになるような鍛錬を積み重ねた日々であり、それは非常に地味で地道でありながらも、かけがえのない貴重な時間であったと今では感じているからです。

「今がいちばん幸せだよ」

当時、立美のO先生がふいに言った言葉を、今でも思い出すことがあります。
高校生でもなく大学生でもない、予備校生。
このとても宙ぶらりんな立場にモヤモヤを抱えていた私には、その言葉の意味は全くもって理解できませんでした。
この状況のどこが幸せなの?

ただひたすらに目の前の画面に向かい、画力を磨くために365日の全てを絵に捧げる。
大袈裟な言い方ではなく、本当にそんな文字通りの時間を過ごした日々。
それがいかに豊かで贅沢なことであったのか。

私がそんな風にその言葉の意味を捉えることができたのは、もっともっと先の話。

そんな「幸せな時間」の中でも特に印象に残るエピソードを、少しずつ綴っていきたいと思います。

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