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病室で待つ母へスープを作っていた私に、今伝えたいこと
「玉ねぎ、にんじん、セロリ。大根もええかもしれん。野菜を水から煮て、そのスープを持ってきてほしいねん。味つけは塩少しでええから」
その日病室に入ると、ベッドに座っている母が言った。胃を全摘出する手術をして、少しずつ食事をとれるようになった頃だった。
誰かに勧められたわけでも、本でみた情報でもない。自然に、身体から湧く欲求から、そんなスープが飲みたくなったらしい。
「明日からでいい?」
心の中で、また面倒な用事がひとつ増えたなと思いながら病室を出た。
そのころ私は、定時より2時間早く会社を出ていた。当時の上司が総務部に掛け合ってくれて、「介護休暇制度」を利用できたのだ。
おかげで退職せず、時短で働き続けていた。社会人3年目で自分が介護休暇を取るとは、思ってもいなかった。
職場を出ると、バスと電車を乗り継いで実家の最寄り駅まで向かう。途中で買い物をして、帰宅。すぐに父と私の夕食をつくり、母が入院している病院へ自転車で行く。
2時間ほど母の病室で過ごし、早めの夕食を食べて来た父と交代。私は家に帰り、ひとりで夕食をとり、洗濯などの家事をして一日を終える。
梅雨が始まるころ母の胃にガンが見つかり、夏に手術をしてから、そんな生活が続いていた。
秋になり、私はひとりで誕生日を迎え、25歳になった。父も母も私の誕生日を忘れていた。そんな誕生日は、後にも先にもその年だけだった。
🧅🥕
次の日、私は母に言われた野菜を買って家に帰ると、それらを大ぶりに切り大きな両手のアルミ鍋に入れた。
かぶるくらいの水を入れて30分ほど煮込み、塩を少し入れて火を止める。ここまで、母に言われた通りにつくる。
祖母がこのお鍋で大量のおでんを炊いてくれていたよなぁと、思い出した。前年に亡くなった祖母のことを考えながら、ひとりで台所に立っていると、何度も味わったさみしさが、またやってくる。
洗濯物を取り込み、病院に持っていく母の着替えやタオルを用意する。出来上がったスープを容器に入れて、用意したものもバッグに入れて、玄関を出た。
いつものように自転車を漕ぎ、病院へ向かった。
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「あんまり美味しくないなあ」
スープをひと口飲んだ母がそう言った。「私も仕事で疲れて帰ってきて、晩ごはんつくりながらこのスープこしらえてんけど」と心の中でむくれる。
「次つくるときは、水の量が半分くらいになるまで煮込んでみて」
勘と経験から出た母の言葉は正しいだろうが、素直に返事ができない。「文句だけで、ありがとうもないんや」そう思ったことが、そのまま顔に出ていたのだろう。
母と険悪な雰囲気になり、交代で来た父と入れ替わって病室を出た。
家に帰ると「美味しくない」と言われたスープの残りと、ごろごろ野菜が入っている鍋が、ガスコンロの上にあった。
「これ、どないしよう。捨てるのはもったいないしなあ」
野菜を捨てるのがもったいないだけではない。疲れながらもつくった、そのがんばりも捨てるようで、悲しかった。
鍋の中にある野菜を食べやすい大きさに切り、翌日カレールーと切り落とし肉を入れ、カレーライスにして食べることにした。
いつもと同じカレールーを使ったのに、いつもより美味しくないカレーライスになっていた。
「そう! これ! これが食べたかったんよ。おいしいわ!」
母に言われた通り、鍋の中の水が半分になるまで野菜を煮こんでスープをつくった。前回と違い、母はあっというまにマグカップ1杯飲み切った。
母に持っていく前にちょっとだけ味見をしていた。塩をほんの少しいれただけのそのスープは、野菜の甘みやうまみが出て、おいしかった。
自分がおいしいと思えて、母からもおいしいと言われたスープ。自分のがんばりがちょっと報われた気がしてうれしかった。
それから週に3、4回、私は晩ごはんの片づけを終えると、このスープを作った。
鍋を火にかけている間、疲れていつのまにか寝てしまい、焦げ臭いにおいで慌てて起きたこともあった。鍋を焦がしてうんざりしたのは、1度だけではなかった。
母はこの野菜スープを気に入って、喜んで飲んでいたが、私は楽しい気持ちでつくることはなかった。
たまには季節の野菜も入れてみようか。牛すじスープも、もしかしたらお母さん食べれるんちゃう?
今なら湧き上がるそんなアイデアもアレンジする楽しさも、あの頃の私には全くなかった。
一度に大量にスープを作って、小分けして冷凍したらいいよ。
バーミックスもおすすめ。野菜を潰してポタージュが簡単に作れるから。
少し水で伸ばせば、お母さんも食べれると思うよ。
せめて、楽になる方法だけでも、あの頃の自分に教えてあげたい。
いや、それだけじゃない。
明日はお母さんの体調、どうやろね。病室でどんな気持ちで、私がスープ持って行くのを待ってるんやろうか。
でも、スープをつくって届けること、続けるためには、私が無理をしすぎたらあかんよね。
楽しい気持ちでつくれたら、続けられたら、いいよね。
あの頃の私にこの言葉を伝えることができたらなと思う。当時の私は、そんなことを全く考えていなかった。思いつきもしなかった。
仕事と家事。そして、治ることはなく、ゆっくりと死へ向かう母。私の身体と、心は疲れ果てていた。疲れているという自覚もなかった。
冬が始まる頃、母が退院することになり、私の野菜スープ作りは終わった。それから母が亡くなるまでの約半年。私がそのスープをつくることはなかった。
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食べる人のことを思いながら、料理する。でも無理しすぎず、楽しい気持ちも大切に。
そのことがわかり、できるようになったのは、息子が生まれてからだった。私は32歳になっていた。
息子は生後8ヶ月の時、ちょっと難しい病気になり入院した。幸い経過は良好で、1週間で退院となった。
「小学生になるまで定期検診を受けて、それで異常がなければ大丈夫ですよ」という医師の説明を聞いて安心した。だが、最後に言われたひとことが気になった。
成人病になるリスクが高くなるから、食生活など今から気をつけてくださいね。
食生活に気をつける? それ、どこまでなにを気をつければいいのだろう。
病院からの詳しい説明はなく、さて、どうしようかと考えた。
まず始めたのは、野菜の宅配サービス。マンションの郵便受けに何度か入れられていたチラシを捨てずに取っていたのだ。
野菜の次は調味料にもこだわリ始めた。
だが、そのこだわりにストップがかかった。私がパート事務の仕事を始め、息子が保育所に行くようになると慣れない生活の変化から、家族全員にストレスが溜まり始めた。
これはまずい。
このままだと、母にスープをつくっていた時のように、うんざりしながら毎日料理をしそうだ。
野菜や調味料にいくらこだわっても、そんな料理美味しいのか? 家族に私の『うんざり』が入った料理を、食べさせたいのか?
いやいや。『うんざり』はもう入れたくない。そのために、毎日料理を続けられるようにするのが大事だ。
私が楽になれるように、息子は美味しく食べられるようにと、こだわりを少しずつ緩めていった。
疲れていたら、おかずは1品だけでもいい。帰りが遅くなったら、デパ地下でおかずを買って帰り、味噌汁はつくってごはんは炊く。
こだわりを緩め、楽に料理できるようになると、楽しくなってきた。そして、自分と家族、食べるひとのことを自然と考えられるようになった。
暑い日、寒い日。頑張った日、しょんぼりすることがあった日。誰かが体調を崩している日。
仕事を終えて買い物しながら、家族のことを想像する。一日頑張った自分が楽に、楽しく料理できるように、その日の晩ごはんを考えて家に帰ると料理を始める。
母にスープをつくっていたあの頃の自分より、ちょっと大人に、自分にも家族にも、ちょっとやさしくなれた気がした。
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母にスープを作っていた日から30年。長い年月が経った。
今、私は家族以外のひとにも料理をつくっている。
6年前スパイスを学んだことが始まりだ。その後、ひとつ、またひとつとご縁がつながり、「やってみようかな」という好奇心で歩いてきた。イベントや小さなオフィスでスパイス料理をつくり、たどり着いたのが今の場所だ。
地域のひとが利用するカフェで、私の親世代の方が集まる場で、私がつくったランチを食べてもらっている。
作るのは、スパイスカレーや、ちょっとスパイスをつかったお惣菜。スパイスに興味はあるが、食べ慣れていないひとがほとんどだ。
家族に作るときと同じように、想像し、考える。
今の時期なら、この野菜がいいかな。あまりスパイス強いのは苦手なひと多いから、食べやすいようにちょっと変えてみよう。
食べてくれるひとが、「へぇー」っていう小さな驚きと、「あっおいしい」と、ささやかな喜びとを感じてくれたらいいな。
そんなことを想像しながら、毎回料理している。
それが楽しい。
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食べるひとのことを思いながら、料理する。
家族でも、そうでなくても、自分以外の人が食べるものを料理するとき、大事だと思うこと。
それが大事だとわかるまで、長い時間かけてしまった。母に申し訳ない気持ちが、今頃になって生まれてくる。
でも私は、あの頃の自分を責めたくはない。めんどくさいと思いながら、うんざりしながら、それでも母のために野菜スープをつくっていた自分に、「ようやっとるよ」と言ってあげたい。
そして、こう伝えたい。
あの頃のあなたのおかげで、私は大事なことを学べたんだよ。
あなたは想像できないと思うけどね。未来のあなたはたくさんのひとに料理を食べてもらっていて、そして、楽しく料理をするひとになっているんだよ。
あの頃、想像していなかった未来に、でも、あの頃と地続きにつながっている未来に、今の私はいる。
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