もうひとりの私へ
もうひとりの私へ
あなたを京都で初めてみたのは、3年前の6月でした。
父の四十九日に合わせて実家に帰っていた私は、朝早く東山にあるお寺へ向かいました。お墓の掃除を終えた後、駅へ向かうバスを途中で降りて、川端通りを歩いていました。
6月の京都はじっとり蒸し暑く、夏の終わりまでずっと実家で過ごすことを考えると、憂鬱になってきました。
妖怪が店番してそうな漢方薬店を通り過ぎた時、突然あなたが見えました。正確には、『見えた』のではなく、突然私は『あなたの世界』にいて、あなたの人生をみていました。
2年半の留学を終え帰国して、実家で父との二人暮らしを再開したあなたは、その後、大学図書館の司書として働き始めましたね。5年後、大学近くに部屋を借り、実家を出ました。実家との、父との、いい距離感が最後まで保てたのは、あなたが実家を出たからなんですね。
ひとりでの暮らしを、穏やかにゆっくりと味わう姿をみて、あぁ、こういうしあわせもあるんやなぁと思いました。
さらに5年後、下鴨神社近くにマンションを買ったあなた。父に伝えた時、父は貯金通帳とハンコを渡してくれましたね。
「お母さんと結婚資金にと思うて貯めてきたもんや」と寂しそうに言う父の顔がみえました。
好きな人はいてたけど、なぜか結婚には至らんかった。誰かと暮らす、誰かとともに生きることより、もっと大切にしたいものを見つけたんですね。
さみしいけど、自由で清々しい。
あなたをみていて、そんな風に思いました。私が選ばなかったもうひとつの人生と、もうひとりの私。
その私も、その人生も、幸せなんやと知ることができてよかったです。あの時、川端通りで繋がってくれて、あなたとあなたの人生をみせてくれて、ありがとう。
◆◇◆◇
お手紙ありがとう。そう、あの時、私もあなたを感じていました。あの時だけでなく、この20年、何度も何度も、あなたを感じました。
京都の動物園で、小さな男の子と両親を見たとき。
お盆やお彼岸の頃、京都駅行きのバスで、ひょろっと背の高い男の子とお母さんを見たとき。
東京行きの新幹線で、母子連れと隣の席になったとき。
あぁ、私もあの時あのひとと結婚して、子どもを産んでいたら、あのくらいの子の母親になってだんやろなぁと思いました。
不思議と後悔の気持ちはなく、「そんな人生を歩いている『私』がどこかにいてるんやろな」と想像するとちょっと楽しかったです。
他人に言うたら怪しい思われるから、そんなん言うたことないけどね。
だからあの日、川端通りであなたに会った時、「やっぱり!」って嬉しかったんよ。この5年ほど、あなたをみることなくなってたから。なんやろなぁと思っていたら、再婚して、東京に引っ越したんやね。さすがにそれは、みえんかったわ(笑)。
もうひとりの私が、この私とは全く違う人生を歩んでて、しっかりしあわせになっていると知り、私も嬉しかったです。
私がしあわせでいると、きっとあなたもしあわせ。
あなたがしあわせだと、きっと私もしあわせ。
あなたの手紙を読んで、そう思いました。
またいつか、あなたに会える日を楽しみにしています。
もうひとりの私より
水野うたさんのこちらの企画に参加しています。
誰に手紙を書こうかと考えたとき、3年前、京都の川端通りを歩いていたとき、『妖怪が店番してそうな漢方薬店』を通り過ぎ、そのとき不思議な感覚になったことがありました。
文中に書いたように、もうひとりの私を感じたのです。
京都という街は、いろんな時代への入り口があちこちにある街やなと思うてます。私が感じた私は、前世か、それとも、前前世か。あるいはSF映画のように、パラレルワールドへの入り口から、違う世界に入っていたのかもしれません。
そんなことを思い出し、『私』から『もうひとりの私』への手紙を書いてみました。
どれがほんまで、どれが作り話か。
それは書かずにおきますね。
うたさん、企画くださってありがとうございます。ひと味違う手紙が書けました。
美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。