見出し画像

先が楽しみになったら、ちょっぴり心が元気になった証拠

8月はずいぶんきつい1ヶ月だったと思う。

田舎の僧院生活でほとほと疲れて、やっと都会に出て静養できると思ったものの体調は戻らず。それどころか2度も「これは控えめに言ってヤバいのではないか?」という発作のような症状に見舞われた。

ゲストハウス(注1)の部屋で寝たいだけ寝て、食べたいものを食べて、1日に1度は散歩に出かけるようにした。昼間の太陽は暑く、そうかと思えば急な大雨で道が洪水になることもあったけれど、カフェに行ったり、スーパーに行くという理由をつけてとにかく外には出るようにしていた。

でも体調が完全に戻ることがなかった。

環境が悪かったわけではない。部屋の窓に網戸がなく、自分まで若干気分が悪くなってしまう蚊取りベープを付けっぱなしにしたり、清掃係のおばさんが掃除してくれてキレイなはずだが、水はけが悪くてどこか汚れて見えるバスルームだったり、共用キッチンにゴキブリが出てきたり。これでも僧院(注2)に比べるとずいぶんマシな環境なのである。

でもきっとそうした小さなストレスが燻り続ける限り、体の緊張を解くことができなかったのだろう、と今になって思う。

マシな環境、だけではダメなのだ。安心して過ごせる環境でなければ完全に体を休めることはできない。

当初予定していたインド行きを変更して日本に帰ったのは正解だった。
インドでの宿泊先は以前滞在したことのある場所で、割と清潔な場所だということは知っていたし、気温も快適で水も空気もきれいだと言うことも分かっていた。しかし交通手段が限られた場所で、フラッとカフェに行ったり思いついたときに買い物したり、ができない。友人はいるが、四六時中付き合ってくれる訳でもないし、私もそれは望んでいない。さらに3500mの高地である。
そこで体調が回復するだろうか。しばし考えたが、私の出した答えはノーだった。療養するのは日本の方が良い。きっと地獄のように暑いだろうけれど清潔で、少なくとも蚊やゴキブリが睡眠の邪魔をすることはない。必要なものは全てある。便利なものがありすぎるぐらいだ。

体調回復を望みながら約3週間もゲストハウスでゴロゴロしたあと、見切りをつけて日本に戻ってきた。

戻ってきてもしばらくは不調が続いた。
何か食べるたびに、動悸が起こり、喉が詰まるような症状が現れたりした。急激な眠気に襲われることもあった。もう2ヶ月も続く皮膚のかゆみも治まらない。
これが続くと当然精神的にも影響が出てくる。日本に帰っても気分がすぐれず1日ゴロゴロせざるを得ないなんて。

症状がアナフィラキシーそのものだということで、アドレナリン注射を処方され、アレルギー検査もした。しかし検査結果は問題なし。
恐らく数年前にも経験した腸の不具合バグが再発していると思われる。
中医さんとチベット医さんのアドバイスで半年間、食事療法をしたアレだ。

それならば、とシンプルな食事を始めた。
食材を蒸したり焼いたり、あるいは生で。調味料は塩やオリーブオイル、たまに醤油。それ以外使わない。加工済み調理済みのものはできる限り除き、素材そのものを口にいれるようにしている。

そうすると症状が少しやわらぎ始めた。何を食べてもぐったりだったのが、食べても平気なものが分かってきた。湿疹は相変わらず出るが、やる気を全て削ぐほどでもない。散歩も始めた。暑すぎるので時間帯は限られているが、じっと部屋でスマホとにらめっこしているよりは余程マシである。無理にたくさん歩かなくて良い、好きなだけ歩こう、と決めて。

そんなある時、いつものように歩いていたら、この先こうやってみたら良いんじゃないか、ここに住んで、こんな風に仕事して、この時間は勉強に当てて、と少し未来のことを考えている自分に気づいた。

入学前の新入生のような気持ち。これからどうなるかわからないのに、なんだかワクワクしてきた。そのアイデアが現実化するかどうかは今の時点では大きな問題ではない。少し先のことをイメージしてみてワクワクしている自分がいる。これは大きな一歩だ。

ずっと目に見えないストレスと無意識の戦いを続けてきた。その瞬間のことしか考えてなかった。

ー散歩に行こう。体調はどうか?疲れすぎないようにしないと。
ーカフェで気分転換してみよう。このケーキを食べてぐったりしないかな。
ー今日のランチ、ちょっと香辛料が効いてたな。お腹大丈夫かな。

常に体調のことが気になって、毎日思考が堂々巡り。来週のこと、来月のこと、頭の中でもっと先のことを妄想する余裕が全くなかった。つられて気持ちも落ち込みがちだった。

過去や未来に囚われるのは良くない、今を生きよう。とは素晴らしい考え方だけど、今の心配事に囚われてしまうこともある。石につまづくことが気になって下を向いて歩いていたら黒いアスファルトしか見えない。空に浮かぶきれいな雲や暮れていくオレンジの太陽を見つけることはできないのだ。毎日毎日見える景色がアスファルトだけなんて滅入る。

少し目線を上げて先のことを考えられるようになった。これは体と心に余裕が出てきた印。元気が戻ってきた証拠なんだと思う。

やっと自分が戻ってきた感じがしてきた。


注1)ネパールの首都、カトマンズのゲストハウス
注2)筆者はそれまでネパールの田舎にある僧院に3ヶ月滞在していた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?