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占子の兎(しめこのうさぎ) 第二章 逆月(さかづき)
あらすじ
都会での多忙な生活に疲れ、故郷である命樹(みことぎ)市に戻ってきた竹栢縁八(なぎ よしや)。郊外の祖月輪町(そがわまち)に中古の家を買い、フリーランスで仕事をこなす傍ら、長年の夢だった趣味の鉄道模型を楽しむ日々を送り始めます。ところがほどなくして、心地よい暮らしの中に不穏な影を感じるように。
窓ガラスの修繕を依頼した業者の青年は、縁八と同郷の美籠山(みこやま)の出身。代々呪術師の家系の青年は、不穏な影の正体は生霊かと考え、縁八に「鐡蔓(てっかずら)」という呪術をかけます。これがきっかけで、子どもの頃の記憶があざやかに蘇った縁八は、或る満月の夜の出来事を思い出します。
結婚式を間近に控えた姉、仁美が教えてくれた「月祈(つくのみ)」とは?
奇しくもこの夜は満月。懐かしさに浸る縁八ですが…
第二章 逆月(さかづき)
「三五の夕(さごのせき)」とは、旧暦の十五夜のことです。
十五夜といえば普通、八月十五日の中秋の名月のことを指しますが、命樹(みことぎ)では毎月の十五夜に宴を張り、月を愛でます。
『昔、竹林の庵に暮らす夫婦がありました。
ある日の山仕事の帰り。夫婦は橡(くぬぎ)の下で赤子を拾います。
二人は、背負籠のなかに赤子を寝かせて連れ帰り、自分たちの娘として育てます。
やがて、娘が十二歳になった望月の夕べ。
「兎」なる存在(もの)が現れ、その「兎」とともに、娘は行方知れずになりました。
それから夫婦は娘のことを懐かしみ、毎月の三五の夕には盛大な宴を張り、夜が明けるまで舞や謡で寂しさを紛らわせたと云います』
これが命樹に伝わる民潭「兎姫(うさぎのひめ)」の凡そです。
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「祖月輪(そがわ)」という土地は、この夫婦の庵の在った処と伝えられています。
近頃では、「竹取物語発祥の地」という触込みで市政が旗を振り、観光客や移住者の誘致に力を注いでいます。
縁八さんの大伯父さんにあたる本家・熾火(おき)のお屋敷でも、毎月旧暦の十五日には一族と縁者が集いました。
祭壇に灯を点し、炉に香を焼(く)べ、お捧物として、お菓子や果物、生花等を広縁に並べます。そして、各自が持ち寄った、あるいは、本家が用意したお料理や、お酒を楽しみながら、夜が更けるまで賑やかに過ごします。
皆が揃う毎月の宴席を、縁八さんは、いつも心待ちにしていました。
日が落ちて、庭のお池に月が浮かぶと、大人たちに知らせるのが、子どもの役目です。
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先ずは、お座敷の人を呼び、台所にも声をかけ、早々に酔いが回って、お小座で寝入っている人があれば、起こしてまわり、
「お盃(逆月)ですよ」
と、言います。
すると、大人たちは酒器を持って広縁に集まり、庭に出て、お酒を酌み交わします。
盃に注がれたお酒に満月を映し、逆さまになったお月様を飲み干すことで、家内安全と無病息災を祈願するので、「お逆月(さかづき)」と言うわけです。
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その間(あるいは、もう少し早い時間に)子どもたちは、お池に映ったお月さまを眺めながら、お団子を戴きます。
お団子には、なかに餡を入れたものと、入れていないものがあります。餡の入ったお団子に当たった子どもは、「おさかなさん」と呼ばれ、その日の余興の係となります。「おさかなさん」になった子どもは、皆のまえで歌を歌ったり、楽器の演奏や踊りなどを披露しますが、なかには、テレビの人気者を真似て一発芸で乗り切る強者もいます。
けれども、歌も踊りも芸も苦手な縁八さんは、「おさかなさん」になると、決まって絵を描いて見せました。お題は、酒宴に興じる人のスケッチです。
縁側で駄弁っている伯叔母さんたちの表情がいかにも、とか。酔い潰れて伸びている伯父さんのシャツの裾からはみ出たお腹がまさしく、とか。縁八さんが即興で描いたものを、皆、大笑いして喜んでくれました。
そんな、縁八さんが十二歳になったばかりの、春の三五之夕。
結婚式を目前に控えたお姉さんの仁美さんが、婚約者の埴岡(はにおか)さんを、大伯父さんのお屋敷に連れて来ました。三五之夕に、恋人や婚約者を伴って来るのは珍しいことではありませんが、自分のお姉さんともなると、縁八さんも少しばかり心持ちが違います。
お逆月も済んで宴も酣な頃。披露宴さながらの雰囲気に、すっかり気圧されてしまった縁八さんは、お手伝いもそこそこに、お座敷を抜け出して一人縁側に腰掛けていました。
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春霞の月が、お池のなかに、ふんわり落ちています。
廊下を隔てた襖越し。従兄の賢介さんが、フォークギターで弾き語る声が聞こえます。
又従姉の久実子さんが、空になったお皿や徳利をお盆に載せて運びながら、縁八さんに声を掛けました。
「こんなところで、寒くなぁい? 」
「大丈夫」
「押し入れの毛布、適当に出して使ってね」
久実子さんは、そう言って微笑むと、いそいそと母屋のほうへ向かっていきました。
ちょうど賢介さんの歌が終わったらしく、襖の向こうでは盛大な拍手と歓声が沸いています。そのとき、お姉さんの仁美さんがふらり、縁側にやって来ました。
「よっちゃん。隣、いい? 」
お酒をたっぷり勧められたのでしょう。ほっぺが真っ赤に染まっています。
「いいけど… 大丈夫なの?埴岡さん一人ぼっちにして。みんなから、めちゃくちゃ飲まされて倒れちゃうかもよ」
縁八さんは、仁美さんの座る場所を開けながらも、お座敷の様子を心配しました。
「お父さんと、暖子(はるこ)伯母さんが上手く取りなしてくれてる。もし、倒れたらそのときは、大じいちゃんに頼んで、熾火(おき)に泊めてもらうわ」
仁美さんは、白いフレアースカートの裾を翻して、縁八さんの隣に座りました。
「お姉ちゃん。埴岡さんて、どことなくお父さんに似てるよね」
埴岡さんに初めて会ったときから思っていたことを伝えると、仁美さんは、ふふっ、と笑って言いました。
「よっちゃんもそう思う? おばあちゃんとお母さんも、同じこと言ってた」
仁美さんは手に持っていた包みから、おかきを一つ抓んで、口の中に放り込みました。
「食べる? 」
「うん」
縁八さんは、包みから、ざらめのおかきを抓んで口に入れました。ごりっ、と硬い歯ごたえとともに、甘辛い味と香ばしいお醤油の香りが、口のなかに拡がります。
「新しい家は、どう? 」
仁美さんが訊きました。縁八さんご一家はそれまで、命樹駅から歩いて十分程のところに家を借りて暮らしていました。ところが、お母さんが勤めていた駅前のテーラーが、この三月でお店を閉めることになり、お母さんの転職と、縁八さんの中学校入学を機に命樹から二駅離れた「由槻(ゆつき)」という町に、新しく家を買って引っ越したばかりだったのです。
「なんだか壁紙が白すぎて落ち着かないよ。それに、おととい俺の部屋にゴキブリ出たし」
「えぇっ、新築でも、ゴキブリいるんだ」
仁美さんが目を丸くしました。
「もう、勘弁してよ! って、感じ」
縁八さんが溜息まじりに言いました。
「よっちゃん、虫、嫌いだもんね」
仁美さんは縁八さんの背中の上のほう。灸点(ツボ)でいうと大椎のあたりに指先で、すすっ、と、蔓(かずら)を懸けました。
「学校は、慣れた? 」
短大を卒業してから、ずっと横浜で暮らしている仁美さんと、二人きりで話すのは本当に久しぶりのことです。お姉さんに甘えたい気持ちが、つい、滲み出てしまった縁八さんは、
「まあまあだね」
と、わざとつまらなそうにこたえました。
「部活入った?」
「一応」
「何部?」
「美術部」
「そうなんだ。よっちゃんなら活躍出来そうじゃない」
仁美さんがうれしそうに言うと、
「さっき、朔日(はじめ)じいちゃんと莉香(りか)ちゃんにも、同じこと言われた」
縁八さんは、敢えて淡々と応えました。
「でも、女子ばっかで、やりにくいよ。先輩とか。とくにうるさいし」
「ふーん…」
酔っていても仁美さんは、真剣な眼差しで弟の話を聴いています。
「十五夜ってさ」
お池を見つめたまま縁八さんが言いました。
「十五夜って、満月のことじゃ無いんだね」
「そう…ねぇ。たいていは満月だけど、ちょっとだけ欠けてるときもあるかな」
南の空に浮かぶ朧月を眺めて、仁美さんが言いました。
「ちょっとだけ欠けてるって、なんか、苛つく」
縁八さんは、まだ手の中に残っていたおかきを、お池に投げました。とぷん、と、小さく水音がして、鯉が、ちらり、と、黒い背鰭を覗かせました。
「俺、やっぱり駿(しゅん)ちゃんと同じ中学が良かったな」
縁八さんが思わず本音を洩らすと、仁美さんは、素早く膝小僧の下にスカートの裾を仕舞い込み、しゃん、と、背筋を伸ばしました。
「よっちゃん。良いこと教えてあげる。あたしも、今のよっちゃんと同じくらいの頃に、おばあちゃんに教えてもらったの」
仁美さんは、縁側に置き放してあったお膳を引き寄せ、上に載っていた懐紙を取りました。
「書くものある?」
縁八さんは、柱に立て掛けていたデイパックから筆入れを取り出すと、仁美さんに渡しました。いつ「おさかなさん」に当たっても良いように、スケッチブックと筆入れは、必ず持って来ています。
「そっちのほうがいいな。貸してくれる?」
仁美さんは懐紙をお膳に戻し、スケッチブックを指差して言いました。仁美さんは、縁八さんの筆入れからドローイングペンを取り出し、スケッチブックの最後の頁を開きました。真新しいドローイングペンは、今日、駅前の「マナセ文具店」で買ったばかりのものです。
「これはね、『月祈(つくのみ)』っていうの。あらゆる願いを叶えてくれる神業。おばあちゃん直伝の、奥義中の奥義よ。」
縁八さんは、黙って仁美さんが動かすペンの先を見つめていました。
要々を書き記したあと仁美さんは、月祈(つくのみ)の遣りかたを詳しく縁八さんに伝えました。
「困ったときや、どうしてもかなえたい願いがあるときに使ってね」
「どんな願いでも叶うの? 」
恐る恐る縁八さんが尋ねると、
「それが、叶うに適(あた)う願いならば」
仁美さんは、縁八さんの目を真っ直ぐ見て言いました。
「よっちゃん。覡兎(みこと)様はね、とっても優しいの。誰も傷つけないし、誰も見捨てない。いちばん善いことを、いちばん佳い時に、いちばん良い遣りかたで、叶えてくれるわ」
お月様から零れ落ちた光の渦が、お池の端の石の陰に見え隠れしています。水面に揺れる幽かな光を、じっと捉える仁美さんの横顔は、これまでのお姉さんとは、まったく違う人に見えます。そして、縁八さんには、まだよく解らないけれども、仁美さんにとって何か大切な意味のある「月祈(つくのみ)」を、惜しみなく教えてくれたことを心かうれしく思いました。
「ありがとう、お姉ちゃん」
縁八さんが微笑むと、
「どういたしまして。弟よ」
仁美さんは縁八さんの頭をくしゃくしゃと撫で、桃色のほっぺを丸くして笑いました。
縁八さんは、仁美さんの背中に、ささっ、と蔓を懸けました。そして、
「結婚おめでとう。埴岡(はにおか)さんと仲良くね」
照れくさくて仕方がないのを、けんめいに堪えて言いました。
仁美さんは、小さく丸まった縁八さんの肩を、そっと抱き寄せ、自分のおでこを縁八さんのおでこに、ぴたり、と付けて言いました。
「ありがとう、よっちゃん。大好きだよ」
四日後。竹栢仁美(なぎひとみ)さんと、埴岡四紋(はにおかしもん)さんは、横浜市の教会で結婚式を挙げました。
思えばこの頃から、縁八さんも、ご家族も、そして親戚の人たちも、皆それぞれに、様々な理由で忙しくなっていきました。命樹を離れ、別の土地に移って行く人もありました。
毎月の三五之夕(さごのせき)の宴も少しずつ減っていき、大伯父さんが亡くなった翌月からは、まったく行われなくなりました。
時を同じくして、美籠山(みこやま)の開発工事が、本格的に始まりました。
本家のお屋敷も、おばあさんの家も、すべて取り壊されて、なくなってしまいました。
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鬼囲(おにかご)さんのバンを見送った後。縁八さんは、靴箱の上に置いたままにしていたお米の袋とお酒の瓶を手に取りました。お酒が思っていたよりも残り少なくなっていて、
(三五の夕と聞いて、久々に呑もうと思ったけど、これじゃ物足りないな)
と、思い、買いに出掛けることにしました。
門を出ると、木々の梢が其処彼処で騒めき、縁八さんのシャツの中でも風が游いで、少しばかり肌寒い感じがします。
丁字路を右に曲がるとすぐに歩道橋があります。県道を渡って、緩やかな下り坂を五百メートルほど行ったところに、酒類と食料品を扱う「竹沢商店」があります。
『三五の夕(さごのせき) 団子有ります(卵餡入り)』
と、書かれた紙が入口の硝子戸に貼ってあります。縁八さんは、するすると硝子戸を引き開け、
「ごめんください」
と、声をかけました。
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奥の仕切りの暖簾から
「はい」
と、嗄れた声がして、
「いらっしゃい」
高齢のご亭主が姿を見せました。
縁八さんは、日本酒の棚から好みの銘柄を幾つか手に取り、そのうちの一つを選んで会計台に置きました。ショーケースの上では、白や黄色のつやつやしたお団子が、大皿に円(まる)く並んで、盛んに湯気を立てています。
「たった今、蒸かしたとこですわ。ちょっと熱いですけど、如何です?」
出来立てのお団子を、ご亭主が勧めました。
「美味しそうですね。でも、また今度にします」
縁八さんが、申し訳なく断ると
「ええ、いつでもどうぞ。来月のは、空豆の餡が入りますでね」
ご亭主は、穏やかにそう言って、会計台の上のお酒を手に取りました。
「こちらですね。税込みだと、えっ…と、」
会計台の隅に置かれたカゴに目をやると、水色の小箱がきれいに並んでいます。
『ベルギー製 シーシェル・チョコレート再入荷。ウィスキーのお供に。贈り物に』
と、値札に添え書きがあります。
「これ、戴きます」
縁八さんは、チョコレートの小箱を一つ取ると、会計台に置きました。
支払いが済み、ご亭主が、お酒とチョコレートをポリ袋に収めると、
「今夜は、荒れるらしいですね」
そう言って、会計台の引き出しから小さな包みを取り出しました。
「ミナシ、お付けしますね」
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「ミナシ」とは、天候や季節によって、お月見が出来ないときのため、月の輪を描いた盃でお酒を飲んで「お盃(逆月)」と見做すこと。または、その盃自体のことを指します。
盃は、その紋様から、「シロマル」と言うこともあります。
「今夜は、ミナシだね」
「お膳にシロマル出しといて」
雨の三五の夕(さごのせき)では、よく、こんな会話が交わされていました。
「風、強いですからね。どうぞ、お気をつけて」
「ありがとうございます」
縁八さんは、ご亭主の心遣いに感謝して店を出ました。たしかに、風はますます強まって、頭の上を走る電線も、唸りを上げています。
身を屈めるように風を避け、縁八さんは、家路を急ぎました。
三章につづく