#2 私が認めて欲しかったもの
承認欲求と無価値観
私はずっと人の役に立たないと価値がないって思ってた。
だから、私には常に「必要としてくれる人」が必要で、どれだけ自分が必要とされているかどうかで私の価値が決まると思ってた
そう、いわゆる無価値観と承認欲求の塊だった。
私の信念と満たされない日々
私は「人は誰かに必要とされている時に幸せを感じる」と信じてた。
「必要とされる人間、認められる人間になれば、私は幸せになれるんだ!」と思い込んで、ひたすら働いて働いて自分の承認欲求を満たそうとしてた。
だけど、働いても働いても私が疲弊していくだけで、何も感じない。「忙しい」って心を無くすって本当にその通りだった。不感症になっていた。
たくさんの人に会社に必要とされる為に働いて、結果を出せたこともあった。
だけど、その時ですら、一瞬、嬉しさや幸せは感じるけど、すぐに消えてしまう。
だから、今度は頑張って結果を出さないと幸せを感じられないと思って結果にばかり執着するようになった。
そのために、いくつも本も読んだし、セミナーにも行った。仕事で結果を出せばもっと必要とされる。幸せになれると信じてた。だけど、頑張っても頑張っても何か違う。そんな違和感を感じながらもそれを見ないようにしてた。
もっともっと頑張らなきゃ.....
結局、心も体も疲れ果てて、できない自分にぶち当たった時に会社を辞めることを繰り返してた。
私は継続力がない、逃げてばかり、
私はダメなんだ、ダメな人間なんだ…
そうやって、自分をひたすら責めて、否定してた。いつもたくさんの人といても何だか孤独で、孤独を感じないように人との繋がりを求めていた。人から必要とされないことも認められないことも孤独もすべて怖かった。
自分との対話
私は一体何に恐れているんだろう?
誰に認めて欲しいんだろう?
そうやって、自分と対話するようになったら、
私は私に認めて欲しかったんだ。そして、本当の本当の奥深くを探っていくと、私は私の気持ちを認めて欲しかったんだと気付いた。
私が私を認めていないから、他人に認めてもらうことを求めていた。ただ、自分の気持ちを見て受け止めるだけでよかった。
私の気持ち(感情)こそが内なる私=源の私だった。
私が私の気持ちを聞いて、認めていたら、人に認めて欲しいって気持ちがだんだんなくなっていった。
認めてもらいたかったのは私の気持ち。
だから、そこだけ見ていればいいと気付いた。
自分を否定することもあるし、嫉妬したり、イライラすることもある。だけど、そんな気持ちもちゃんと見て認める。
何を感じてもいい。内なる私はどんなことを感じても私に寄り添ってくれる。
そんな存在がいるだけで、私はめちゃくちゃ心強かった。だから、孤独を感じることもなくなった。
そうやって、丁寧に私の気持ちを見ていくと、
私の幸せは外側にはない。私の内側しかない!
と気付いた。
だから、いつも私の気持ちの微細な変化に意識を合わせる。
周りの気持ちを見ないで、自分の気持ちだけ見るってわがままじゃない?
ただの自己中心的じゃない?
そう思う人もいるかもしれない。
私はそれでいい。そう思われてもいいと思ってる。他人からどう思われるかを気にしてビクビクした毎日を過ごすより今はわがままの自己中の私にめちゃくちゃ満足してる♡
そうやって、ひたすら自分の気持ちを見ていたら私が私のわがままや自己中を許しているから、結果的に周りの人が何を感じようと何を思おうと許せるようになった。他人の自由を許せるようになった。
おかげで私はいつも気分よく過ごせているし、子どものイヤイヤも気にならなくなった。
内なる私と仲良くなって、親友になったら私の人生がどんどん豊かになったよ♡
今日も最後まで読んで下さりありがとうございます♡♡