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ふわっと口語で愉しむ『言志四録』 今週の言葉「165 節度」+chat「災いは転じるか?」

165 節度

水と火は生活の必需品だ。
しかし、
どちらも災いの原因にもなる。

以下、ふわっと口語で愉しむ『言志四録』まとめ

chat「災いは転じるか?」

 節度が大事だというけれど、人間はけっこう度を越してしまうものです。「あー、もうお腹いっぱい」と言っておきながら「ケーキは別腹」と、すでにかなり度を越していても平気だったりもします。「明日、辛いな」と思いつつ、午前二時頃からはじまるサッカーを見てしまう。「この一杯でやめておこう」と決めてから、かれこれ五杯ぐらい飲んでいる。「今日だけは」と言って、いつも守っていたことを破ってしまう。
 節度というものは、マジで守りきると、つまらない人間になってしまいそう。一方、そもそも節度なんてない、という生き方は無頼すぎて怖い。そこで、ときどき、節度を無視して、よろしくないかもしれないこともやってしまう。
 こういう「過ち」によって、世の中は成り立っているのではないか、と思ってしまいます。過ちがあるから、それを正そうとする人がいて、あるいはリカバリーのための方法を考案する人がいて、さらには慰めてくれたりもしちゃう。世の中ってそういうんだよな、とか勝手に思ってしまう。
 そして「災い転じて福と成す、だよ」と励ます。
 ChatGPTにこの「災い転じて福と成す」について尋ねてみたら、この言葉があてはまるかどうかは「個人の解釈しだい」と、もっともなお答え。つまり、そう思う人にはそうだし、そう思わない人にはそうではないのです。
 つまり「災い転じて福と成す、だよ」と励ましたつもりでも、それが有効なのは、そう思っている人だけであって、そう思っていない人には通じません。
 もし同情や慰めを嫌う人がいたら、その人には失敗は失敗、災いは災いとして受け止めた上で、次のステップを一緒に考えるような言葉がいいのかもしれません。といっても、私にはそれがどんな言葉なのか、すぐには浮かばないのですけれども。