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プラザ合意(日本が世界のマネーゲームに負けたあの時)

失われた10年・20年の責任を擦り付けられいている、竹下登(大蔵大臣)と澄田智(日本銀行総裁)の、プラザ会議とは、昭和最後、日本経済は世界最強だった。そこで、欧米が「日本をぶっ潰す」ために開いた会議が「プラザ会議」である。その目論みを阻止すべく会議が開催されるニューヨークのプラザホテルに、単独で乗り込んだのが、我が日本の竹下登だった。

その会議の直前、米国は日本航空123便を御巣鷹山(おすたかやま)に撃墜して竹下(日本)を脅(おど)している。

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