#創作大賞2022応募作品「人間観察日記 番外編 輪入道の心の傷 後編」
疲れていたおいらは、いつの間にか眠ってしまったらしい。うとうとと意識を起こそうとしているとき、部屋の外から
「失礼、部屋に入ってもいいかな」
と声をかけられた。さっきの狐と子河童とは、違う声だ。
「は、はい。大丈夫です」
おいらは、慌てて返事をして、車輪を起こそうとした。すると先ほど部屋に来た狐と子河童は別に、天狗の妖怪が入ってきた。この妖怪が狐たちが言う『師匠(ししょう)』なのだろうか。
「ああ、そのままでいいよ」
天狗の妖怪が、体勢を変えようとしたおいらにそう言った。初対面でそれは失礼な気がするが、ここは素直に聞こう。少し休んだけど、まだ疲れが残っていたからだ。
天狗の妖怪がおいらの傍に腰を落とした。天狗の妖怪の後ろには、狐と子河童がちょこんと座った。
「あの、おいらをここに連れてきてくれたのは、あなたですか」
と天狗の妖怪に尋ねる。天狗の妖怪は、静かに頷くと
「ええ。妖怪の里に何かが飛んできた。と連絡が入ってね。ちょうど、私の棲む敷地内だったから、長老達、この里を治める妖怪達に確認してほしいと頼まれたんだ」
長老達という言葉にびくりと反応してしまった。おいらの反応に妖怪達は気づいたみたいだが、追求しない。
「さて、少し君のことを教えてもらえないかな」
天狗の妖怪は、おいらの様子を窺いながら尋ねた。流石においらを助けてくれた妖怪達に何も言わないのは、まずいだろう。そう思って、ゆっくりと話し始めた。
「おいらは、妖怪『輪入道(わにゅうどう)』。近江の近くにある妖怪の里に棲んでいたんだ」
「それは随分と遠い場所からやって来たね。どうして、この里へやって来たんだい」
と落ち着いた声で天狗が言った。当然の質問だが、おいらは返答に困ってしまった。
「えっ、と……、おいら、里を追い出されて、気づいたら、ここに」
自分で状況を説明すると、これが現実なのだと自覚させられる。
ああ、おいら。輪入道(わにゅうどう)として、もうあの里に戻れないんだ。
あの里はおいらにとって、決して居心地のいい場所とは言えない。
でもあの里で妖怪『輪入道(わにゅうどう)』として、存在を得た。
妖怪『輪入道(わにゅうどう)』を否定されたら、おいらは一体何の妖怪なんだ。
そんなことが頭をよぎり、気づいたらおいらは静かに泣き出していた。おいらの様子に狐と子河童はどうしようという感じで、天狗の妖怪を見る。天狗の妖怪は、おいらにそっと手を伸ばし、
「そうでしたか。今まで、よく頑張りましたね」
おいらの肩輪を優しく撫でた、まるで人間が自分の子をあやすように。おいらは、
「おいら、頑張ったのかな。里から追い出されたのに。輪入道(わにゅうどう)の恥さらしって言われたのに」
と自信なく呟く。天狗の妖怪は、
「まだ存在を得てから、長い年月を経験していないだろうに。よく消えずにいたよ。君はすごく我慢して、それから一生懸命頑張って、妖怪『輪入道(わにゅうどう)』として存在しようとしたんだろう」
すごいことじゃないかと言って、おいらに向かって天狗の妖怪が笑った。その瞬間、おいらはなんだかすごく安心した。いつも緊張していたから、こんなに力が抜けたのは、初めてだった。
おいらは気づくと、今まで泣いたことがない位、わんわんと泣きだした。泣いたら、ほかの妖怪達に怒られる、そう思ってずっと我慢してきた。すると今まで黙って聞いていた狐が、おいらの傍らに来て、
「泣きたいときは、泣けばいいんだよ。無理してると、何も感じなくなっちゃうからね。君もそう思うでしょ、子河童」
と子河童に同意を求める。子河童は頭の後ろで手を組みながら、
「俺っちは、泣かねえよ。大河童たるもの涙は見せないって、俺っち決めてるんだ」
とぶっきらぼうに言った。狐が
「子河童。こういうときは、泣きたいときに泣けばいいよで、同意する場面だと思うんだけど。ひねくれているなあ」
と狐は仕方ないなあといわんげに言った。狐と子河童がやりとりをしている間も、おいらは泣き続けていた。天狗の妖怪は、
「少しここを任せてもいいかな」
と狐たちに尋ねる。
「うん、任して」
「師匠(ししょう)も大変だな、ご苦労さん」
狐たちの言葉を聞いた天狗の妖怪は、少し笑って部屋を出て行った。
〇 〇 〇
あのあと妖怪輪入道(わにゅうどう)は、一刻以上泣き続け、やっと落ち着いてきた。泣きすぎて、泣くのも辛そうな様子だ。
「落ち着いた?」
と輪入道(わにゅうどう)に聞いてみる。輪入道(わにゅうどう)は、静かにぐすっと言いながら、
「うん」
と頷いた。すると子河童が薬筒を取り出し、輪入道(わにゅうどう)の傍らに来る。
「ほれ。これやるから、目の周りに薬塗っとけ」
と子河童が言う。子河童は、こういうところが面倒見がいい。
「子河童の薬はよく効くんだよ。ぼくが薬塗っても大丈夫かな?」
と輪入道(わにゅうどう)を安心させるために言った。
「えっ、いいの?」
「いいよ」
輪入道(わにゅうどう)の了承も貰ったので、ぼくは子河童から薬筒を受け取り、薬を手に取った。薬がひんやりとして、これなら早く良くなりそうだなと思った。
「塗るよ、しみたら言ってね」
と輪入道(わにゅうどう)の目元に薬を塗っていく。目元に薬を塗った瞬間、輪入道(わにゅうどう)は一瞬びくりと体を震わせたが、じっとしていた。
早く良くなるといいね。
〇 〇 〇
「よし、これで終わり。それにしても、子河童すごいねえ。この薬良く効きそうだよ」
「よく効きそうじゃない。よく効くんだ、俺っちが作ったんだから」
子河童は自信を持った声で言った。おいらは今まで、同じ年代に存在が生まれた妖怪と会ったことがなかった。だから、今のやりとりもすごく不思議な感じがする。
なんか、いいなあ。
狐と子河童は、お互い信頼し合っているみたいだ。先ほどの天狗の妖怪も狐たちを大事にしているみたいだった。本来妖怪には無縁の感情だと言われそうだが、とても羨ましい。
そんなことを考えているとき、天狗の妖怪が戻ってきた。
「輪入道(わにゅうどう)、少しいいかな」
そう言って、おいらの正面に座った。
「輪入道(わにゅうどう)、君はこれからどうするつもりだい」
天狗の妖怪は、穏やかな声でおいらに問いかけた。
「お、おいらは……、えっと、あの」
おいら自身、どうしたらいいのか分からない。おいらの戸惑いを感じたのだろう。
「輪入道(わにゅうどう)は、どうしたいんだい」
と天狗はおいらの意見を聞こうとする。
初めてだ、おいらに意見を求めてきた妖怪は。いつも輪入道(わにゅうどう)らしく振る舞えと強制されてきて、おいらの意見は全く求められなかった。自分の意見を言うことなんて、一生ないと思っていた。
おいらの様子に見かねた狐と子河童が、
「君がどうしたいか言ってみなよ。師匠(ししょう)も怒らないからさ」
「俺っち達も、ちゃんと言われなきゃ分かんねえぞ。覚りのじいちゃんみたいな力はないんだから」
とおいらに言葉を促した。
「おいら、元いた里に戻れないんだ。行く宛てもないんだ」
おいらは自分の言葉で話し始める。
「だから、その……、あの、」
妖怪達は黙っておいらの言葉を聞いている。
「ここに置いて貰ってもいいですか」
おいらは自分のお願いを口にする。
言ってしまった……!
こんな我が儘通じるのだろうか。そもそもだ、ついさっき知り合ったばかりのおいらみたいな小妖怪の面倒を見る義理なんてないはずだ。
「ははっ、良かった。ちゃんと自分の意見を言ってくれ」
と言って天狗の妖怪が笑った。
「でないと、長老達にかけ合った意味がないからね」
天狗の妖怪の言葉を聞いた狐と子河童が、ぱっと喜んだ。
「おめえ、良かったじゃないか」
「ほんと、どうなるのかとヒヤヒヤしてたよ。まあ師匠(ししょう)は、君のことを放っておかないって分かってたけどね」
よかったあと言って、狐はぺたんと座り込んだ。子河童は天狗の妖怪の顔を見て、
「でもいいのかよ、師匠(ししょう)かなり忙しいだろう。」
「勿論、ただで面倒は見ません。人間の世でも働かざる者食うべからずと言うでしょう。輪入道(わにゅうどう)、いろいろ手伝ってもらいますよ。」
と言った。師匠(ししょう)の仕事を手伝うのは大変だなと、子河童が呟いているが、そんなこと気にならない。
「は、はい」
これは夢だろうか。里を追い出されて一体どうなることかと、本当に途方に暮れていた。
「あの、一生懸命働くので……、よろしくお願いいたします」
おいらがそう言うと、天狗の妖怪が頭にぽんと手を乗せた。
「ええ、よろしくお願いいたします。輪入道(わにゅうどう)」
〇 〇 〇
あれから数十年の時が経った。最初の頃、不器用なおいらは、師匠(ししょう)の手伝いがうまくできなかった。一番手伝えたのは、荷物運びくらいだろう。師匠(ししょう)はおいらに根気よく教え続けて、ここ最近やっとある程度の仕事はできるようになってきた。
あともう一つ、おいらの中で大きな変化があった。
「輪入道(わにゅうどう)、遊びに来たよ」
「おっ、今日も熱心に仕事してるな」
あれから狐たちと一緒に居ることが多くなった。まさか仲良くなれるとは思っていなくて、狐や子河童と気の置けない間柄になったことが、おいらは嬉しいなあと感じる。たまにいたずらされたりして、困ることがあるが。
こんな穏やかな日々がいつまでも続くといいなと思うのは、妖怪輪入道(わにゅうどう)としてはいけないことなのだろう。でも、
「お前にとっての妖怪輪入道(わにゅうどう)を見つけなさい」
師匠(ししょう)がそう言ったから、おいらはこの場所で自分らしさについて探していこうと思うんだ。
そんなおいらにとっての妖怪『輪入道(わにゅうどう)』の在り方を見つけるのは、もう少し先の話だ。
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この作品は「#創作大賞2022」応募作品です。
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