どら焼き見ながら独り語り
こんにちは、そしてこんばんは。蒼乃真澄です。
買い物に行くと、必ずといってもいいほど甘いものを欲してしまう。チョコレート、団子、饅頭、どら焼き、プリンなどなど。まあ、つまりは欲望のままに身体が動いてしまい、結局は買ってしまう。ご褒美、なんてキレイな言葉で誤魔化してもいいですが、
「お前何かやったのか?」
ともう一人の自分が冷静にツッコミを入れ、「何もやってねえな」
と自虐する。そんな人生です。
小学校のとき、鉄棒が苦手で逆上がりができませんでした。あれ、どんな原理で身体を持ち上げるのでしょうか? 私には全く理解ができません。運動神経の良い子は難なくできるけど、私みたいな運動音痴はできない。できる子と、できない子。小学校は残酷なもので、そんなことで選別を受けるわけです。
昼休みになると、毎日のように外に遊びに行くのが小学生の仕事。そんなことを教師が言っていましたが、私はおとなしく部屋で本を読みたい人間でした。だって、運動嫌いなんだもん。それが唯一で最大の理由です。楽しそうに走る子供達。私はそれになることができませんでした。
ただ、逃げる方法はありました。それは放送委員になって、昼休み終了の放送をすることです。つまり放送室を使える権利を持っているため、私は時々そこで一人で休んでいました。その時間は落ち着くものでした。
学校が苦痛だった私にとって、家に帰ってお菓子を食べるのがその日の楽しみでした。親がどんなお菓子を買ってくるのかワクワクしながら帰る。ポテチとかカントリーマームはよく食べた記憶がありますが、たまにドーナツを揚げてくれたときは最高でした。
「やったー!」
まあ、そこまで表に感情を出しませんが、当時の私は食いしん坊でしたから。ドーナツなんてご褒美以外の何物でもないわけです。
「何かしたっけ?」
当時はそんな疑問も抱くことなく、母の手作りのドーナツを頬張りました。
懐かしい記憶を辿ると、辛いこともありましたが、楽しいこともあったはずです。でも、恐ろしいことに楽しかった記憶は消えていき、辛かった記憶だけが鮮明に脳味噌にこびりつく。それはトラウマになり、人生の幅を狭める。
「お前、何もできないじゃん」
と、人に言われる気がして、怖気ついて私は結局何もできないまま、ひっそりと終わりを迎えるわけです。
最近はどう生きていいのか分かりません。ただ、正解を求めることに疲れてしまって、もう諦めムードが漂ってきています。
「諦めが肝心だ」
たしかにそうかもしれませんね。人生期待するだけ疲れて苦しむのなら、いっそほとんど誰も信じることなく、ひっそりと生きる方が楽かもしれません。そうすれば、どら焼きだって素直に美味しくいただける。
「大丈夫、何もしていなくても、誰も困らないから」
せやね。私はそう言い聞かせるしかないかもしれません。
これにて独り語りを終わります。
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