父の人生を変えた『一日』その77 ~与信~
その77 ~与信~
当社の長岡に着任するなり、営業本部営業から―スペースネオトピア(宇宙博物館)が長岡に出来ると言う話が合って本部長どうしてもその仕事をものにしたいという。
㈱トーメンの偉いさんの紹介で富山の佐藤工業本社を訪ねた。そして色々と調査していった。最低出資金の1億円が目についた。新潟県2.5億円長岡市2.5億円そして東芝やダイダン等が早々と1億円を出資決めていた。電気工事するには出資金を出さねば出来ないだろうとも思った。
長岡に来て英語を忘れて、寂しくなっている時にホテルニューオータニによく来る外人を見つけては昼食を食べたり談笑したりしていた。ある日会った、その男はアメリカNASAから派遣されているスペースネオトピアの会社の人間であった。名前はポールであった。この男と話し合う毎にこのプロジェクトが「downsizing」ダウンサイジングになっている発言が日増しに多く飛び出してきた。日本語に訳すと「縮小」であった。これは問題あるとライオンの嗅覚が感じた。営業本部長に出資は見合わせ出来ない旨を伝えた。意味は詳しくは言えないがとした。
このプロジェクトの失敗は長岡に住んでいる外人から情報をもとに教えられたのである。その後このプロジェクトは暗礁に乗り上げ挫折してとん挫してしまった。NASAから運んだロケットまで設置されたが完全な失敗であり佐藤工業自体の会社がおかしくなり倒産に追い込まれる事態になったのである。出資しないでよかったと胸をなで下ろした。ライオンの嗅覚もなかなかの物であった。
~倅の解釈~
スペースネオトピアは新潟県と長岡市が趣旨した第三セクター。1991年に佐藤工業(上場ゼネコン)が長岡ニュータウン計画跡地利用として持ち込み、全国一の宇宙博物館テーマパークを建設計画推進。長岡市内に215ヘクタールの土地を買収したものの、構想はうまくいかず、2002年に筆頭株主であった佐藤工業が倒産したためプロジェクト破綻となった。長岡市は58億円、長岡ニュータウン関連公共事業に資金投入。スペースネオトピア出資金は2億2500万。回収ははできず、開発に関与した一般会計は7億円を超える借金を抱え、上下水道料金、手数料金値上げなど市民への負担増の原因となった。
長岡市、新潟県に大打撃を与えたこのプロジェクト。勿論、弊社も計画段階から電気工事をと営業本部長が動いていたが、出資をせずに済んだ。
親父は、与信管理に物凄くうるさかった。財務のプロとして。仕事を営業促進する前から、プロジェクトやクライアント様の財務状況、経営状況をしっかりと分析することは非常に重要である。私が長岡に戻り経験した民事再生による未回収は2件ある。また、踏み倒し系の未回収が1件。専務として会社を率いる立場の私の責任である。
まだ営業次長のころ、1億の仕事を受注した。工期は約1年半。無事完了して、すべて完工後の精算となったが、ここで入金が焦げ付いた。額も額だったので2日は自分自身で悩んだが、状況が非常にまずく、すぐ親父に相談した。ここから約10ヵ月、親父はあらゆる手を使って交渉した。私はただ単に見学するだけであった。正直、回収の可能性は低いと思いっていたが、親父は全額回収した。経営の鬼である。
親父が亡くなった後、親父のトーメンの先輩と会食する機会があった。名古屋で会食。お互い呑まないので食事を済ませてから、名古屋駅まで送ってもらった。車の中で同じような未回収を回収したというトーメン時代のドラマを聞かせて頂いた。企業武士、企業戦士の凄まじいプライドと執念を感じた。
何事も、心から熱い情熱を沸々と燃やして取り掛かるべし。こんなことをよく親父から、そして、亡くなった後にご挨拶させて頂いた企業戦士の先輩方に学ばせて頂いた。
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