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「関わる大人が子どもたちの学習意欲を下げている」という問題

現状、"関わる大人が子どもたちの学習意欲を下げている"という問題をお伝えしておきたい。

この問題は、割と目で見てわかりやすく身近であることから、意識してもらいやすいのではないかと思うからだ。


まず見つめなければならないのは、学校がどう子どもたちに学習意欲を与えているか、だろう。

学習については、やはり学校での時間が長くなるから、当然、学校が意欲を増してくれる場所であることが理想だろうと思う。

こんなカリキュラムがいい、こんな学習内容がいい、こんな授業がいい、など、コンテンツに関わることが話題に上がりやすいが、ここで述べるのはそれではない。


ここで見つめるのは、どのように子どもたちに学習意欲を与えているか?であり、実際に意欲を与えられているのか、についてだ。


注意すべきは、教育者(ここでは主に教師)が与えようとする良いコンテンツが、必ずしも子どもたちの"学習意欲を高めるとは限らない"ということだ。


「良いコンテンツ」=「学習意欲」と簡単な図式にはなり得ないのだ。

(無論これらが重なることはあるが、必ず、ではない。そのことは、例えば、人気で良質のテキスト・問題集があっても、やる気になるかどうかは別である、というようなことを考えればわかるだろう)


さて、学校は、(地域差や学校差が大きいことは先に断っておく)果たして、子どもたちの学習意欲を喚起させることに成功しているだろうか。

残念ながら、現状では、そうした場がそう多くはない。

実際に現場にいる身として、毎日、子どもたちと接している身として言えば、多くの場合(大抵の場合)、学校は子どもたちから学習意欲を削ぎ落とす装置となっている。


コンテンツの問題ではない。

この点は先に述べた通りであり、コンテンツがいい悪いは、ここでは一旦、脇に置いておく。

コンテンツは問わないとして、子どもたちの意欲を喚起できているかどうか。


繰り返すが、実際に様々な学校の子どもたちと毎日顔を合わせる中では、ノーと答えるしかない。
意欲を喚起するどころか、より意欲を低下させる装置に成り代わってしまっているのだ。


では、学校の何がそうさせているのか。

それを問うことができれば、解決策は見えてくるはずである。

ところが、長い間、この問題が放置され、気にもとめられい状況になっている現状を見ると、教育を提供する側の、プロとしての怠慢や奢り、油断、未熟さを感じざるを得ない。責められても仕方がないのではないだろうか、と思ってしまう。

厳しい話だが一度この厳しさに向き合わねば、改善も改革もしようがない。


学校の何が、今、子どもたちから意欲を奪っているのか。
そのことと向き合わねばなるまい。



加えて書いておく。


学習意欲を削ぐだけならまだしも、実際には、メンタリティーを著しく低下させてしまう子も多くなっている。

それは、より勉強をしなくなるという形や、授業や宿題に取り組めないという形で表面化する。

場合によっては、心の病を引き起こしたり、不登校や引きこもりなどにもつながっていく。

さて、冒頭、"関わる「大人」が子どもたちの学習意欲を下げている"と書いた。

学校や先生と書かずに、あえて「大人」とした。

他にも大人がいるはずだからだ。

それは「親」である。

悲しいかな、子どもの幸せを願っているはずの親も、実は、ここに加担してしまうことが多くある。

これについては、各家庭ごとに価値観や方針などかなりの差異があるだろうから、細かくは言及しない。

ただ、学校だけではなく、家庭もまた、子どもたちの学習意欲を削ぎ落とす側に回ってしまう危険性があることは、頭に入れておきたい。

なぜなら、この問題は、「気にかけていること」が重要だからだ。

人は機械やロボットではない。こうした当たり前のことが忘れされてしまう時代である。

だからこそ、子育てにおいても、当たり前のことが存在していることを、親の側が忘れないでいたい。



私の、この言葉が、この言い方が、子を追い詰めたり、傷つけたり、苦しめたりしていないか否かを。

(おわり)




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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。