【読みたい人だけ向け/世代論からの消費と金銭的価値】
【読みたい人だけ向け/世代論からの消費と金銭的価値】
世代論的なものを勉強していくと、
結構、僕ら昭和世代(僕でいうと団塊ジュニアのほんのチョイ下)は、
もうすっかりと消費に侵された世代なんですね。
で、それまでの世代の良い面みたいなものを、知ってはいるし見聞きしているはずなんだけど、ちょっとこれが弱い。
考えてみると、上の世代の人たちが、当たり前のように、「これはお金では測れない(価値あるものだ)」だとか、「テストの点数では測れない大事なものがある」だとか、そういった台詞を多く見聞きしてきた世代なんだけれども、時代が変わってくる中で、僕ら世代はもう、そんなことを言わなくなってしまっている。
つまり、僕ら世代も、変化し続けているのだ。
世代論が難しいところ、世代論が予知していないところは、当該世代が、時代の変化の影響を受け、その世代の感覚を少しずつ変えてしまうというところ。
そのくらいに2015年前後の時代変革は、歴史の大きな流れの中でも、劇的すぎる変化なのだろうと思う。
消費という取引が、生活の主を占めるようになった(もしくは、個々が消費という行為によって共同体の中に立ち上がるようになった)今の日本では、
「これはお金では買えない(重要なものだ)」
「お金で換算できない」
「世の中はお金だけじゃない」、
みたいな物言いは、すっかり忘れ去られている。
残念なのは、学校の教師(という消費とは別の世界である教育の中にいる人たち)が、いつの頃からか、点数至上主義、偏差値至上主義、受験至上主義、に陥って、その(教育の中にいるという)感覚を麻痺させてしまったことだ。
ここで言及する、点数も偏差値も受験も、それらはいずれも、お金に換算される価値軸へとつながるものである。(これをまとめて拝金主義と呼ぶ)
金銭的価値以外に、大事なものはいくらでもある。
そんなセリフが当たり前だったはずの社会や共同体。
今は見る影もない。
「教養」なる言葉も、金銭的価値にすぐに置き換えられないと見えるから、(都市部の知識人の発信を除くと)、リアル地方の現場では、ほとんど聞かれない言葉になっている。
こうなると、目に見えないものは、どうやら、認識されず、忘れ去られるようである。
友情も愛情も、恩義や感謝も、いや、それこそ、点数で測れない賢さも思考力も、どうやら多くの人には認識されなくなってしまうのだろう。
人生はいつか終わる。
それなりに寿命を全うしたとして、年齢を経てこそわかること、感じ取れること、そうした年輪の積み重ねのような、人間的深みや人間性といったものの捉え方も、これから大きく変化していくのだろうか。
人生が終わるその手前で、
果たして、
金銭的価値、消費的振る舞いを思い出し、懐かしみ、
良い人生だったと、振り返れるようになるのだろうか。
"私たちの顔や手のシワに刻まれたそれは、
まさに金銭的価値の積み重ねなのだ、素晴らしい"、なんて・・・。
(おわり/FB投稿より)
昨今のただただ他者を叩く、それが正義、の風潮は、そこが抜けた社会の象徴になってしまっていますね。
オンライン上に溢れる、顔を見ずに、匿名で、何の責任も持たないコメント群。
何がまずいのか、何の疑問も持てないという惨状。
使う言葉、振る舞い、
あらゆることが自分の人生に、その道に、反映されてゆく。
そのことをもう少し見つめ直す必要があるのでしょう。
自分がどちらの側で生きていきたいかを、選ぶ時代になりましたね。
この先も分断は止まらなくなっていくのでしょう。
なお、昨今進んでいるように、誹謗中傷に対しては、今後ますます法的に厳しさを増すでしょう。
責任を持つことのできない、匿名での安易な言葉は、自分の人生を棒に振ってしまうことにもなりかねない。
自分の生き方を選ぶのは、あなた自身です。