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【"管理したがりー"が増える理由を考えてみる】

よく考えてみよう。

学校の先生も、(企業)塾の先生も、ついでにお節介なおじ・おばさん系家業(個人塾)先生も、

なぜ、あんなに管理ばかりにこだわるのか?


なぜだ。


自分で物事を行う力がどんどん奪われて、将来は間違いなく、受け身の人間に育つ(これを育つと呼ぶのもおかしいが)。

考えてみる。


そうすると、今のところ、3点ほど、その理由が見えてきた。


「管理したがりーの理由その1」

・自分がそのような教育を受けてきてしまった


これは残念。かつては時代が時代だっただけに、"それが普通だった"時代を生きた人が多いのだ。旧来の工業社会をベースにした時代は、そういう人が育てばよかったのだ。同時に、トップダウンの村社会の影響も大きい。まずは"いうことをきくやつ"で、いて欲しいわけね。


「管理したがりーの理由その2」

・依存させたがりーで優越感がある


これも先生と呼ばれる職につくとよく生じるパターン。先生でもなんでもない人も、実力も何にもない人も、とにかく先生と呼ばれてしまうと人は、魔物に取り憑かれるかのように、自己陶酔、優越感に溺れてゆく。基本、人類全員ね。

その思考の状態で、他者を管理しコントロールし自分に依存させることで、ますます自己の優越感が高まってゆく。
生徒が依存してくれる方が先生にとっては都合がいいわけなのである。言うことは聞いてくれるし、いかにもお世話になった感が出るし、感謝すらされるからね。
周囲から見ても人気があるように見えるので、ますます加速するのね。
とにかくこれが怖い。

一応、ひと言付け加えておくが、生徒を依存せる先生というのが一番"たち"が悪い。
支持されているように見えるからね。

ところがどっこい、依存で育った子は、依存でしか生きられない。思考停止の大衆の仲間入りでしかない。その先の人生、終わりが見えるよね?

これ、危ないので一番やってはならない手法。


「管理したがりーの理由その3」

・社会人として他の組織・企業で働いた経験がない


これはいつも話題に上がることだけれども、先生職しか経験していない人は、社会経験が少ない、というもの。
多くの場で議論されているものをそのまま全て鵜呑みにはしないけれど、部分的には正解。

なぜなら、他の社会人の方々の多くは、企業に閉じていても、組織に閉じていても、「先生」として閉じているわけではないから。(先生が王様であるということがその要因/ここでは詳細は長くなるので避ける)

いずれにせよ、ここでは、他の企業や組織に属した経験がない人ゆえに、「管理したがりー」になると考えて話を進める。


正直、他の場所で、こんなに管理ばかりをして、例えば組織やチームを束ねようとしたら、現代では簡単に崩壊する。すぐに、パワハラ認定されてしまうからだ。

ところがなぜか、先生と呼ばれる仕事では、その仕事の領域内でパワハラ認定から逃れられてしまう。
そう、教育的指導という名のもとに、である。

通常、社内や組織での研修で、マネージメント、特に人のマネージメントの研修などを受ける機会があれば、(それが真っ当な会社であるなら)、単なるトップダウン、口うるさく縛りつけるだけの管理は、当然のことながら、手法として全面的に否定されるだろう。

マネージメントスキルとしては、そうじゃない方法・手法を教わるはずである。管理したがりーのままで仕事が続けられるはずがない。


これをもって、「社会人として他の組織・企業で働いた経験がない」ことを理由に一つとする。



とりあえず、書きながら思いついた3つの理由を書いた。

少なくとも管理したがりーが行う学習指導は、科学的にはかなりマイナスであるわけだし、避けたい手法であることはおおよそ間違いない。


それでもなお、管理しか手がない、なんて、ちょっと学びが足りてないんじゃないか、と疑わなければなるまい。


ねえ。


(おわり)Facebook投稿より


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拙著

(おわり)

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本田篤嗣(Master Honda)
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