他人は操れない/自分の道にフォーカスすること
僕らは、他者を自分の思い通りにしようとしすぎるきらいがある。たとえそれが我が子であってもやはり同じだ。
だから、まずはそれを自覚し、良い意味で諦めることから始めなければならない。人を操ることはできないのだ。
そして、自分自身の人生にちゃんとフォーカスすることをもっと真剣に考えねばならないのだと思う。
僕は長く子どもたちと勉強していて、その他者に対する欲を、我欲だとか煩悩なのだと思っている。
そしてそのことといつも格闘することを覚悟している。そう肚を決めている。
簡単なことではないけれど、これをもってこのことは修行なのであると、僕自身はずっと思っている。
幸い、多くの出会った子たちが、もう勉強が嫌で嫌で仕方がないと思っていた子であっても、不思議なことに、何か前向きに取り組む方法を見つけてくれる。指示命令、宿題すらださないわけだから、親御さんからも不思議がられるのだけれど、現実としてはその不思議なことがほとんど全ての子に起こる。
逆に、そこに到達しにくい子は、変わらず親御さんが、ただ強制し押しつけるようなスタイルを貫きすぎるときは難しいのだろうとも思う。学校の先生も同様。何かを遮っているのはいつも大人の方なのだ。
アクセルとブレーキを同時に踏んで前に進める子はいない。
そうして、僕が僕自身の欲やエゴ、煩悩と格闘し続ける傍らで、何かを感じ取った子どもたちが、自身も何かと格闘しながらやがて歩き始めてくれている、そういうことが起こっているのかもしれない。
いつか仙人のようになれると良いのだが、道のりは長い。
たとえ仙人のようになれなくとも、子どもたちとと共に、互いが自身の何かと格闘をし続けながら、前を向いて手を動かしながら進んでいくのだろうと思う。
道は険しく、長い。
しかしそこにはいつも穏やかな光が射し込んでいて、僕も、子どもたちも、その光の温かさを感じながら歩いている。
(おわり)