DX及びジェンダーの問題にみる地方の課題と未来
票が取れるからと、お年寄りにだけフォーカスして政治を進めていると、まちでのデジタルの領域は間違いなく遅れる。
これを推し進めるには、明らかにそれに馴染んだ世代、つまり若い政治家の感覚とスキルが必要だ。
市単位の政治家の若返りは特に今、必要なことだと言える。
いい加減、権力を手放しなさい、と。
あわせて、地方では根強い、社会的構図から生じる男女格差の問題。
圧倒的に政治行政は、初老のおじさん、およびおじいさんばかり。
子育てなんて一切参加していない、家事なんて一切やらない、そんな世代のおじいさま方に、今時の世代の生活感など想像すらできまい。
男女の平等や格差についてこうして話していると、必ず聞こえてくるのは、「女性に適任者がない、能力を持っている人が少ない」という声。
この無感覚こそが、壁を作っていることに気付かねばなるまい。
そもそも女性がその能力を伸ばせないのは、「既存の価値観」とそれによって築かれてきた「社会構造」から来るのだから。
女だから大学に行かなくても良い、結婚したら仕事引退、育休取るから昇給させにくい、女が口を出すな、あらゆるこれまでの価値観が、女性に「がんばっても無駄」感を、知らず知らずのうちに植え付けて行くことに気づいていない。
これではいくら、形式上は男女機会均等を謳っても、本当の意味での平等は訪れない。
つまるところ、自分たちが男性優位の価値観のもとで生きてきたこと自体に疑いが持てなければ、変わることなどできないのである。
「男女、夫婦、父母」わずかこうした日常の単語の中にすら、我々は「男性が先」という感覚を持ってきたのだ。
かつては、これが無意識ではなく、意識的に用いられていたはずである。
しかし、おそらく今の多くは無自覚的に使っているのであろうし、かえってこれが潜在的には強く影響しているのだ。
そして今、世界はこうした感覚を大きく変えようと動いている。
残念ながら、地方はおそろしく村に閉じているために、多くの変化に遅れてしまいがちでもある。何よりこれらに無自覚というのは恐ろしい。
潜在的に感じているはずの男女の差別的感覚。これらを意識に上げることなしに、変革は難しいだろう。何せ、無意識に刷り込まれた感覚は、知らず知らずのうちに、「女性だから」という決めつけを生じさせるだろうから。
その点で見ても、やはりこれは、若い世代の方が感覚的に変化してきているから、政治行政でもできるだけ若い世代の声をしっかりと生かせる体制づくりが必要であろう。
課題であるのは、子育てに仕事に消費に、最も活動的であると言える、若者から中年世代までの多くが、里から離れていることだろう。
いわゆる人材の上澄みの部分を、大学進学時にごっそりと都市部や他県に奪われてしまうのが現状である。特に地域の学力的上位10−20%は、すっかりまちにいない。(人材流出はデータで見ても明確)
まちのどこで話しても、あまりに気付かれていないので書いておくが、買い物が便利だとか商店街が賑わっているかとかいった要素では、これら優秀な人材を多く含むと想定される上位層は、戻ってこない。そんなもので住む街を選んでいないからだ。
知識層や知的産業に関わる人たちが、何を根拠に住む場所を選んでいるのか?この視点を欠かしてはなるまい。
長くなった。
デジタル世界への飛躍的なジャンプと、
男女格差をなくしていくこと。
これらの課題には、若者世代からの優秀な人材が必要だ。
用いる側の技量も器も問われるだろう。
(おわり)