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授業への強いこだわりと我欲が生み出す現実
先生の落ちる穴について先述しました。
授業への強いこだわりとそこにある我欲がどれほど強いのか。
一般の方には想像のできないレベルです。
その話を理解するために、もう一つ、現実をお伝えしておきましょう。
先生は「自分の授業を受けること」を重視します。
これは先述の通り、子どもが学習者としての主体であるはずの当たり前の姿を無視して、教え手が自分自身を主体に貶める、先生の我欲です。
不登校やそれに近い、たとえば、クラスには入れないので別室に登校する、ということも今は多くあります。
別室登校となると、中学であれば、各先生の授業をことごとく受けることが叶いません。
たとえその子が、自分で頑張って勉強しテストを受け、それこそ平均点を越すような点数を取ったとしても、この生徒の通知表は、「1」や「2」がつきます。
さて、これは一体、どういうことを指すのでしょうか?
この場合、学習の主体はどこにあるのでしょうか?
そうです、この現実が表しているものは、
「(自分の)授業を受けないなんてけしからん。テストだけ受けて点数だけ取ればいいなど言語道断である」という、先生ならではの我欲でしょう。
つまり、「オレ様の授業を受けろ」(言うことをきけ)なんですね。
先生という職につくものは、この欲に、いつも向き合っていなければなりません。
いわば、いつのときも、自分を振り返り、自己を律する必要があるのです。
さて、果たして今の現場に、"教師自身が我欲と向き合うこと"について話している人たちがどれほどいるでしょうか。
そういった自分たちを戒める指針を掲げているリーダーはいるでしょうか?
(少なくとも、僕らはいつもそれについて話し、共有しています。そういう先生の育成をしています。僕がする最初のアドバイスは、「張り切るな」と「生徒に上から目線で話すな(むしろ下から行く、くらいでないと今は無理)」ですからね)
ここで挙げた例も、まさに、(全員)先生が落ちる穴、の一つの例です。
学びとは教育とは何であろうか。
それを問います。
(おわり)
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