
人生に「正解」はあるのか? 正解探しをやめて自分らしい生き方を見つける方法
「これが正解!」――気づけば僕たちは、あらゆる場面でついこの言葉を探し求めていませんか?
受験、就職、結婚、子育て…。どの分野でも「こうしないと失敗する」「みんなはこうしている」と言われるたびに、「あ、じゃあそれが正解なのか」と思い込んだり、外れたらまずいとビクビクしたり。
でも、本当にすべてに“正解”って存在するのでしょうか? 今回の対話では、そんな「正解探し」に振り回される心理を掘り下げた結果、「正解を求めすぎると何が起こるのか」「どうすればそこから解放されるのか」を考えるところまで行き着きました。
※この記事は、日米のIT業界で働く友人同士で対話したポッドキャストの内容を元に文章化しています。実際の音声へのリンクは最後に掲載しておきます。
なぜ「正解」を求めすぎてしまうのか?
1)「無意識に正解がある」と思いこんでいる
「いい大学や就職先に行かないと不安」「女性は子どもを産むのが当たり前」など、まるで唯一の答えがあるような思い込みに縛られがちな人、多いですよね。こういう“正解らしきもの”を意識するあまり、自分らしい選択がしづらくなるだけでなく、周囲に対しても「それは違う」と押しつけてしまう現象が起こりやすい。
2)受験教育や同調圧力の影響
学校教育で長年「唯一の正しい答えを当てる」訓練をしてきた
「みんなと同じが無難」とされる日本社会特有の圧力
これらが重なって、「ひとつの正解から外れると人生終了」みたいな危機感を抱くように刷り込まれているのかもしれません。
「正解」呪縛がもたらす息苦しさ
(1) 外れるのが怖くて挑戦できない
「この道を外れたら終わりだ」「恥ずかしい」「取り返しがつかない」――そんな恐れから、未知の選択肢を試す勇気が出ず、視野が狭まります。実際、「これしかない」と思うほど、失敗が怖くなるんですよね。
(2) 他人の選択を否定しがち
さらに自分が正解だと思う道をひたすら貫いていると、それと違う生き方をする人を「間違いだ」と批判することにもつながる。
「子どもは産むべき!」
「大学→就職が常識だろう」
こうした主張は、多数派の声がますます強まり、多様な生き方を窮屈にする要因にもなります。
なぜ“正解探し”に陥りやすいのか?
(1) 認知の省エネ
人間の脳は何でも一から考えると疲れるため、「基準」を見つけてそこに合わせるクセがある。受験勉強のような「唯一の解答を出す練習」を経験すると、「まず答えは何?」「当たりを早く知りたい」となるのも無理はありません。
(2) 不安や比較による防衛本能
自分と違う選択をした人が成功すると、「あれ?もしかして自分のやり方は間違っているのでは…」と不安が高まる。それを解消するために「相手の方が間違いなんだ!」と否定・非難することで、心の安定を保とうとする。
他者をバカにすることで自己正当化(認知的不協和の解消)する心理は、意外と根深い
正解なんか「ない」からこそ、どう生きる?
今回の対話の結論めいたところでは、「そもそも人生に唯一の正解なんてないよね」という共通認識が生まれました。ただし、「じゃあもう何も考えず好き勝手にどうぞ!」じゃ無責任。そこでいくつかのヒントをピックアップします。
(1) 「選択肢を正解に育てる」マインド
最適解を探すより、「自分が選んだ選択を正解にしていく」意識が大事
就職先や大学、パートナー選びも、あれこれ迷うより「ここを楽しむにはどうすれば?」と思考を切り替える
結局、どんな道を選んでも後悔は出てくるもの。ならば、それを自分なりに面白くする工夫をしようじゃないか――という考え方ですね。
(2) 他人に押しつけず、“別軸”を認める
自分はこれがベストだと思ったとしても、他の人の人生や価値観は別物。同じ土俵で「僕が正しい、あなたは間違い」とやり合う必要はありません。
「僕の場合はこうだけど、あなたはあなたの自由」
別のスタイルを認めあうことで、人間関係のストレスも減る
(3) メタ認知で「世界線の多様さ」を意識する
自分の視野にない道や考え方が山ほどある
情報過多で迷うことはあっても、「どれを選んでも生き方の正解たり得る」という前提を思い出す
要は、ほかの選択肢が見えているだけで「これじゃなきゃいけない」がやわらぐんですね。
まとめ:答えがないからこそ、人生は面白い
「正解らしきもの」に縛られると、不安で動けなくなり、多様な生き方も認めにくくなる
受験教育や同調圧力によって、“唯一の答え”を探すクセがついているかもしれない
実は人生に絶対の正解などなくて、「選んだ道をどう正解にするか」のほうが重要
そして何より、「他人の選択を否定することで自分の選択を正当化する」というのは、見方によってはかなり不毛。“世界線がいっぱいある”と認識できれば、自分も相手もずいぶん気がラクになるはず。
とはいえ、周囲の目や社会の仕組みからまったく自由になるのは難しいのも事実。ときどき不安や後悔が湧いてきて、「ああ、やっぱりあっちが正解だったのかも…」なんて悩むこともあるでしょう。
でも、そもそも正解なんてどこにもない――そう気づくだけで、人生の見方はガラッと変わります。失敗したと思える選択肢も、そのあと自分で意味をつけていくことで立派な正解に化けることがある。逆に「これは正解」と言われた道を選んでも、実際に自分が満足できるかはわからない。
答えがないからこそ、僕たちは試行錯誤を楽しめるし、間違ったと思ったら軌道修正もできる。まさにそこが人生の面白さではないでしょうか。「これが正解!」の呪縛を、そろそろゆるめてみませんか?
大切なのは、自分にとっての価値観を育てつつ、他人の価値観も尊重し合うこと。「正解がない」状態こそ、僕たちの行動や生き方を自由にしてくれると信じたいですね。
さあ、今日も答えのない世界をうまく泳ぎましょう。
こちらの記事の、元となった対話音声はこちら↓
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