究極の思考法


 世の中には結論を導き方法として、帰納法と演繹法がある。帰納法とは、多くの情報から一般的な原理を見つける方法である。企業は、より多くの人から情報を集め、共通項を見つけ出し、新しいモノやサービスを作り出す。ネット社会では、AI が絶え間なく変化する人の情報を集め、瞬時に分析、すぐさま共通項を導き出す。そして、それを元に企業は、消費者に新たな提案をしたり、新たなモノを市場に送り込んだり、新たな市場に進出したりする。しかし、次の瞬間から情報は変化し、それに合わせて共通項も変化する。結局のところ、共通項から導き出された新たなモノは、さらなる情報を生み出し、今までとは違った共通項が現れる。こうして、イタチの追いかけっこは延々と続く。
 一方、演繹法とは、物事の本質から、結論を導き出す方法である。物事のの本質を捉えるならば、一気に共通項(結論)にたどり着くことができる。本質から導き引き出された共通項は、いつの時代でも通用する。ここにたどり着けば、人の情報を 24 時間監視する必要はないし、分析する必要もない。
情報の本質とは何だろうか。情報を発信するのは、人である。人は、この商品が欲しいとか、このジャンルに興味があるとか、そこ場所に行きたいとか、常に情報を発信し続けている。情報の本質を探るのには、人の本質にせまっていくのが良いのではないかと思う。
 例えば、人を魂、心、体の 3 つに分けて考えてみよう。一般的に、魂は、目に見えない。心は、生まれては消え生まれては消えの繰り返しで、捉えにくい。だが、体は、いつも実体としてあり、目に見えるし、認識しやすい。そうなると、社会の中で、一般的に理解できる人の情報は、「体」ということになる。あとは人の「体」の共通項をどんどん深掘りしていけばよい。深ければ深いほど、共通項は見つかる。どんどん掘り下げていき、最後の共通項にたどり着いた時、そこから人々の心に響く新しいものが生まれる。それは、いつの時代にも通用する永続的なものだろう、これから世の中の考え方や好みが変わろうと、そのものは決してぶれることなく堂々としているだろう。人間の体はもともとアナログなのだから、デジタルに翻弄されることもないだろう。ただ、そのものが市場で永続的に存在していくためには、世の中のトレンドを把握し、それに合わせた言葉やら世界観やら作戦を練る必要はある。

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