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バズりがすべてだった頃の僕に言いたい大切なこと

あの頃の僕は、バカだった!

ずっとバズっていた時期があった。通知が止まらなくて投稿の数字を見るたびにテンションが爆上げしていたと同時に、ドーパミンも分泌された結果、もっと欲しくなる。要するに、万バズに自分の脳が完全にやられたと、冷静に考えている今日の頃。

バズればバズるほど、なぜ数字以外の存在を考えなくなるのか不思議でたまらない。自分のことより、数字。ここから、人生で何を優先すればいいのか、力を入れるところも分からなくなった。とにかく、バズれば気持ちいい。大満足。

分かりやすく言うと、自分の中の自分を殺す感覚だ。今までなかった「注目されること」が一気に増えて、自分は有名人じゃないかと考えてしまったこともある。おそらく、「注目される」の言い方を切り替えると、ただ利用されるだけ。バズりの数字に乗りたいものが、山ほどある。トレンドに入りたいだけ。

バズった途端、色んなところから連絡が来る。自己満足感が膨らみながらますますドーパミンが足りなくなる。二度とやりたくない行動は、自分らしく発信することなく、相手が喜びそうな内容が全てになること。ここから自分が薄くなる。

当時の僕に言いたいのは、「バズる」が全てではないということだ。ネット上に生まれた数字はネット上でいつの間にか終わる。いつもの数字が少しずつ出なくなると、落ち込んだり無駄な時間を使って何もならないエネルギーになる。仕事だけではなく、趣味、友達など日常生活まで悪い影響を与える。

「人気が出ないコンテンツ=価値がない」と思われる現代社会。
数字が出ないコンテンツでも、その裏には「文章力」「発想力」「企画力」「行動力」「信用感」の高さが表れている。

今日はめちゃくちゃバズって数日後に、なかったようになる。しかも、次のコンテンツを考える時にバズったコンテンツを見て真似しがち。最悪の場合、バズったコンテンツは定期的にコピペして少し変えて投稿する。先ほどに書いたように、楽しい内容、自分らしい内容、何も狙っていない内容は「いいね」を押してもらえるような行動になる。

話題やバズりは基本的には、「継続しない」ということを忘れないでほしい。
もう一つ忘れないでほしいことがある。「誰が書いた」ではなく「何を書いた」に意識すべきだ。有名人というだけで薄い内容でも伸びる。深い内容を書いた知名度のない人が無視される。

そして、もっと酷いドーパミンがある。それが、フォロワー数だ!
一気に、増える。心臓の鼓動が激しくなる。また、有名人のような勘違いが生まれてくる。しかし、増えた分減るのは時間の問題。バズっている内容を見て、なぜかフォローしやすいけど、タイムラインを見ずにたった一つのネタでフォローされるリスクはそのあと、フォロー外しになることだ。ここから、また落ち込みが再び始まる。

フォロワー数が多い=社会的な知名度があると言い切れない。逆に、よくバズる人はSNSから出ると、存在がかなり薄くて、名前を聞いたことがあるくらい。

知識と行動力がある人は、SNSは自分の活動や思いなどをメモしているように狙いなしで書く。同業界の人だけ通じることのデメリットはバズりにくいことだけど、自分のビジネスに関わるネットワーク、人脈、お客様などに大きなメリットがある。

当時、よくバズっていた僕は特に、通訳の仕事が増えたこともなく新しいビジネスチャンス、社会的な知名度もそこまでなかった。バズると、気が付かないことがたくさんあって、そこから本当のスタートとわかった。

・マーケティング(UCG、PGCなど)
・ブランディング化
・残らないバズりより、残る感動と信頼性
・サービスや商品に対する言語化、編集
・執筆のトーリー性と、夢中させること

自己満足のバズりより、社会的に残る活動を考え始めたらバズりの魅力が無意味に変わった。今更だけど、やっとわかったのは「SNS=道具」で、使い方を間違えればかけた時間とエネルギーは無駄になる。相手を喜ばせるためではなく、自分の存在と魅力、知識を出すべき。

最近、感じている自分への変化は、SNSの外でやっている活動をSNSに入れ込む。形のない行動より、誰でも確認できる実績と活動が100万バズよりとんでもない価値がある

SNSから離れて活動をするメリットは
・コミュニケーション力が上がる
・いろんな業界の勉強ができる
・仲間が増える
・自分の価値に対するギャラもわかる

「今しかできない活動はすべてSNSである」について、考えるべき。もし、自分のアカウントがなくなったら、続けれられるか。SNS自体は消えたら、提供できるサービスは生き残るか、完全に潰れるか。これを考え出したら、自分の名前を広く届けるように活動し始めた結果。

バズりが減った。いつもの数字も減った。フォロワーも減った。

ダメなことしかないと思われがちだけど、仕事が増えた。エッセイ、執筆、コンサルなどが増えたことで、今まではSNSにしか存在しなかった僕はやっと社会に変わった。受けた仕事をバズらせないのではなく、共感させながら書いた言葉が役に立つ。読者やお客様の表情に移る。

数秒のコンテンツより、一生のコンテンツ

これを知りたかった。当時の僕は、誰だ?本当にバカだった。簡単に成功と信用が手に入ると勘違いした。バズり方をわかっていても、5年後、10年後、20年後はまたコピペの同じ内容をしてどうする?今までやった活動を振り返ると、動かなくなった数字しか残らない。これより、具体的な活動をして目に見える痕跡が成功の証拠。

自分らしさを守るために、人生と将来について思索した結果、目が覚めてずっと隠れていた言葉をこの記事に書き下ろした。数字が出ない静けさと出会ってから生まれ変わった。そして、みなさんにやってもらいたいのは自分の人生を振り返ってこれまでどのような経験をしてきたのか、どのような価値観を持っているのか、どのようなことに喜びを感じるのかなどを考えてほしい。

Massi

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。