新しい貝殻を探すヤドカリのようになりたい
ヤドカリと人間は意外と同じ生き方である。
ヤドカリは体の成長と共に新しい貝殻を探して、自分にピッタリのものを見つけるまでずっと動いている。人間も成長しながら、新しいステータスに上がれるようにずっと動いている。どっちも常に動いているけれども、中身は違う。
今日はボーッとしながら海の波を見てずっと砂の上に存在していた僕は、ヤドカリと出会った。出会ったと言えるかを考えると、おそらく僕の存在はヤドカリの邪魔をしてしまったかもしれない。今更だけど、生きている最中に怖がらせて申し訳ない。不安にさせないように、距離を置きながらヤドカリの動きを見て人の生き方と人間について、なぜか考えてしまっていた。
砂の隙間に生きている。
自分を守ってくれるのは自分しかいない。その中で、1ミリずつ成長しながら、新しい貝殻を探さないといけない。命を守ってくれるのは貝殻と自分だけだ。休まずに、毎日生き残るために一生懸命、成長していく。非常に難しい生き方で次の日が来るかどうかもわからない。
人間も子供の時から成長しながらいろんなステータスをクリアしないといけない。学校卒業、社会的な流行り、就職など。人間が決めた、わけわからないステータスが知らないうちに、人間の貝殻になる。この貝殻は特に、自分のためというより人に見せるため。人生に関わるかというと、関わらないことがほとんどだ。
ファッションのトレンド、有名な大学、高級車などのステータスは必要だろうか。人間はただ生きているだけのことに感謝せず、問題がないはずなのに、自分を大きく見せたい。ヤドカリのように一生懸命、動くけど意味のない動きになりがちだ。
今朝はヤドカリを見て、人生で初めて嫉妬してしまった。波の音が良いBGMになっていて、優しい風に抱きしめられたような気持ちになった。ここで嫉妬している理由がわかった。ヤドカリの周りにたくさんの貝殻がある。いろんな形と色のものがあって魅力的なのに、無視していた。なぜこのようなもっと立派な貝殻にしないだろう。なぜ目立つものにしないだろう。なぜかというと、ヤドカリにとっては今、自分に新たな貝殻は必要がないから。今の成長と生き方は持っている貝殻以上のものを欲しがらないから。
今の自分は全て。命を守りながら成長していく。その成長をするために、新しい貝殻ではなく、生きることが全て。生きていくうちに新しい貝殻を探して、次の成長のために移住する。でも、今朝はぴったりの貝殻があったとしても使い道にならないから、手を出さなかった。
人間は使い道にならないものでも手を出したり、いらないものを増やしたりする。社会的に注目されたい欲が全員、あると思う。本当に自分の成長になるのか、これ以上の自分はあるのか、全く考えない。命の危険性を自分で作ってしまう。
ここでヤドカリのように自分の貝殻だけを大切にすれば次の日に繋がる。
人間も同じようにやれば、きっといい道が広がる。
Massi
もう一言。
自分の貝殻はどこにあるだろうか。ものにあるのか。ステータスにあるのか。
みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。