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日本の包む文化に目が離せなくなる理由とは

日本の文化に外国人が憧れる理由は何だろうか。外国人として、特別なこともなくただ日本で生きているだけで、歴史や伝統を感じている。それだけではなく、神様から生まれた国という理由で、僕の目にはすべての日常が神秘的に見えているのだ。

先日、伊勢丹新宿で開催されたイタリア展を回りながら、美味しいものをたくさん食べたり人々とお喋りしたりしていた。そのなかで、あまり目立たないと言いながらも「深い日本の伝統文化」に改めて気が付いた。

日本人にとっては日常的な感覚で慣れているから「普通」かもしれないけど、外国人から見ると言葉を失うほど歓喜するのだ。簡単に誰でもできそうで、できない。自分の前でこの作業が繰り広げられると、そのあと開けるのが勿体無い気持ちが強くなるのが現実だ。

百貨店などでよく見かける、この日本の伝統文化に気がついている読者がいるだろうか。特に外国人がじっと見てしまいながら「ワァオ!」となる理由は「ラッピング」だ。

「ラッピングはこんなに魅力的なものだったっけ?」と自然に口に出る。

「ラッピングもそうだけど、作業している店員さんもカッコいい!」と興奮が始まる。

海外ではこの気持ちはなかなかならないよ。

そう!たった紙1枚でこんなに綺麗に包んで、しかも測らずになんでピッタリ1ミリまで上手く完成できるのか。ラッピングの作業は、まるで魔法にかけられたようだ。魔法使いが杖を一振りすると、フワ〜っとものが浮かんで、そしてモクモクの煙に包まれたかと思うと一瞬でキラキラな宝箱となって…という妄想が始まる。要するに、見ずにはいられないのだ!

丁寧に紙を引っ張りながら、シワにならずに、折ってまた折って包む。1番驚いたのは、テープを見せないように折って包んでいるところ。テープもちっちゃくてほとんど見えないのに、細部までこだわって隠す。やっぱり完全に魔法だ!

こんなラッピングされた贈り物をもらうとテンションがもちろん上がるんだけど、開けるのも自分の手で持つのも鼻血が出るほど興奮する。で、開けようとすると、

「え?待て!」となる。

なぜかというと、綺麗に開けようとすると、その包み方のハードルが高いとわかるから!なんと不思議なことに、開けるのは簡単すぎて目を閉じたままでも開けれるのだ。もらった時の感動だけではなく、開ける時の楽さのことまで考えてある。
開けた後の紙を見て、「すごいな!どうやって学ぶだろう?」としばらく包み方のことしか考えられなくなる。皆さんも同じ気持ちになるか気になる。

イタリアでは適当に包まれる、まで言わないけど、「どうせ一瞬で紙を破いて捨てる文化」だった。そう、この「だった」は日本に住むことで、物への大切さと思いやりが分かってきたということだ。これを知ってしまうと、もうイタリアの包みには戻れない。
日本の文化で学んだのは、「見えない部分だからこそ、価値がある」こと。その技術、歴史、伝統から目が離せなくなるのだ!

話はここから、冒頭の伊勢丹新宿で開催されたイタリア展に戻る。
ふと、人が大勢いる伊勢丹の通路を歩いていると、とある果物の砂糖漬けの職人さんが目に入った。彼はイタリアから来ているイタリア人で、店員さんのラッピングの作業をじっと見ていた。イタリアに関係ないこの包む文化を目の当たりにして、職人さんはどう感じただろうか。
この光景を見て僕はなぜか、いつもより日本の文化がより深く身に染みた。

包装について深く考えて調べたらやっぱり、「日本語は美しい言語」だと感じた。
「包」には大切なものを包む、守るという意味。
「装」には飾り整える、揃えるという意味。

「日本語が難しい言語ではなく、深いだけ。深すぎなだけ!」と呟きながら、和菓子の包みを思い出していた。だから、美味しいんだ!その包から人々を恋させる。

包装は、大切な人に送る。ものを大切に守る。
この説明を見て、その包み、ラッピングの大切さがやっとわかった。大切な人に送るということで、心を込めて包む。見た目から始まり、形のない気持ちになる行動は、目立たないようで一生の思い出になる。見た目より、言葉で表せない心を包む。

この包む文化は日本人も忘れないでほしい。ご褒美の時も中身だけではなく、包装まで贅沢にしていこうね。

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。