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日記は伝える、エッセイは伝わる

日記はその日にあったことを並べて書く。
エッセイはその日にあったことを深くまで掘って、遠く飛ばすように書く。ある意味、仲間が作りやすい。

秋谷りんこさんのこの記事を読んで、エッセイとは何かを説明することよりその感覚と付き合いの方が割と難しいと感じた。日記は自分のため、エッセイは読者のためという違いがよく耳に入るけど、どっちも主語が自分。

日記は基本的に自分のために書いて、将来の自分にメモしているような感覚になる。深い感情があったとしても、第三者から見ると買い物リストのように感じる可能性が高くなる気がする。構成、ねじれ文、接続詞などをそこまで気にしない。要するに、引っ張らない。そして、共感もしない。

日記は何をどう書いてもいいし、誰にも理解されなくてもいい。
エッセイは読者を楽しませる工夫が必要になるから、「構成」「ねじれ文」「接続詞」などを意識して書く。読みやすいというより、気になりすぎて読書が止まらない。どうなっているのかを知りたくなるのはエッセイ。

あとはもう一つ。
僕が思うのは日記とエッセイの主な違いは、自分(書き手)の立場になれるかどうか、重要なポイント。

たとえば、僕がnoteで書いているエッセイは日常生活から生まれるネタが多い。僕のことを知らない人や出来事の現場にいない人などは、一緒にいるように感じられる工夫が必要でここからエッセイの魅力が出てくる。普段はエッセイを読むときに、おそらく気が付かないと思う部分はたくさんある。例文、感情の共通点、考えることより前に読み続けたくなる波とテンション、興味と関心、日常生活での新し発想などは、全部エッセイに隠れている。読めば読むほど、親近感が強くなる。

日記は伝えれば、それでいい。
エッセイは伝わらなければならない。

この設定でいつも書いている。
読書の時に1回目は感情や気持ちに引っ張られて読む。2回目は文章に隠れている意味から読む。これで同じ内容でも2回楽しめる。2回勉強になる。

この記事で書いている内容は合っているかどうかわからないけど、日記とエッセイの違いをはっきり区別しないからこそ、僕は考えるのも書くのも好きだ。考えている時点で物語が始まるのだ。

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。