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略してボカす日本語の春夏秋冬

こんにちは、フードライターマッシ(@massi3112

日本に来てしばらく住むと、四季に対する感覚が変わった。今まで気がつかなかったニュアンスや雰囲気は、少しずつ五感で楽しめるようになった。
これから秋になるにつれて一番楽しんでいることは、日本語の曖昧さから生まれた「表現」。少ない文字で目に見えない秋の隙間を感じられる。

日本語の特徴ははっきりものを言わないことだ。今まではデメリットだと感じていたけど、四季ごとの言葉を学んで深くまで調べて、知らないうちに「デメリット」は「メリット」に変わった。
もっと言ってしまうと、日本語の「美しさ」に見えてきたのだ。日本語の美しさと日本の美味しさは、僕の中で最高の組み合わせになっている。

日本語の好きな表現は「麦秋」だ。
麦の実が出て黄金色になった収穫時期のことを指す。秋の時期の言葉に聞こえるけど、実は収穫時期は6月後半から7月初旬の初夏。夏が始まったころに麦が色づき、目で見える姿がまるで秋のようだから「秋」の言葉がついている。

麦秋を初めて聞いた時に間違いなく「秋」のことだと思った。ところが調べてみると違う。このギャップに驚きながら、現実を見て語るのではなく、心で感じたことを出すというところが好きになった。ある意味、周りの環境を見て感じ方が深くなったのだ。

初夏に見える景色は秋で、心も秋の気分になる。だけど、現実に戻ると夏。このようなギャップを考えると毎日、生きていることを大切にしたくなる。自然と心で会話できるのは日本だけだと思う。

また、「小春日和」という表現は、よく晴れて暖かい秋の日を表す。今の四季から懐かしく感じる、心がホッとする遠い四季を使う日本語の特徴。
日本の文化から学んだのは、現在目で見えることよりも、目で見てどんな気持ちになるのかが大事ということだ。外国人として心で感じて会話することが大事だと気付かされた。

大和言葉は日本の宝物。神様と会話できるような特別なコミュニケーション道具だ。一年中、春夏秋冬を感じられる国は日本だけではないかと思う。日本語を勉強することで、人生は180度変わってある意味、イタリアで育てられた感覚と見方はアップデートができた。

2022年は、また新しい秋に出会えた。

Massi

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