むこ殿の洗濯
今日の「降ってきた言葉」は「がわがわ」。皿洗いをしていて、流し台に水が吸い込まれるゴボゴボという音につられて思い出した。
「がわがわ」
あれは、姫路のお城で垣間見た狂言「濯ぎ川(すすぎがわ)」の一場面。家事を言いつけられた婿殿が川で洗濯するようすが描かれる。洗濯シーンでおなじみの「ざぶざぶ」とならんで「がわがわ」というセリフが登場した。
「がわがわ」は初めて聞いた言葉だった。ネットで見ると、水が一度に流れ出る音という意味が出てきた。擬音なのか擬態語なのか知らないけれど、「なるほど。うまいこと言うてる」というかんじがする。口癖になってしまいそうな、妙に気を引かれる言葉でもある。
「川」の読みの「かわ」と関わりでもあるのかとネットをさらに調べると、語源が一緒という説も出ていた。
桃太郎のおばあさんと中村主水
桃太郎伝説では川へ洗濯に行くのはおばあさんだが、この狂言では、がわがわと流れる川でざぶざぶと洗濯するのは婿殿の役目となっている。「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」というような性別の役割分担をひっくり返す設定じゃ。
というか、必殺仕事人の中村主水のように入り婿が養子先で小さくなってるかんじ。狂言の婿殿は洗濯のほかにも、そば打ちやら水くみやら家事をいろいろ嫁や姑から言いつけられる。
「ざぶざぶ】
その「濯ぎ川」は、古典かと思ったら新作狂言だった。終戦から8年たった1953年にできていた。高度経済成長期の始まりの時期にあたる。「夫は仕事、妻は家事」という家族像の始まる時代でもあった。
ひるがえって今の時代はどうじゃろか。というか、わし自身はどうじゃろか。狂言「濯ぎ川」と同じぐらい年を重ねて、時代の泥がこの身にこびりついている。脳みそをざぶざぶ洗いたい気もする。